「東大寺歌舞伎」

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  • 東大寺大仏殿前特設ステージ 中央ブロック7列26番

東大寺世界遺産登録20周年記念ということで、大仏殿前の特設ステージでの公演です。野外、ということで最初は迷ったんですけど、勘九郎さんの連獅子かぁ…観たいよなぁ…と思い切ってチケット取りました。ビビりなので、雨が降っても大丈夫なように近場にホテルをとって体制だけは万全にしていましたが、中村屋さんの御人徳でしょうか、連休前に続いた秋の長雨もぴたりとやみ、当日は文字通り最高の天候に恵まれました。しかも、あとで知ったんですけど翌24日が中秋の名月だったんですね。なにもかもすばらしかったです。ほんとうに、ほんとうに、心の底から、行ってよかったです。

特設ステージということで座席の配置がいまいちわからず不安もあったんですが(ちゃんと見えるかな?という意味で)、東大寺歌舞伎チケット持ってたらそのまま参拝もさせていただけたので、お昼間に参拝して今日の舞台の成功を祈願しつつ、自分の席位置あたりを鵜の目鷹の目で探しつつ(煩悩まみれだなオイ)、なんだかよさげだ!という感触を得て夜の開演を待ちました。七之助さんの「藤娘」のあと、舞台転換の時間があり、勘九郎さんと虎之介さんの「連獅子」という演目立て。

こういった野外の特設舞台で歌舞伎を拝見するのは初めての経験だったんですけど、やっぱり独特の雰囲気がありましたし、いつも拝見する舞台よりもかなり高めに舞台が設えられているということもあり、この役者の目線の違いもかなり心象を左右した気がします。なんというか、自分たちと「地続きのものでない」感覚がありました。

勘九郎さんは大河ドラマの撮影で長期間歌舞伎の舞台を休まれているうえ、役柄の関係でかなり体重を落として撮影に臨まれていると漏れ聞くので、久々の舞台でしかも連獅子の親獅子、どんなふうなのかな、とかなり緊張しましたが(なぜお前が)、いやーもう、狂言師右近の最初の出から突き抜けるようなカッコよさ、凛々しさ、動きの確かさ隅々まで神経のいきわたった手の動きの美しさ。いくつか集音マイクが設置されていましたので、所作台を踏む音もいつものスパン!というキレのある音ではないのですが、文字通りあたりに太く鳴り響く音が何度も味わえて、もうずーっとこの人の踊りを観ていたい!!!という例の発作が開始5分ぐらいで頻発していたのでそうとうやばかったです。いややばかった。それなりに長い間勘九郎さんの芝居を拝見していますが、ここまでやばいのなかなかないです。ちなみにこのあともこんな感じの語彙力を喪った感想が延々続く可能性があるのでこのあたりで回れ右しても大丈夫です。

途中、仔獅子が木の影で休み、親獅子がその姿を探すところで、ちょうど東大寺の鐘がつかれ、演出?と思ったら(冷静になって!そんなわけない)毎日夜8時に撞かれてるんですね。なんという奇跡的なタイミング。国宝の名鐘の音を聞きながら「連獅子」を観るなんてなかなかできる体験ではないです。

座席がちょうど花横に当たるような位置だったので、左近が蝶々を追って花道をはいったあと、その背中をじっと見つめる勘九郎さんの表情が良く見えて、それがほんとうになんともいえない、慈愛と、もっとなにかいろんな情愛の塊のようなものをしのばせた顔で、いやもうあの一瞬、涙がでました。

狂言亀蔵さんと小三郎さん。亀蔵さんの安定感!ゆるぎない!すごく安心して見ていられましたし、小三郎さんもきっと心強かったのではないでしょうか。客席の反応もよく、さきほどまでのビリビリと張りつめた空気が一瞬ほどける効果があってよかったです。個人的なことを言えば、それまで勘九郎さんのかっこよさにあてられすぎて息も絶え絶えだったので(いやリアルで酸素!くれ!って感じだった)、ふたりのほんわかした空気にずいぶん助けられました。間狂言って大事ね…。

このあと、舞台を照らす照明がぐっと落とされ、背後の廬舎那仏がいっそう大きく浮かび上がり、月明かりのなかで響く虫の声、風の音、木々のざわめき、ささやくような笛…決して無音ではないのに、これ以上の静寂はない、というほどのしん、とした空気。あの一瞬は忘れがたい。その中に現れた親獅子と仔獅子が、文字通り伝説の神の使いに見えた一瞬でした。

舞台の広さもいつもと違うし、獅子の台が設えられてから感覚が違うところもあったかもしれませんが(勘九郎さんが牡丹の枝にぶつかる場面も)、それをものともしない気迫のこもった踊り、見事の一語です。虎之介さん、後半やはり疲労があったか、片足でふんばりきれないところもあったりしたんだけど、それがまた親獅子に必死にくらいつく仔獅子そのものにも見えたりして、ぐっときてしまった。最後の毛振りも文字通りその必死さがよく出てました。でもって勘九郎さん、途中まではなんというか、節度ある毛振りだったんですけど、最後に「はい、ここでリミッター解除しまーす」みたいな瞬間があって、そこからがなんかもう、尋常じゃなかった。どうなってんのあのひとの首とか腰とか下半身とか。速さもだけど、なによりその速さに身体がまったくもってかれてない。そらおそろしい。おそろしすぎて身を乗り出すんじゃなくてのけぞりそうになったっていう。いやもうすごいというよりなんかこわいものみた!!!って感じでしたよ…。

幕がないから、最後どうするのかな、と思ったら獅子の台についたまま、溶暗していく暗転で終幕でした。この溶暗していくのがまた、背後の大仏殿のあかりとのバランスが美しくて、か、か、かんぺきかよ~~~!!と心の大喝采が出たわたしです。

その暗転での終幕が最高だったので、そのまま終演でもよかったぐらいなんですが、さすがに明かりがついてカーテンコール?らしき場面がありました。そりゃそうだよねあのままじゃハケられないよねみんな暗くて。虎之介さんが恐縮しきりでわたわたしてたのかわいかった。勘九郎さん、さっきまでの人外ぶりから一転して中村屋のお兄ちゃんの顔でした。虎之介さんに中央で挨拶するよう促すところとか、ぱっとふりかえって大仏さまに拍手を、と促すところとか、そしてふり返ってきちんと手を合わせてらっしゃるところとか。

帰路に就くと、頭上に月があかるく輝いていて、ほんとうに…夢のような時間だったな、と思いました。

贔屓の引き倒しのようなことをいうと、私は勘九郎さんの踊りにはどこか神性なところがあると思っていて、この世ならざるものに捧げられているもの、という純度の高い美しさを感じられるところが本当に大好きなのですが、洋の東西問わず、舞踊の起源ってそういうものなんじゃないかと思うんですよね。ほんとうにすばらしいときの勘九郎さんには、その捧げるものになっているような、透明ないれものになっているような、美しさがある。この日は、東大寺大仏殿という、長い長い時間を超えてたくさんのひとが信じてきたもの、その眼前での踊りということもあり、まさしく私の大好きな、そして尊敬してやまない勘九郎さんの踊る姿を観ることができて、ファンとしてこれ以上の幸せはなかったです。

私が最後に連獅子をみたときの勘九郎さんはまだ勘太郎さんで、仔獅子で、勘三郎さんが親獅子で、七之助さんと三人の連獅子は、ファンにも愛され、演者にも愛された演目で、きっと、これからずっと観ることができるんだろうと信じて疑っていませんでした。突然取り上げられたように勘九郎さんの仔獅子とお別れしたから、切ない気持ちになったりするのかななんて思ってたんですけど、でもこの日の勘九郎さんを観たら、もうその大きさが仔獅子の器からはたぶんあふれてしまってただろうなと思いましたし、そういう過程に立ち会えるのも、歌舞伎ファンの楽しみのひとつなんだなということを実感した気がします。まさに一期一会の、得難い観劇体験でした。すばらしかった。勘九郎さんのファンになれて幸せです。

「アントマン&ワスプ」

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インフィニティ・ウォーでありとあらゆるひとをいろんなもののずんどこに叩き落したMCU最新作。とはいえ全米公開は夏の初めだったのでね!かなり待たされた感じはありつつも、しかし今回ばかりはこのスパンがありがたかったかもしれない。ということでインフィニティ・ウォー欠席組のひとり、スコット「アントマン」おじさんの続編でございます。

1作目のラストでスコットが量子世界からの帰還を果たしたことが今回のストーリーの発端になる構成で、量子世界にいる母を連れ戻したいピム親子、量子世界へのアクセスで大金をわが手にしたいブローカー、そして量子世界に自分の寿命を引き延ばすヒントを求める女と科学者、この三つ巴が「量子世界へのキー」を争うという。そのキーであるピム博士の研究所が「ピム粒子」によって持ち運べるサイズになるため、ある一つの「特別な箱」が物理的にあちらこちらに行き来するゲーム的な面白さがありました。そして面白いことにスコット自身はこの箱に対する動機がないんですよね。その動機がない中で、かつ自分が2年間の外出禁止令下にあるという状況でどうこの乱戦に絡んでくるかというのか見どころ。

いやもう、最初のスコット邸でのキャシーとの自宅全面アトラクション改造、あれだけで「スコット…なんていいパパ~!」って感慨と「この癒し…待ってた~!」っていう感慨がせめぎあいました。せめぎあいましたね。つーか本当全面にかわいいしかなかった。全面かわいいしかないのにアクションの面白さとスリルがちゃんと維持されてるのすごいし、巨大化縮小化で考えられるありとあらゆる楽しさと夢と萌えをぶっこんできたので本当すごい。あの中途半端サイズのスコットまじ…まじで…私がホープなら絶対記念に写真撮りまくる…。またキャシーちゃんとパクストン夫妻が最高にかわいい…なにあの4人のハグ…あとスコットの中身がジャネットになる例のシーン、ポール・ラッドの上手さが炸裂していた。ひーひー言うほど笑いました。考えてみたらすごい感動シーンなんだけどな!?

でもってなによりえっそういう展開になるのか、と驚いたのが、エイヴァの「キャシーを巻き込む」作戦にフォスターが敢然と異を唱え、それを「絶対に超えてはいけない一線」として死守させたことです。だからこそあのラストシーンがあるんだけども、その種の説得をするキャラクターがいるのは珍しくないですが、その説得を聞き入れるという展開はかなり新鮮でした。それにしてもシールド時代のピム博士の人間関係拗らせ(本来の意味で)ぶりはほんとすごいわね…。

そしてアントマンといえば忘れちゃいけない3人組。マイケル・ペーニャは今回も最高でした。自白剤をめぐるやりとり最高だしあの「ザ・ペーニャ・タイム」とでも名付けたい圧巻の喋るジュークボックスぶりを今回も堪能できて言うことない。本当に常に最高。3人組といいホープといいキャシーといい、最終的にFBIのウー捜査官までもとりこんじゃうし、やっぱりスコットさんのレノアハピネス能力すごいよ(周りに幸せを振りまくの意)。

で、あのポストクレジットシーンなんですけどね。ほんと高低差ありすぎて耳キーン案件だよね!わかる!とはいえ私はスコットは絶対残る以上ホープはそうなのかなって思ってたので、あっピム博士もかーという方の驚きと、まさかスコットが量子世界にインした状態でああなるとはという驚きでしばし茫然としました。本当にあの紫芋ゴリラ絶許だよね。とはいえ、次のMCUはキャプテンマーベルのターンであり、キャロルがこの量子世界のスコットと共にアベ4への勝利の布石になるはずだ…!と勝手に信じているのでやっぱりwktkが止まりません。ということでアベ4の日本公開日早くください~!

「夫婦」ハイバイ

2年半のスパンで再演、かつ芸劇地下のシアターイーストとウエストで「て」「夫婦」同時上演。同時上演なのでこちらの「お父さん」は岩井さん本人が演じておられます。お母さん役は初演に引き続き山内圭哉さん。

「て」が家族というかいぶつ(よくもわるくも)を描く作品だとしたら、「夫婦」は文字通り夫婦というかいぶつ(よくもわるくも)を描いた作品だと思うんですが、初演を見たときは描かれる「父親」の多面体ぶりにくらくらしてしまって、印象もそちらにかなりひっぱられた記憶があります。あの「釣った魚にエサやるバカいるか?」は、ほんとうに今舞台の上にいるおまえをなぐりたい!と思うほどに気持ちを逆なでされたけれど、今回はあの「父」に対する見方にかなり変化があった。それが岩井さんがやっているからなのか、再演だからなのかはわからない。初演の時は、どこかカリカチュアライズされたキャラクターとして観ていたところがあったように思うんだけど、今回は「本当にいる、そういうひと」として観ているところがありました。「ほんとうにおれはそんなに殴ったか」って息子に聞く場面も、以前は腹立ちのほうが大きかったのに、今回はなんというか…哀れさがあった。あと菅原さん演じる「岩井」さんが父の「食らいついていけよ」を瞬間、思い出す場面とか。

同じ屋根の下で暮らし、それぞれ別々に自分の食事の支度をし、別々に食べる、夫婦。病気になり、仕事をやめたあと、ふたりで食事に出かけていく夫婦。ついさっき見た舞台で、その孤独の絶望の果てにしね、と叩きつけた妻が、死にゆく夫の手を取って涙する、ざまあみろという思いと、その涙は、同じ人間の中にまったく矛盾なく両立している。家族を描いた「て」よりも、私にはまったく想像のつかない世界で、あの食事のシーンも、初演の時に「いいシーンだな」と思ったけれど、それよりも底知れなさを強く感じたシーンになったのが、自分でも驚きでした。

最後の演出は今回の方がすきだなー。千秋楽ゆえなのか、笑いどころがばらつくという感じがなく、よかったような残念なような(ここで笑うか?というところで笑いがくるのは削がれる部分もあるけど、この芝居に関してはひとがなにをこの場面に観ているのか、がわかって興味深い部分も大きいと思う)。

山内さん岩井さんがいいのはもちろんだけど、ハイバイにおける菅原さんの「いい仕事」ぶりは今作に限らず図抜けてるな!と改めて思いました。菅原さんの役をべつのひとがやると、また全然ちがった手触りの作品になりそうな気さえします。連続上演だからこそ「岩井家サーガ」を俯瞰で見るような面白さがあり、以前の観劇時とは違った感覚で楽しめてよかったです。それにしてもこれを同時に演出する(片方には出演もする)岩井さんて…すごすぎるな!

「贋作・桜の森の満開の下」NODA MAP

89年初演から、歌舞伎版もふくめて野田秀樹の手がける五度目の「贋作・桜」、初日に拝見してきました。今後パリ公演を経て大阪、北九州、そして再び東京と長いスパンの公演なので、自分の観劇はまだまだ先だなあ~という方はご覧いただいてからお読みくださったほうがよいかもしれません。

タイトルの通り、坂口安吾の「桜の森の満開の下」、そして「夜長姫と耳男」を下敷きとした作品です。桜の森の下で名人への近道をたどってヒダの王国にやってきた耳男は、夜長姫と早寝姫、ふたりの姫を守護するミロクを彫り、他のふたりの匠と競い合うことを求められる…って、ふふふ、原点にかえってあらすじを書いてみようとおもったけれど、どだい無理なはなしだった!(投げるのが早い)

演出面で過去の上演ともっとも変化した点はなんといっても使用楽曲を総入れ替えしたことではないでしょうか。歌舞伎版でさえそのまま使用されていた音楽も今回はすべてオリジナルスコアに差し替わっています。パリ公演があることを意識しての選択かな~。たしかに、既存曲を使用するのはイメージの固定につながってしまうかもしれない。オリジナルスコアも、雰囲気としてはもともと使用していた楽曲のトーンを踏襲しているので、雰囲気に大きな変化があるという感じではなかったです(パンフレットにそれぞれのテーマ曲名と作曲者一覧あり)。

舞台前方に下手に向かって傾斜のついた張り出し舞台があり、そこからの出ハケがけっこうありました。あれ、花道のイメージなのかなあ。だとすると、今回の大阪公演のコヤが新歌舞伎座なのが俄然楽しみですよね。桜は大阪でかかるときは南座中座そして新歌舞伎座と、いつも花道のあるコヤなのがたまらない。

舞台中央に大きな桜の木があって、そのうしろにも空間がある装置だったので、上下(かみしも)にハケるのとその桜の木の奥にハケるパターンとあったのがよかった。動線が左右だけでないの大事。大きな紙を使ったり、伸び縮みする紐を使ったり、あとなんといってもあの布遣い!ひさびさに野田さんお得意のあのたっぷりした布を多用した演出がたくさん見られたのもうれしかったです。

ツイッターでも書いたのだけど、この演目には本当に思い入れがありすぎて、こじらせ寸前というかいや完全にこじらせ満開だったわけですが、昨年歌舞伎版が上演されて長年の怨念というか執念というか、そういったモロモロが浄化、成仏したようなところがあり、この初日もどこか新しい作品を観るような気持で観られたのは自分にとってすごくよかったことでした。

そういう新鮮な気持ちで見てあらためて、この作品の何がいちばん好きか?と言われると、それはやはりこの圧倒的な美しさに行きつくんだろうなと思いました。その美しさと、その裏側にあるただ孤独、ただぽっかりとなにもないその静寂、そこにただじっといて、どこへでも参れる者たちが見つめる彼岸、その混沌。17歳でこの芝居を見たとき、私はなにもわかっていなかったかもしれないけれど、でも同時にいちばん大事なものはその時にちゃんと受け取っていたんだなあと思います。好きなものは、呪うか、殺すか、争うかしなくてはいけない…。

これ以上ない、と思われるほどのキャストをそろえての上演で、夜長姫の深津絵里さんは17年前に続いてのキャスティングになったわけですけど、いや本当に素晴らしかったですね。登場のシーンの笑い声が毬谷さんにそっくりで、近づけること、似ることを全然おそれてないというか、むしろ寄せてきている感すらあった。パンフのインタビューで、毬谷さんの夜長姫から生まれたものがこの作品にはあって、それは自分にとってとても大事にしたいものなのだ、ということを仰っていて、いやもうすげえなと。こんな肚の据わった女優いるでしょうか。最後の耳男との対決、今までは客席に背を向けて耳男と対峙し、舞台奥でこちらを向くと鬼面になっている…というパターンだったんですけど、今回は桜の木の下に立っている夜長姫が一陣の風(これを紙で表現する)にあおられると鬼面になっている…というのがんもううううぞっとするすばらしさで、深津さんの深い声とコケティッシュさ、少女のようでもあり老婆のようでもある佇まいとあわせて忘れられないシーンのひとつです。ほんとうにすばらしかった。どれだけ言葉を尽くしても言い足りません。

妻夫木くんの耳男、野田さんはぜったい妻夫木くんのあの独特な明るさを持つ声を気に入って、大事におもってらっしゃるんだろうなと思うんですが、その魅力が耳男という役にスパッとはまっていたなあと思います。あの最後の夜長姫とのシーンね、あそこでヒメに取りすがって泣くというのは今までにない見せ方で、これも妻夫木くんの耳男のどこか歪みなさ、子どものような明るさがあるからこそぐっとくるシーンだなと思いました。オオアマの天海さん、いやもう「麗人」を絵に描いたらこうなりました感がすごい。美しさではダンのトツです。後半もオオアマの冷酷ぶりというよりは貴人の苦悩ぶりがぐいぐい感じられるキャラクターになっていた感じでした。マナコの古田さんも17年ぶりの続投、ご本人も好きな役でしょうし(いやマナコ好きじゃないひといないでしょ)(暴論)、殺陣もあり、銀座のライオンの台詞も残り、初日でもちゃんとファニーな空気を舞台に創り出していて、千両役者だねぇ~相変わらず~と感嘆。

成志さん、藤井隆さん、大倉くん、秋山菜津子ねえさんで鬼カルテットなんだけど、こんな豪華なカルテットありかよっていうね。初日ですでに楽しそうでした。ハンニャのキャラに「やたら哲学的な用語ふりまく」って要素が加わっていて、チェーホフいじりがめちゃくちゃウケていた。野田さんも楽しそうにヒダの王をやってらっしゃいましたし、銀粉蝶さん門脇麦ちゃん、いずれも盤石。ほんとにすごい座組ですよね。

演劇というものに出会ってまもなくこの芝居を観て、ほんとうにずっと忘れられなくて、あの降りしきる桜を観ていると、その30年前の自分が思い出されるようでもあり、こうしてずっとずっと好きでいさせてくれ、夢を見させてくれた芝居を胸の中に抱きながら観劇人生を送ってこれたこと、大げさでなく人生の幸運だったと思います。大阪公演も拝見する予定なので(上本町に再び野田秀樹が!それだけでおセンチの花咲き乱れます)、花道のあるコヤというのも含めてどんな「贋作・桜」になるのかとてもとても楽しみです。

最後になりましたが、昨年歌舞伎版をご覧になった方(卒論・修論坂口安吾をテーマにされたそう)が書かれたblogのリンクをはっておきます。エントリは3つ。何度読んでもすばらしく、この舞台の一端を掴みたい!と思う方にはこれ以上のガイドはないのではないでしょうか。ぜひご一読を。
meyyou.hatenablog.com

「て」ハイバイ

最初に見たハイバイが09年に上演された「て」でした。たぶん、誰かの熱い推薦を目にして足を運んだと思うんだけど…誰だったか覚えてない。いや拝見した舞台のことはよく覚えています。ハイバイで上演されるこの演目を見るのはこれで3度目です。

3度目なので、もちろん芝居全体の構造、展開も頭に入っており、没入して観るというよりは「このあと」のことを考えてそれぞれの登場人物の反応を観てしまう、みたいなところがありました。最初のリバーサイドホテルのときに長男がどんな顔してるかとかさ。それにしても、つくづくよくできた脚本ですよね。構図を逆転させる見せ方、それだけではなくて、見えているものだけが真実ではない、ということまで描ききっていて、いやはや、すごい。

なんとなく俯瞰したスタンスで見ていても、いやそういうスタンスだからこそかもしれませんが、たとえばお母さんがクラス会に参加している友人に電話で話す場面とかで、一気に物語のほうへ引っ張り込まれてしまう。あそこのリバーサイドホテルはほんと…何度見ても痛く、可笑しく、せつない。名シーンですね。

今回はお母さん役に浅野和之さんがキャスティングされており、平原テツさんの長男、猪股さんのお父さんは続投ですが、全体的に刷新された顔ぶれになりました。浅野さんのお母さん、どのシーンももちろんすばらしかったんだけど、あの長女との会話のシーンがとくによかった。離婚を考えたが、夫の圧に耐えられない、あの男性の性器がむきだしで迫ってくるような…と語るところ。「夫婦」でも「岩井」さんがそう語る場面があり、これは作家自身が自分の家庭に持っていたひとつのイメージなのだと思うけど、そのいたたまれなさが本当にひしひしと感じられる場面になっていた。ちょっとしたバランスで笑いの方にも転がりそうな場面なんだけど、浅野さんの手綱さばきはあまりにも絶妙だった。唸るしかない。

今まではきょうだいのうち誰かに反発したり共感したりみたいなところが少なからずあったのだけど、今回はそういう引っ張られ方があまりなかった。長女の善意モンスターぶりも、次女の自分だけの大きなこだわりも、次男の無邪気という名の無神経さも、長男のわかりにくいさびしん坊ぶりも、どれもほんとめんどくさいなと思ったし、めんどくさいなと思いつつ、きらいじゃなかった。

しかし、あの葬儀場での讃美歌、あのシーンであんなに泣いたのは実は初めてだった。自分でもちょっと驚いた。以前の観劇と今回の間で自分の心情に変化があったというわけではない、と思うのだけど、あれだけどしゃめしゃな家族であっても、看取る、という行為にある絶対的な寂しさがあって、でも寂しさだけじゃなくてなんというか、安堵というか、辿り着くべき所に辿りついたのだ、というようなしんとした気持ちが、棺を囲む「家族」を観ていると急に胸に迫ってきたのだった。暗転の中で響く讃美歌、すばらしいですね。やっぱりどんどんブラッシュアップされた上演になっていってるのだなーと思います。

そういえば「て」はいちど「その族の名は家族」に改題されてプロデュース公演?みたいな形で上演されたこともありましたね。でもやっぱ「て」のほうがいいタイトルだと思います。「て」ってつまり、あれだもんね、おとうさんゆび、おかあさんゆび、おねえさんゆび…だもんね。なにをどうやっても、家族は家族でしかないという、祈りと呪いのつまった名作にふさわしいタイトルだと思います。

「オーシャンズ8」

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当時豪華キャストを集めに集めまくった「オーシャンズ11」の女性版。監督はゲイリー・ロス。リブートというよりも、オーシャンズ11のフォーマットを踏襲しつつ、あの世界線と地続き(主人公がダニー・オーシャンの妹で、オーシャンズ13のその後)という設定です。

デビー・オーシャンの出所シーンからはじまり、獄中で練り上げた作戦の実行のためにかつての仲間を訪ね、人集めが始まる…という、クライムムービーの王道の描き方。標的となる舞台がハリウッドでもっとも華やかといっても過言ではない(毎年趣向を凝らしたドレスが話題になりますよね~)メットガラ、そのホストに選ばれた女優の懐に入り込み、カルティエの門外不出のお宝を引っ張り出すという趣向なので、コン・ゲーム的要素もふんだんにあります。

こういったコン・ゲーム的なものでいくと、観客としてはダマす方もダマされる方も味わえる、カモをひっかけるスリルと同時に、計画の綻びのように見えたものが実は、という展開があるのが個人的に醍醐味だと思うんですけど、この後者の「観客に対するひっかけ」が薄いというか、あまりにアッサリしていたのがちと残念ではあったかな~。計画実行自体にもう少しヤマがあって、それがあの冷蔵庫の中身に繋がっていました…という展開だとなお好みだった。

とはいえ、今回のキャスト、サンドラ・ブロックケイト・ブランシェットアン・ハサウェイ、リアーナ等々文字通り綺羅星のごとき花も実もあるスターを集めていて、彼女らの自由闊達さを堪能できるという点ではとても目に楽しい映画でしたし、それにもうあれだよ。なんといってもデビーの相棒ルーを演じたケイト様だよ。カッコよすぎた。まじで、カッコよすぎたわ。デビーを迎えにきたときのスキンシップ、あのレストランでの「乗る?乗らない?」を「あーんして」でやるシーン、胸がときめきすぎてこれこんな絵面が120分続くんかい!?無理!かっこよすぎて心臓によくない!って思いました。衣装もどれもこれもどれもこれも鬼のようにかっこよくてお似合い。ローズをスカウトするときのペールブルーのスーツ…拝む…デビーが過去の因縁のある男を計画の一部に組み込むことに異を唱えるとこも最高だったじぇ…デビーとルーのコンビはまあどこを切り取っても尊い!の連打でしたねマジで。

あと個人的にすき!てなったのがタミー。サラ・ポールソン最高じゃないですか。有能が服着て歩いてるってあのことか。正直作戦実行の要でしたよねタミー。調達屋なだけじゃなくて現場監督兼ねてるもん。あのヴォーグ誌に面接受けにいったところで、本物のアナ・ウィンターが出てきてキャー出たー!と心の中で大喜びしてしまいました。アン・ハサウェイのダフネもよかったなー。ローズがデザインした劇中のドレスが、ローズがウリにしていたというゴスっぽさがまるでなかったのがちと残念だったんですけど、とはいえあのトゥーサンとピンクのドレスは彼女にむちゃんこ似合ってたし、最後の最後まで魅力爆発してたなーと。あとリチャード・顔がいい・アーミティッジが満を持してド正面からの顔がいい役なのも楽しかった。デビーが再会してつくづく「顔はいい…」って言っちゃうの頷ける。

かっこかわいくて自由な女性たちがわいのわいのと一山儲けるところを気楽に楽しめるよい映画でした。あの、チームが解散するときのさ、それぞれのキャラクターの「その後」みたいなショットが出るけど、ルーがさー、バイクで海岸線をひとり気ままに飛ばしてるっていう、み、見たことある!なんか一仕事終わった後の男がなぜか馬とかバイクとか車に乗って去っていくイメージ映像みたいなあれ!!!と思ってひとり大ウケでしたし、女も馬とかバイクとか車に乗って風の吹くまま気の向くままだよってエンディングが成立するようになったかと思うと嬉しかったです。地に足なんか頼まれたってつけないぜ!

「銀魂2 掟は破るためにこそある」

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銀魂1を公開して翌年にもう続編の公開!1を公開する前からスケジュール押えないといけないような面々を揃えてこのスピード。福田監督の人徳なのか作品の人気ゆえなのか!

最近著しく勘九郎さん摂取量が減っているのと、原作未読(ごめんなさい)ながら今回は真選組がメインのお話らしいよという前情報につられていそいそ見に行ってまいりました。勘九郎さんのムビチケも買ったし!推しに貢献している!かもしれない!

前作に引き続きジブリエヴァを引っ張ってくるルール無用のパロや、自虐もふんだんに取り込むギャグで物語を盛っていくのは福田組ぽさある~という感じ。将軍接待のあれこれがどこまで原作準拠なのかわかりませんが、結構ウケてた。そして前回と同じく佐藤二朗さんの自由演技に沈没寸前になってる共演者もしっかり使われてましたね。

今回は話のメインが真選組の乗っ取りを狙う伊東鴨太郎(三浦春馬くん)の暗躍と、それを阻止する沖田総悟土方十四郎の活躍、それに絡んでくる万事屋の3人、というところで、普通に「新選組」の話としても盛り上がる部分だし、人気のエピソードというのもよくわかる。この近藤土方沖田の関係性はあんまり説明しなくても、みんなわかるよね!という共通認識のもと話を進められるし、実際まあなんとなく察しがつくんだけど、とはいえやはり映画は映画で一つの物語なので、この中でだけ拾われるフックをちゃんとかけてほしかったなという感じは正直ありました。沖田があそこで激昂する所以とか、近藤と土方の確執というか、ハメられたゆえの行き違いがやっぱりちょっとでも描かれるのと描かれないのとで、場面場面のカタルシスが全然違うんじゃないかと思うんだよなあ~。

非常に力のある、絵力満点のシーンがたくさんあるんですが、しかしそれを有機的につなぐ物語の糸が不十分に感じられたのが個人的にはちょっと乗り切れなかったところでした。原作は長い歴史がある物語だからこそそれぞれのキャラが重層的になっており、だからこそ「泣ける」物語になっている部分が、やっぱりこの2時間強(というか、エピソード二つが組み込まれているので、実質1時間程度)で描くには、脚本が薄いな~という感じが否めない。

キャラクターそれぞれの漫画的キャラの見せ方という点ではそれぞれいい役者持ってきてるな!感があるし、吉沢亮さんの総悟も柳楽優弥さんの十四郎もそれはそれはむちゃんこかっこいい。あの「…死んじまいなァ」のところは今の!今の絵もう一回!ってなるわねそりゃ。柳楽くんのどシリアスさとオタクキャラを揺れ動く描き方もよかった。というか個人的にあの「最後の1本だ」のところがいちばん好きなところだ。窪田くんはもう、この際「実写化請負人」と呼びたいぐらい実写化にお声がかかってて、それで毎回それなりに高評価で迎えられるのがすごいんだけど、なんでしょうねあのキャラをモノにする感に長けたあの感じ。小栗くんとの一騎打ちかっこよかったです。三浦春馬くんはもともと贔屓にしてるというのもあるけど、これまたクールビューティで言うことなかった。そしてあの腕が吹っ飛んでからの芝居がまたよかった。あの土方との渡り台詞なー!あれめちゃいいとこだからもっとかっこよく演出してあげてー!と思ってしまう、そう私は渡り台詞にうるさいオタク…(どんなだよ)。

総じて、アクションシーンのつなぎもなにがどうなってこうなった?というのがいまいちわかりづらく、原作のかっこいいシーンを絵力のあるキャストをそろえて再現してみたガラコンサート的な感覚が最後までなくならなかったのが、個人的には残念なところでした。

勘九郎さん演じる近藤勲、今回はみんなに慕われちゃう役だし全然脱いでないしめちゃ台詞喋るし沼津の十兵衛もかくやってぐらい泣くし(喩えがニッチすぎでは)、隊服もとっても似合っててかっこよかったざんす。しかしこの中でもっとも身体能力が高いと思われる(いや、本当にそうかどうかはわかんないですが、贔屓としてここは大きく言わせて…)勘九郎さんがまったく殺陣をやらないのはもったいない。ああもったいない。とはいえ、ご本人はめちゃ楽しそうにやってらっしゃったし、主演自ら「今回はにぎやかしです」と言っていた小栗くん菅田くん橋本環奈ちゃんの万事屋トリオもめちゃ楽しそうでした。鴨太郎の走馬灯シーンで出た宴会場面で勘九郎さんが春馬くんのほっぺにちゅーをかましており、あっ春馬くんごめんねごめんねとなぜか心の中で手を合わせたことを付け加えておきます(笑)