「ブリグズリー・ベア」

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伊藤聡さん(空中キャンプさん)が今年のベストと大絶賛されていて、あまりにも熱い入れ込みぶりに「そ、そんなに?」と思って見に行ってしまういつものパターンです。私のような人間はぜったい沢山いるとおもうので、やはり好きなものや好きなことを熱意大盛りで語るのは大事。監督はデイヴ・マッカリー、長編監督デビュー作です。

砂漠の真ん中のシェルターで両親と暮らしていたジェームズは、毎週届く「ブリグズリー・ベア」の新作を何より楽しみに毎日を送っていた。しかし、突然警察がやってきて、父と母は逮捕され、連行される。実はジェームズは幼い時に誘拐され、以来このシェルターで外界から遮断されて暮らしていたこと、ブリグズリー・ベアも彼らが自ら製作していたものだということを知る。

この物語で、「子供を幼いころに連れ去られた実の両親」にピントがあってしまうと、なかなかつらいものがあるかもしれない。逆に言うと、この映画は徹頭徹尾ジェームズの視点から世界をとらえていて、それがいいようもない美しさを生んでいるのだとおもう。ジェームズを誘拐したテッドとエイプリルは、しかしジェームズに愛情とじゅうぶんな教育を与え、ブリグズリー・ベアを通じてジェームズの情操教育にも目を配るような「親」であり、ジェームズは実際にあったことを聞かされても、過去の自分が暮らした世界をなかったことにすることを到底受け入れられない。

と、ここまで書くとなんかすんげえ鬱になりそうな筋書じゃねーのって感じなんだけど、そうはならない。ジェームズはブリグズリー・ベアを介してはじめての友人を得て、ブリグズリー・ベアの物語を語ることでコミュニティに参加する。生まれて初めて出会った思春期真っ盛りの妹と時間を分かち合う。キャンプ。水辺での石投げ。行き過ぎた行動をとってしまったあとも、彼は友人と協力してくれた刑事をかばう。実の両親がジェームズが帰ってきた日に言っていた「やりたいことリスト」をジェームズはその現実の生活の中で見つけて身につけていくのだ。

ついに完成した「ブリグズリー・ベア」の映画を上映するときに、それが受け入れられなかったら?という不安でトイレに閉じこもってしまうジェームズのシーンがすごくよかった。不安になるのは望みが高いからだ、っていう台詞が私の好きな漫画にあるのだけど、そういえば昔、爆笑問題の太田さんが野田秀樹さんの製作現場で演劇を志す若者たちに「これはほんとうにすごいものだと思うものができる時が来る、その時に本当に理解者はひとりでいいと言えるか、俺はそれは嘘だと思う」って言ってたことがあって、つまり彼の不安は「ただやってみた」ことではなく、創作者として向き合ったからこそなんだろう。ジェームズがひたすら「スレていないピュアネス」を振り回すだけなのではないところが(もちろん、そういうピュアネスを感じさせる部分も上手に描かれているが)私にはすごくぐっときたところでした。そしてあのラストね。生きていくために物語が果たす効能が掬い取られたラストシーンだな~と思いました。

ユーモアのあるシーンもたくさんあって、いちばん好きなのは学生時代に演劇を志したことのある刑事に一役買ってもらう(文字通り)ところ。まさかのリテイク要求、最高でしたね。妹も、妹のクラスメイトも、皆すばらしくやさしさに溢れていて、あの片目がとれちゃった!と皆で笑い合うなんでもないシーンの美しさがすごく心に残っています。最後に、収監されているテッドに会いにきたジェームズが、その複雑な感情を吐露する相手を求めたのではなく、声を求めてきたというところも痛快だったし、きっちりそれに応えるテッドもよかった(しかも演じているのがマーク・ハミル!)

しかし、映画を作るというのは文字通りコミュニケーション能力の総本山みたいな作業なんだなーというのがすごくよくわかりますね。与えられたビデオテープを何度も再生し、研究することはひとりでもできるけど、新しい物語を紡ぐには自分のビジョンを伝えて、理解してもらって、話し合って、そういうことで形作られていくんだなと。こういう映画はひとさまのおススメがないとなかなか自分では発見できないので、今後も熱いおススメには軽率に乗っかっていきたいなと思います!