「幸せへのまわり道」

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アメリカで放送されていた子供向け長寿番組「Mister Rogers' Neighborhood」の司会者フレッド・ロジャースと、彼を実際に取材したジャーナリストを描いた映画。原作はまさにその記者の書いた記事という、「実話を基にした物語」。監督はマリエル・ヘラー。

原作が「記者から見たフレッド・ロジャース」なので、フレッドを演じるトム・ハンクスが主演というよりは、記者であるロイド・ヴォーゲル自身に焦点があたっています。ロイドは優秀な記者で(冒頭で彼が表彰されるシーンがある)、美しい妻があり、子どもも生まれたばかり。しかしロイドは父親との間に深刻な確執を抱えている。

何かの感情に振り回されそうになったとき、なぜそうなっているかを考える、考えている間はその感情から自由だから、というとある演出家の言葉を私も信条としているわけですが、そういった「なにかに(怒りに)振り回されそうになること」と人間はどうやって向き合うのか、というある意味終わりのない問いを丹念に描いていて、すごくよかったです。本当、これは「男は黙って」みたいなタイプの男性にこそ見て欲しい。特にすごいと思ったのが、ロイドがピッツバーグまでフレッドを追いかけてきて、彼と食事をするシーン。一緒にやってみてくれ、とフレッドは言う(フレッドは絶対に指図をしない。提案する。そして必ず『やってみてくれてありがとう』という)。1分間だけ、何も言わず自分を愛しいつくしんでくれたひとのことを考えてくれ、と。レストランの喧騒が次第に遠ざかり(ここで、まるでレストランの客もそれにならうかのように見えるのむちゃくちゃうまい演出)、映画としてはかなり長い間、おそらく実際に1分間ちかく、無音のままフレッドとロイドの表情だけをカメラがとらえる。このシーンが素晴らしいのは、この沈黙が観客である我々にも投げかけられているということだ。演劇ではたまに使われる手法で、私は「縦方向のボール」とこれを呼んでいるのだが、観客が一緒に体感することで劇中の登場人物に一瞬同化する。あの時間に、観客自身が自分にとっての「自分を愛しいつくしんでくれたひと」のことを思い出さないでいるほうが難しい。だからこそ、あのシーンでロイドが何に解放されたかが、観客には手に取るようにわかる。

そのあとの奥さんとのシーンもよかった。自分の感情と向き合うって本当にしんどい作業だ。そのしんどい作業をいちばん大事な人の前でできるって、本当に勇気がある。奥さんがちゃんとそれを受け止めてくれるのもいい。ラストは大団円に向かっていくんだけど、ヴォーゲル家の団欒に招かれたフレッドが言う台詞がすごくよかった。あまりによすぎて、むちゃくちゃ心を打たれたので、映画館を出てスマホの電源を入れてまずその台詞をメモしてしまった。「われわれは死について話す時気詰まりを感じる。だが死は人間の理だ。理は言葉にできる。言葉にできるものには対処できる」。すごい、こんなに勇気をもらえることばは久しぶりだ。言葉はとくに凶器で、無力なものに感じるが、だが人間は「言葉にできるものには対処できる」のだ。そのことを忘れないでいたい。

かつてあったテレビ番組のフォーマットを使い、ミニチュアのセットやちょっとミュージカル仕立てのような場面があるのも面白かった。トム・ハンクス演じるフレッド・ロジャースは、不思議な間合いの人物で、ずけずけ、というのともまた違う速度でひとの心を掴んでしまう。決して聖人というわけではなく、それが番組収録後の最後のシーンに現れていたりするのも、つまるところ彼の妻が言うように「プラクティス」の結果なのだろう。地下鉄で移動するフレッドに、乗り合わせた乗客が番組のテーマソングを歌いかけ、大合唱になるシーンもすばらしかったです。とても良い映画だったので、ぜひ足を運んでみてください。