「ドリーム」


原題「HIDDEN FIGURES」。1960年代のNASA、二つの世界大国が揃って宇宙開発にしのぎを削っていた時代に、その数学の才で米国初の有人宇宙飛行「マーキュリー計画」に貢献した3人の黒人女性を描いたドラマです。とてもいい映画でしたので、ぜひ映画館でご覧になってください。何度もぐっとくる瞬間があり、わたしも思わず泣いてしまいましたが、隣の席で見ていた男性もめちゃ泣いてて、またそれにもらい泣いてしまったり。

かつて大ヒットしたドラマに「正しいことをしたければ偉くなれ」という名セリフがありましたが、彼女らは一貫して、その内部から物事を変えようとして戦います。分離政策がまだまだ根強く残っていた時代のアメリカで、彼女らはひたすらに、まっとうに戦い、正面からその壁を越えようと、または穴を開けようとします。だから、一発逆転ですべてが変わる、というような気持ちよさはないです。なぜなら現実は一発逆転では変わらないから。彼女らが開けた穴はほんの小さいものかもしれない。でも、どれだけ扉を閉められても諦めず、そして何よりも自分の才覚で世界を変えていく。そういうものだけが世界を変えうるのだと信じる彼女らのその信念は、男性であれ女性であれ、どんな仕事をする者であれ、等しくその人の胸に訴えかけてくるんじゃないでしょうか。

映画の中で主人公であるキャサリンがその抑圧について心情をぶちまけるのはたった1度きりですが、その時の周囲の反応がものすごく印象的でした。なんというか、ほとんど無にちかい気まずさ。それは、多分そのあとのシーンでドロシーがミッチェルに言う、「偏見なんてない、わかっています、そう思い込んでいるということは」というまさに「そう思い込んでいる」ことへ寸鉄釘を刺された、といったような表情でした。でもきっと、そう「思い込んでいる」ことは今の時代でもふつうに存在することなんでしょうね。誰の心にも。私の心にも。

一発逆転の気持ちよさではないですが、3人それぞれに現状に確実に風穴を開けるシーンがあり、それがいずれも見事でした。メアリーはなんといっても白人だけの学校の特別講座に入学を認めてもらうため、判事に掛け合うシーンです。あなたの今日下した判決の中で、100年後も価値のあるものは何ですか。何があなたを「初めての男」にしてくれるんですか。ドロシーはIBMコンピューターの導入から、コンピューター言語の必要性をいち早く悟って(個人的に、一社会人としてもっとも参りましたと思うのはドロシーでした。あの人間力もさることながら、黒人、女性、というその当時の壁を、知の力で叩き壊していく。そのたゆまぬ努力の凄さよ!オクタヴィア・スペンサー素晴らしい!)計算室にいた同僚たちとIBMメインコンピューター室に乗り込んでいく場面!そしてキャサリンはやはりあの会議室での計算シーンでしょうか。まさに他を圧する才能を見せつける。あそこでジョン・グレンが彼女の味方をしてくれるのもよかった。

ちなみにマーキュリー計画を描いた名作映画といえば「ライト・スタッフ」ですが、この映画でジョン・グレンをやっているエド・ハリスがめちゃくちゃかっこいいのでそちらもぜひ見てください(何の宣伝だ)。

ハリソンはことあるごとにキャサリンが壁を破るのを助けますが、コンピューターの導入後のキャサリンの異動を止められなかったり、あのプロジェクトで起こっていることにいまいち鈍感だったり、決断力はあるけど必ずしも万能ではないという描き方だったのもよかったのかなと。あまりに彼がヒロイックになりすぎるのも違うなーと思いますし(あの看板を壊すところで十分伝わる)。個人的にはメアリーにエンジニアになることを勧めたあの上司が気になりました(実在のモデルがいるそうですね)。最後にポールが、キャサリンとの共著をそのままにし、かつ彼女にコーヒーを入れてあげるシーン、すごくよかったです。

あと、やはりこの時代のNASAというかアメリカ全体に「共産主義の脅威」への反発とおそれがあって、それがあの宇宙開発競争にあれだけの予算を割けた理由だし、能力第一主義に舵をきったのもそういう背景があったんだろうなあと。

あと、この映画はもともと「私たちのアポロ計画」という副題がついていたんですけど*1、映画を見てみてなんとなく「あーなるほどそれで…」と思った部分もありました。でもやっぱりちょっと誤解を受けやすいのは否めないし、かといって原題のままというのは現実的ではないし、なかなか邦題も一筋縄ではいかないですね。

*1:経緯はwiki参照のこと