「キャプテン・マーベル」

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MCU最新作にして、アベンジャーズ終幕のひとつ前に配置された作品が重要でないわけないやろ~!しかも今作がMCU初登場にして初女性ヒーロー単独作!初尽くし!監督はアンナ・ボーデンとライアン・フレックの共同クレジットです。

いやー良かった。ほんとうに。私はMCUは楽しませて頂いているけど、原作であるアメコミのほうにはほとんど手を出していない人間なので、主人公であるキャロル・ダンヴァースのオリジンも知らないし、「どれぐらい強いか?」も全然知らない。MCUのシリーズ構成で、アベンジャーズ3と4の間にキャプテン・マーベルが入るってわかったとき、ここにきて新ヒーロー…冒険しすぎでは…とかちょっと思ったし、そもそもアベンジャーズにはもう「キャプテン」がいるのに、キャラがかぶらない?とか思ったこともあったんですけど、本当に今過去の私にかける言葉があるとすれば
「素人は黙っとれ―――」(by城島リーダー)
に尽きるわけでね。

MCUのシリーズをまったく見たことのない人(が、この感想を読んで下さってるかわかりませんが)でも、今まで描かれてきた「アベンジャーズ計画」の一歩前のお話だし、過去作を踏まえる必要はまったくないので(むしろここから入ってアイアンマンを初見できる人がちょっと羨ましい)、ぜひこの1作だけでも見てもらいたい。エンタメをジェンダーで語ることで見る人に先入観を与えてしまうのは本意ではないですが、でも誰もが感じたことのある、女性に対する有形無形の抑圧に対して、OKわかった、とりあえず一発ぶん殴らせろと思ったことのあるすべての人に見てもらいたいと思う映画です。

以下は具体的な物語の展開に触れますので、これから見る方は要注意だよ~

クリー人の世界と、それに対する「侵略者」として位置づけられるスクラルとの戦い、クリーの特殊部隊スターフォースのひとりとして作戦行動に参加するヴァース。チームリーダーのヨン・ロッグはヴァースの教官であり、彼女を導くものでもある。だが、ヴァースは経験したはずのない「記憶」を夢に見ていた…。

主人公の「私は一体誰なのか?」を追う前半は記憶のフラッシュバックシーンが多用されることと、今まで知らない世界がどんどこ出てくるので、物語を楽しむというよりも世界観(の設定)をとりこぼさないようにするので必死、という感じがありました。しかしこの作品には大きく2つの主観の転換があって、そこが明かされるところから一気に物語の渦に飲み込まれる快感がありましたね。

ジュード・ロウ演じるヨン・ロッグは登場から一貫して主人公のメンターであるように描かれているんですが、実のところ「感情を制御しろ」「君はまだ未熟だ」という彼の言葉は「導く者」のそれでありつつ、同時に抑圧でもある。ヴァースが自分は「キャロル・ダンヴァース」であったことを思い出し、自分を真に抑圧していたものがなんだったのか、ということに彼女は気がつくわけです。

そしてもうひとつ、「侵略者」スクラルが実は…という展開のうまさ。誰にでもDNAごと擬態できる、その特性だけで見てる側は彼らを心理的に「悪」のポジションにつけてしまうけれど、大国に侵略され居場所を失ったからこそ擬態して潜り込み生きていかざるを得ないのだ、という視点の転換。

そしてそれらのフタが開いた後の、持てるパワーを解放するキャロルの描写のすばらしさ!女にはむりだ、でしゃばるな、人に迷惑をかけるな、お前にはできない、いろんなものに挑戦して、いろんなものに一敗地にまみれてきた今までの彼女の人生、それでも何かを捨てず、自分の力で立ち上がってきたひとりの人間としての彼女のパワーが、それこそがスーパーヒーローがスーパーヒーローたるゆえんなのだと示される展開が、もう、むちゃくちゃアツい!!涙が出るというよりも、その一歩手前の、熱い塊をぐっと飲み込んだような気持ちで胸がいっぱいになりました。あの瞬間の解放感。そして、覚醒したキャロルの圧倒的強さ!!

ヨン・ロッグと最後に対峙する場面、まるで西部劇もかくやでしたが、そこで私に挑戦してみろ、私を超えてみろ、感情を抑制しろ…と言い募るヨン・ロッグがもう、絶妙に卑小で、それをキャロルが有無を言わさず文字通り力でぶっ飛ばし、「証明する必要なんてない」と言い放つところ、最高でしたね。最高でした。私たちは何にも証明する必要なんてないのだ。女は感情的?感情的だとしてそれが何なんだ?うるせえ黙れいっぱつ殴らせろ。

私は自分の性格とか環境からして、女性であるということで受けた抑圧は極めて小さいほうじゃないかと思うんだけど、それでもゼロじゃない。ノーメイクでもだっさいカッコでも恋とか愛とか必要としない人生でも、私たちは何も証明する必要なんてない。そのメッセージはほんとうに、いろんな人の心に深く刺さるんじゃないでしょうか。

ブリー・ラーソンのキャロル、最高だったな~。途中から着てるグランジファッション(ナイン・インチ・ネイルズのTシャツ!)の微妙な板のつかなさというか、パイロット時代のワークシャツがいちばんカッコいいっていうのがまたいいよね。でも覚醒してからのモヒカンスタイルも好き…モヒカンがあんなにカッコよく見えるなんて…!若かりし頃のニック・フューリーとのコンビもむちゃくちゃよかった。今作のフューリーはねこ大好きおじさんの印象がどうしても強いけど、とはいえ視点の柔軟さ、あの頃からのコールソンとの信頼関係とかもきちんと拾っていてよかった。むしろこれを踏まえて今までのシリーズのフューリーを見返したいぐらい。あの左目の顛末はむしろああいうことだからこそ、その後になぜかを聞かれて語る時に盛っちゃうやつやな…という気がしました(あのキャラクターで正直に言うわけない)。

そうそう、90年代インターネット黎明期を過ごした私(たち)にはテクノロジー周りの「あるある」「そうそう」感、使われている音楽も相俟って懐かしさハンパなかったです。

キャロルに自分を取り戻させるきっかけになるのがかつての同志で、そのマリアにもしっかりきっちり見せ場があるのもいい!あのシーン、欧米か!とツッコミされそうなほどイエー!と雄叫びあげたくなっちゃいましたもんね。スクラルのタロスをやってたのがベン・メンデルソーンで、「擬態」として出てくる場面もあるけど、これうまいキャスティングでしたよね。絶対なんかある!と思わせるもん。対してジュード・ロウはやっぱり顔面の説得力というか、まっとうなメンターのようであって、最初はそれを観客も素直に受け入れてるんだけど、それが逆転してからの卑小さがほんと…絶品でしたね。もう文句のつけようがないっす。ねこのグース(トップガンのグースからとってるんだってね!)は、わ~~ねこちゅわん…きゃわ…きゃわたん…きゃ…うおおおおおおお???きゃ、きゃわたん…?ってなるのが面白かった。意外な展開があるとはいえ、ねこはかわいい。これ大事。

インフィニティウォーでもはや全員藁にも縋る、というところに、最後の切り札として現れるキャロル。ほんともう、マジお願いします!って観客も思ってるし、そういう構成にもってくるMCUケヴィン・ファイギがすごいし、これで役者は揃った!エンドゲーム来いやああああ!!!カチコミじゃあああ!!!!みたいな気持ちで映画館を後にできること請け合いです!

「偽義経冥界歌」新感線

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中島かずきさん新作の新感線公演!が、やっと大阪に!新感線がやっと地元大阪に帰ってきた!!長かったねホント…!

まずネタバレにならない程度の感想を先に書いておくと、髑髏城、メタマクと再演演目に浸かったあとだけに「全然知らない物語」が見られることが自分の中で相当うれしかったらしく、3時間45分と普段の私ならため息しかでない上演時間も「あれっもう終わり?」と温かい気持ちで楽しむことができました。センターの斗真くんは間違いなく主役の系譜のひとで文句なし。あとさとしさんの存在が大きいねやっぱり!

ぐるぐる劇場は大掛かりなセットが組める(固定になるけど)から、いのうえさんのダイナミックな演出向きなのかなって思ってたけど、今回の作品見ていのうえさんて演出はダイナミックだけどセットとしては小回りが利いたほうが良さが出るんだな~というのも思いました。いのうえさんのダイナミックさは装置じゃなくて人の演出の方に出るんだねきっと。

さて以下は具体的な物語の展開にふれるのでまだこれから観る人はご注意だよ~

大雑把なあらすじとしてはよく知られた「義経伝説」を下敷きにしていて、平家全盛の時代、奥州の豪族に義経が匿われていたが、これが手の付けられない乱暴者でとても主君の器じゃない。ひょんなことからウッカリその義経を死に至らしめてしまったため、義経の影武者を仕立てて黄瀬川で頼朝と対面させようとする、という筋書き。一の谷や壇之浦などのよく知られた義経の武勇の数々はアッサリと見せるにとどまり、その「偽義経」をめぐり時代の覇権を狙うものそれぞれの思惑が入り乱れてからが本番、という感じです。

義経冥界歌(にせよしつねめいかいにうたう)、というタイトルがまさにそのまんまで、「歌」をキーにあの世とこの世を行き来する設定なんですよね。だから割と皆、アッサリ死ぬ。なぜなら冥界に行ってからのリターンマッチがあるからだ!なので「えっこの人ここで死んでこのあと出番どうするの!?」って人が何人かいますがそういう人ほど後半どんどこ出張ってくるという。この設定自体は面白かった。気になったのは歌がキーで、「静歌、歌ってくれ」というターンを4回ぐらい繰り返すため、その発動フレーズに客が若干飽きるというきらいはあるなと。うち2回ぐらいはパターンを変えてもよかったかもしれない。とはいえ、歌をキーにするという世界観がある以上、歌わずに済ませるわけにもいかないし、ここは難しいところですね。

冥界に一度行った登場人物たちが白塗りで、かつ衣装もすべてモノトーンで仕上げてくるのがすばらしかった!!遠くから見ていると、ほんとうにそこだけ色が抜け落ちているので、不思議なことにちょっと透明感というか、透けてみえる…?みたいな視覚マジックがあってすごくよかった。メイクも、細かいところまでは見えなかったけど悪役は青い隈取をしていたりかなり歌舞伎味がありました。そしてあれだけ「色」という装飾を落とされても色男ぶりがまったく衰えない生田斗真の男前としてのポテンシャルの高さよ!!

主人公は腕っぷしはやたらと強い竹を割ったような性格の好漢、だけどちょっとバカという、文字通り新感線の主人公の系譜で、「悩まない」がゆえにどんどこ事態を打開していくんだけど、それが「己のやったこと」と初めて向き合って悩み自問自答の箱に閉じ込められる、っていうのもなかなかない展開で、さらにそこからある意味無敵の冥界軍団を打倒するインスピレーションを得るというのも面白かったです。もう1枚カタルシスがあるともっといいけど、主役のかっこよさとラスボスのあくどさが十分カタルシスをくれるので無問題。

そういえばとあるシーンでさとしさんセンターに「無敵の軍団」とかなんとかいってフォーメーション作るところ、あまりといえばあまりのファンサービス(えっ?そうだよね?)に腰が浮きかけたし、ね、寝た子を起こすやつ~~~!!ってなりましたわいな。それと全然関係ないけど冥界の軍団が今の敵を蹴散らす展開に思わず「王の帰還」「バスクリン」と心によぎった指輪者の私の性…。

私は個人的にいのうえ演出の舞台において役者にもっとも必要な素養は「強さ」だと思っていて、役者さんにもそれぞれタイプがあって、うまさ、軽妙さ、カッコよさ、面白さ、いろいろ売りは人それぞれ違うと思うんだけど、芝居に「強さ」がある人が最終的にはこの舞台で生き残るよな、って感覚が強い。歌舞伎役者といのうえ演出のコラボがはまるのは、歌舞伎役者はそういう強い芝居を鍛え上げられてきてるからだと思うんですよ。で、今回のセンターの斗真くんと、最終的にかれに立ちはだかる父親を演じるさとしさんは、その強さがあるんですよね。以前、今回も共演されている山内圭哉さんがさとしさんを評して「プレイスタイルでいったら完全なパワープレイヤーですよね。それが年々パワーアップしていることがまずすごいし、稽古でもとにかく迷わず思い切ってやることで、誰よりも早く正解にたどりつくみたいなところがある」と仰ってたことがあるけど、終盤にいたってどんどんそのパワープレイヤーぶりが炸裂し、主人公を徹底的に追い詰めるところがほんっとたまりませんでした。ラスボスが輝くと作品が輝く…古き言い伝えはまことであった…って気分です。また斗真くんがそれを押し返してくれるからこそのカタルシスですよ。新感線を観た~!って気持ちにさせてくれる。

ニコイチで行動する弁慶と海尊をじゅんさんと圭哉さん。おふたりとも今回話を回していく立場なのでトーンは抑えめ、とはいえ沸かすところはしっかり沸かしてくださる安定の仕事師ぶり。りょうさんと新谷さんの百合百合しい感じもよかったなー。あと!歌舞伎の演目でお前ほど名前が出てくる男はいないと言われている(いない)梶原景時を川原さんがやってて、んもう立ち回る立ち回る!強い強い!川原さんファンには待ってました感ハンパないのでは。粟根さん演じる頼朝を常に守護しているのでお二人のコンビ感も楽しかったです。

1階後方からの観劇でしたが、視界がクリアでほんとに…観やすい…観やすいというだけでもう心が1億点加算してる…って感じでした。もともとフェスティバルホールは西のホールの雄というか、名ホールとして名高いところなんですけど、そういうところを新感線が使わせてもらえるようになったんだなー!という意味でもうれしかったです。公演は今年はこのあと松本と金沢、そして来年東京と福岡ですね。変則的な興行だけに、後半どういうふうに変化するのかも味わってみたいなーと思っております!

赤西くんのツアー内容変更に伴う代替案がすごすぎて部外者ながら感動した件

タイトル通りです!


4月6日からツアーをやる予定になっていて、チケットも発売開始していたけど、変形腰椎症のため今後のことも考えて大事をとってツアーはとりやめ。でも完全に中止じゃなくて代替案を考えます!とご本人がツイートされていたんですよね。ツアーで、本人が出られない代替案てなんだろ?と単純に疑問に思っていたんですが、今日その代替案が開示されたと。

ってなんで私が赤西くんの動向を把握しているかというとじんじんファンの方をフォローさせていただいているからです。っていうか私がついった始めたのはその人のツイートが読みたかったからなので、実のところいの一番にフォローしたひとです。

それで話は戻りますけど、今日示された代替案、これがすごかった。むちゃくちゃよく考えられてる!って思って私は感動したんです。まず公演自体は行わない(行えない)けど、その代わり赤西くんが独立してからの5年間を追いかけたドキュメンタリーフィルム(なんと150分の長尺!)を上映すると(この上映自体は記事にもあるようにもともと今後の企画として予定されていたらしく、赤西くんも『これはこれでいつか絶対見てもらおうと思ってた』とツイートしてた)。それに加えて、
・4000円分のグッズ購入に使用可能なギフトチケット
・最新曲のマキシシングルCD
・公演地限定デザインのメタルキーホルダー&ダイカットステッカー
を特典につけるっていうんですね。

私がまず一番にすげえなって思ったのは、アーティストの身体のことだから、もちろん無理なんてしてほしくないとファンは思うし、大事をとってくれたのは良い判断だって皆それは思ってると思うんですよ。でもそれはそれとして、ツアーという楽しみがなくなる寂しさも絶対あるじゃないですか。それはアーティストが悪いわけじゃないし、こうしたヲタ生活にはつきものの事態だから、自分でなんとかやりすごすしかない。でもそこにツアーじゃないけど、この波乱の(と言ってしまっていいんでしょうか)5年間を追いかけたドキュメンタリーを見せてくれるっていう、その「先の楽しみ」を置き換えるイベントをちゃんと用意してくれる、それがまずすごい。すごいっていうか、えらいっていうか、私だったらありがたいな~って思うと思うんですよ。しかもその判断をこの短い期間にやり遂げて各方面調整してくれる、これだけでも赤西くんがいい仕事をしていて、いいスタッフがいるんだなってことがわかるじゃないですか。

さらに感心するのが、8000円のチケット代の半額分の4000円分、グッズ購入用のギフトチケットをくれるっていうね!ここ!ここすごい!単純に差額払い戻しにしなかったここにクレバーさをめちゃ感じる!当たり前だけど、こういうときに興行側だけが身銭切ってボロボロになっては元も子もないわけで、興行側もできる限りリスクを少なくしたいという気持ちがあって当然。グッズ購入費用にすることでファンにはお得感があるし興行側も払い戻しリスクをかなりの割合で低減できる。

しかもそれにマキシシングルをつけて、複数回公演見るひと対策とでもいいましょうか、ご当地記念グッズもつけちゃう…って、いやもう隙がなさすぎる!言うまでもないですけど、普通に払い戻しには対応するんですよ。しかもこれはファンの方のツイートで知ったんですけど、複数枚購入している場合はどちから片方だけのキャンセルにも応じるっていうね!

あと私が遠征者だけにしみじみ思うのが、この公演中止・代替案での開催っていう判断が早いのがすごい。判断が早いってことは、遠征するひとがホテルや移動手段やその他もろもろ痛手を極力少なくしてキャンセルできる可能性が高いってことで、ここもほんとうにすばらしいな!と思います。

これだけ手厚ければ文句ある人いないでしょ、と言いたいわけではなくて、こういうものって、なにをどうやっても絶対に100%ではないと思うんです。だからこの代替案は自分にはぴったりこない、ってひともいるかもしれない。でも、むちゃくちゃよく考えられてるじゃないですか。私にとって「よく考えられてる」っていうのは最大級の褒め言葉なんだけど、簡単な、全員が納得する正解なんてないからこそ、こういう時に主催者側にいちばんしてほしいことは「よく考えてほしい」ってことなんですよ。みんなに同じことをやれってことじゃなくて、そのTPOで「よく考えた」結論を出してほしいと思うわけですよ。

ツアーを楽しみにしていたファンのこと、興行側のこと、そういう諸事情をふまえて、来てくれたひとにそれだけの「何か」を手渡せる仕組みを考えて、短期間で実行して…って、ほんとうに繰り返しますけど、赤西くんがいい仕事をしている、してきたからこその今回の対応だと思うんですよね。

って、私はマジで部外者中の部外者なのでほんとうならこんなこと書く立場にない(そもそもツアーに行くわけじゃないっていう、もっとも口挟んだらアカン立場の人間)んだけど、でもほとほとすげえな!!!って思ったし、私の性格上ほとほとすげえな!!!って思ったことは書いておきたいひとなので、2000字も費やしてああだこうだ書いてしまった。申し訳ない。どうか平にご容赦願いたい。

いだてんが駆け抜けるもの

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宮藤官九郎さん初の大河ドラマ「いだてん」、もちろん毎週楽しく拝見させて頂いております!日曜日にあまり予定を入れないように(とはいっても限界あるけど)してBSで見てからの本放送。放送後はついったで感想巡り。満喫とはこのことかというほどに満喫しております。しかし、私が好む大河ドラマはたいてい、視聴率のことですごくやいやい言われるので、私は慣れているんですが勘九郎さんと官九郎さんが気にやまないといいな…となどと叔母心(誰の叔母でもないが)が炸裂したりもしています。個人的には、サダヲさん主役のターンになったらちょっと回復するんじゃないかって気もするんですけどね。朝ドラの「ひよっこ」しかり、大河ドラマの主戦場たる視聴者はあのあたりの年代に独特の郷愁をいだいてそうだし、というこれは完全に希望的観測ですが。

と言いながらも、「大河ドラマらしくない」とか言われちゃうのもわからないでもないなって思うんです。むちゃくちゃ面白いドラマだけど、大河ドラマらしくはない。先日三谷幸喜さんがご自身の朝日新聞紙上の連載で宮藤さんに熱いエールを送ってらっしゃいましたが、「僕の観たい大河ドラマとはちょっと違うけど今一番注目しているドラマ」とも書かれていて、そりゃ生粋の大河ドラマヲタクの三谷さんだもんね!と思ったり。

じゃあなんで「大河ドラマらしくない」って感じてしまうのかって話なんですけど、先週の第9話「さらばシベリア鉄道」で四三が家族に絵葉書を送るシーンがありましたでしょ。それで放送が終わった後、そういえば1話で出てきた、五りんが志ん生に見せる絵葉書ってどんなんだっけ、と思って1話の録画を見返してみたんです。そしたらびっくりした。何にびっくりしたか?「このひとたち、何も知らない」ってことにびっくりしたんです。世の中にオリンピックというものがあること、スポーツというものがあること、そのスポーツによって何が養われるかということ、そういったものを、ここに出てくるひとたちのうち、誰ひとりとして知らない。たった9話の間で、ここまで意識が変容している、そのことにびっくりしたんです。

普通大河ドラマを観ていても、途中で第1話を見返して「うわっ、この人たち何もしらない」と思うことはまあないです。彼らが知らないのは自分をとりまく運命と時代の流れであって、意識の変容ではないからです。「うわっ、この人たち武士を知らない」「この人たち切腹を知らない」なんてことはないし、あったとしてもそんなことは描かない。描かれてこなかった。

主人公を取り巻く人間たちの運命と時代の流れを描くのが「大河ドラマらしい」とするのなら、「いだてん」は、今後必ず出てくるであろう、いわゆる大きな時代の流れのひとつである「戦争」が出てくるまでは、何よりも意識の変容を猛スピードで駆け抜けて描いていく作品になるんじゃないでしょうか。だとすれば、「大河ドラマらしくない」のは当たり前のことだし、それは「いだてん」という大河ドラマにとっては褒め言葉なんじゃないだろうかとさえ思います。

先日の追加キャスト発表で、人見絹枝さんのキャスティングも明らかになり、今後「女子スポーツ」という更なる意識の変容、改革にドラマの中でも乗り出すことが予想されます。今、日本に限らず世界的な潮流として、旧態依然とした意識から脱け出すことがエンタテイメントの世界でも求められる時代になってきていますよね。それに対する個々の意見はそれぞれあるでしょうが、しかしこの流れはたぶん止まらないでしょう。これはアメリカの心理学者スティーブン・ピンカーの言葉ですが、「人間は意識の方が先に変わるから、道徳が行動を追い越すと過去の基準に照らした以上に現代が野蛮に思える」という通り、変容した意識を逆行させることはできない。そしてそれと同じくらい、ドラマの中でもそうですが、「意識を変える」ということは誰にとっても難しい。当たり前に信じていたものの違う貌を見つけ、認めること。時代の流れではなく、意識と認識の流れを描く大河ドラマ。実のところ、宮藤さんは途方もないものに挑戦しているのかもしれません。

「THE Negotiation」T-WORKS #2

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  • HEP HALL B列16番
  • 作・演出 村角太洋

丹下真寿美さん推しプロデュース公演のT-WORKS第2弾。第1弾に後藤ひろひと大王の作品を持ってきてたんですが、第2弾は関西の劇団「THE ROB CARLTON」の村角太洋さんを招へい。折しもテレ東の佐久間さんがツイッターでこの劇団の前回公演を「面白かった」と書いてらして、これは俄然見たくなる!と足を運んでみました。

とある高級ホテル(トゥイッケナム・ホテル…トゥイッケナムといえばラグビーですけど)の高級スイート、そこを控室に使用する世界的大会社のCEOふたりが重要な商談をこのホテルで行う。ふたつの会社は合併を目論み、業界でのシェアを一気に拡大しようとしている。諸条件の折り合いはほぼまとまった、たったひとつ、社名を除いては…。

タイトル通り、タフな「交渉」を舞台にした作品ですが、タフすぎてもはや素人には神々の高級な遊びに見える(または中二の小競り合いに見える)さまをテンポよく描いていて面白かったです。舞台のセットは椅子とテーブルだけで、その組み合わせでスイートルーム、会議室、地下のバーと場所が変わっていくんですが、スイートルームがそれぞれ真逆の位置に作られていて左右対称になっている設定なんですよね。これが後藤ひろひと大王の「ニコラス・マクファーソン」(個人的に大王作でも3本の指に入る推し作品)を彷彿とさせるシチュエーションで、自分の中で勝手にもりあがりました。というか作・演出の村角さんのスタイルが、とにかく対話ありきというか、意味のあることもないこともぐいぐい対話で押してくるタイプで、昔はこういう作風のひと沢山いたけど昨今めずらしい!と思いましたし、丹下さんのセレクトが後藤大王に続いて村角さんというのはこれは丹下さんの好みなのかな?と。だとしたら私と丹下さん気が合う~うれしい~。

それまでは交互に見せていたスイートルームが、最終盤にはその部屋を2組が同時に使う(言うまでもなく場面を重ねているだけで物理上は同じ部屋にいない)シーンがあり、これこれ、こういうのが好きなのよ、とニヨニヨしました。欲を言えばあそこで小道具ひとつとか、台詞ひとつでも、いないはずの2組が交錯する一瞬とかがあるともっと好きだった。

キャストも全員安定のうまさ!三上さんのいかにも押し出しのいいCEO然とした佇まい最高だし、山崎和佳奈さんと森下亮さんの切れ者強気女性CEOとその懐刀、みたいなコンビもよかった。丹下さんの秘書のむちゃ優秀そうなのに絶妙なところでオフビートな感じも楽しかったです。個人的にはスティーブン大好き!村角さん(ボブ)多才だなあ~。

劇中で使われている小ネタがかなりツボに入るところが多くて、ロード・オブ・ザ・リングのところむちゃくちゃ爆笑してしまった!そう、ゴラムはゴラムで険しい道のりですよね!「せめてサム」って返しも最高。あと私のイチ押し海外ドラマ「ザ・ホワイトハウス」の音楽が使われていて、ハッ!だからドナなのか!?とこれまたひとりでニヨニヨしてしまいました。楽しかったです!

「イーハトーボの劇列車」

以前鵜山仁さんの演出、井上芳雄さん主演で拝見したことがあります。私は井上ひさしさんの熱心なファンではないんですが、いくつか拝見した舞台の中ではこの作品がかなり自分の好みだったんですね。一番好きといってもいいかもしれない。そのときの好感触が強く残っていたのと、今回のチラシの松田龍平くんの佇まいの独特さに惹かれて(絶対井上芳雄さんと違うタイプのものになるだろうと思って)チケットを取りました。

再見して思ったのは、やっぱりむちゃくちゃ戯曲がいい。よくできてる。よくできてるなんて御大の作品に向かって口幅ったいですが、しかしこのかなりの長尺もので、しかも基本的に同じ状況の場面を繰り返す、という構成なのに、観客を引っ張る力がものすごい。上京する賢治、列車内の人間模様、東京で出会う人たちとの対話、というこのターンを4回繰り返すだけ、それなのに、4回目には主人公である賢治も、一緒に旅をしてきた私たちも、まったく違う場所に立っていることがわかる。

賢治と父親の宗論が象徴的ですが、理と理をガチンコぶつけ合うような会話の応酬があったかと思えば、「思い残し切符」なんていう、リリカルというか情動の極みみたいな単語が場面場面を締めるというのがしみじみすごいなと。私にとっては(そして他の多くのひとにとっても)宮沢賢治というひとは理想世界の求道者ではなく、あの多くのきらきらした物語をものした作家という存在ですが、父や福地第一郎と議論をしたり、伊藤儀一郎に痛いところを突かれたり、どこか地に足のついてない覚束なさの消えない賢治が、4回目の状況に至って「自分は何者でもない」からこそ、「だめな日蓮に惹かれることができてよかった」という境地にたどりつく。そのときの静かな表情とやさしい口調が、自分の中の賢治像とぴったり重なるようで、なんともいえない気持ちになりました。

今回の演出は長塚圭史さんでしたが、個人的には鵜山さんのシンプルな見せ方のほうが好みだったかなーと思います。とはいえ戯曲の牽引力がすごいので、演出家のカラーも戯曲の色の強さに上塗りされちゃう感もある。松田龍平くん、ほんと不思議な存在感。底知れなさはやっぱりどこかにあるんだけど、純朴青年の顔もちゃんとあるんだよなあ。岡部たかしさんの車掌、私の今回のイチ押しです。いやー岡部さんてほんと…すごく色気があるひとですよね。山西さん村岡さんもやっぱりめちゃくちゃうまい。あとこれは以前見たときもそうだったんですけど、福地第一郎をやるタイプの役者さんがツボにはまることが多いんですよね私…土屋佑壱さんの熱いテンション、大好物でした(笑)

「グリーン・ブック」

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悪名高きジム・クロウ法がまだ法として存在する時代のアメリカを舞台にしたロード・ムービー。高い教養を持ち天才的なピアノの腕で知られた黒人音楽家が、差別と偏見の色濃い南部を旅する。旅の相棒はイタリア系の運転手兼用心棒。監督はピーター・ファレリー、今年のアカデミー賞助演男優賞と作品賞を受賞。タイトルは当時「黒人が安全に旅行できる」ホテルやレストランを掲載していたガイドブックのこと。モデルとなった人物は実在していて、今作の脚本にトニー・バレロンガの実子がクレジットされたりもしています。

カーネギー・ホールの上に住み、豪奢な暮らしをしているピアニスト、ドン・シャーリーは南部でのリサイタル・ツアーに運転手を雇い入れる。ちょうど勤め先がポシャったトニー・バレロンガは、運転のというよりもトラブル回避の腕を買われて8週間の南部旅行に出ることに。天才的ピアニストでいくつもの学位を有し、知性と教養が顔からあふれ出てくるような“ドクター”ドン・シャーリーと、黒人を「黒ナス」と呼び彼らが使ったコップをこっそりゴミ箱に捨てるような、粗野で無教養、家族への愛情は人一倍、そして偏見のただ中にいるようなトニーの凸凹コンビが旅を通じて変化していくさまを時にユーモラスに、時に辛らつに見せていく。

実際、映画館で見ているとなんども笑い声が起こりましたし、あのケンタッキー(と飲みかけのドリンク)をめぐるやりとりとか、ユーモアがふんだんに盛り込まれていて本当に楽しく見られたんですけど、ちょっと気になったのはなんつーか、この作品が10年前だったらもうちょっと違う印象を受けた気がするんですよね。もうみんなの意識はここを通り過ぎてるというか、今の時点では新しい意識をもたらしてくれるものではないって感じなんです。今の客が観たいのはこの「先」なのでは?という気がしました。

とはいえ、ドン・シャーリーを演じたマハーシャラ・アリと、トニーを演じたヴィゴ・モーテンセンの演技は掛け値なしに最高なので、それを観るためだけでもじゅうぶんチケット代の価値ある…!と思いました。マハーシャラ・アリ、本当にすばらしい!華やかなステージのその裏で倉庫で着替えさせられても、目の前にあるトイレを使わせてもらえなくても、その高貴なダイヤモンドのような精神には傷一つつけられない、というような佇まいなのに、あの車内でトニーに自分の寄る辺なさを指摘された時のあの孤独があふれ出るような表情…!何度か劇中でにっこりとほほ笑むシーンがありますが、最後の最後にこれ以上ない!ってぐらいとびっきりのやつが出るのがむちゃくちゃよかった。はー。

ヴィゴの演じるトニーがもうどこから見ても粗野で口先三寸のイタリア男なのすごいし、あのピザの食べっぷりとか、逆にしばらくピザ食う気なくすわ!って感じだし、あの旅に出るときの荷物を積もうともしない態度とか、イーッ!ってなる!なるんだけど、彼がひとつひとつ皮をめくるように偏見の鎧を脱ぎ捨てていって、ドクという人間と、トニーという人間が向き合っていく、その変化の描きようがたまんなかったです。あとほんとごめんね、指輪の民としてはとあるシーンで前髪の降りたヴィゴのショットに「マジか…こんな中年太り(役作りで体重を増やしたそう)満開でもこんなにかっこいい…ヴィゴお前ってやつはほんにうれしい男だよ…」と感慨に浸るのも忘れませんでした。ほんとうにふたりとも最高の演技を見せてくれたなという感じ。

描かれている差別のキツさに心が折れそうになりつつも、トニーが最初にドクのためにピアノのことで怒りを表すシーン(ここでトリオのメンバーに一目置かれたんだろうな)、聞かれていないとおもっていたイタリア語をドクが聞き取っていたとわかるときの苦さ、翡翠をめぐるドクの毅然とした態度、「どう考えても不衛生」な本場ケンタッキーのチキンにかぶりつくドク、最後の夜のナイトクラブ…。すてきなシーンがたくさんありましたし、手紙というモチーフを愛する私としては、この映画で手紙が大きな役割を果たしているのもすごく好きだったところでした。最後のモーテルのふたりの会話、本当にラヴリーだった!