「相対的浮世絵」  MONO

舞台はとある田舎の、墓地にある公園。そこに呼び出される二人の男。会話の内容から、二人はどうも「幽霊」としか思えない昔の友人(と弟)に呼び出されているらしいことがわかる。しかし現れた二人はまったくそんなヒュードロドロな感じはない。「お化けじゃないならなんなんだ」「俺はお前の友達だよ」。過去に抱えた因縁をしまいこんで、4人は話す、話し続ける。

さほど物珍しい設定でも展開でも無いと思いますが、MONO流に見せていて見事。うまいなと思うのは、終盤生者のエゴと死者のエゴがそれぞれくっきりと浮かび上がるところ。今回話の筋からいくと簡単に肩入れする方が決まってしまいそうなところなんだけど、そうは書かないのが土田さんの土田さんたるゆえん。

死んだ彼らにはあの時で止まってしまった思いがある、生きてる彼らには「人生は続く」がゆえの重みがある、だからこそ「600万の金」を「僕らのために返して」というのは「そ、そりゃそうなんだけど・・・」という思いと共に「何でそんな簡単に言えるんだ」って思いもありますわな。当たり前だけど死んだ二人には600万は重くない。でも生きている二人には、その金は重い。重すぎるほどに。

「後悔を抱えて生きていく」というのに私は非常に弱くて、だから4人の会話が火事の話になったとき、「話してくれ。俺は逃げたんか?」という智朗の掠れるような声がもう辛くて辛くて。迷惑だ、って関が言ってしまったあと、智朗と関の二人が「座る」「立つ」の言葉を逆にいうゲームの仕草をして「せいせいした」と言い合うシーンが・・・せ、せつねーんだよーーー!別れの時に智朗が言う「おまえら俺の友達と弟だろ」って台詞も、小技が効きすぎて憎いほどうまい。

でも結局、遠山と達朗の二人がいてもいなくても、関と智朗は結果的にはこうなるしかなかったのだろうと思う。お互いにっちもさっちもいかないところまで来ていたわけだし。でもだとすると、自分達のやったことが露見してじたばたして挙げ句同じ結果を迎えるところだったのを、「友人のために全てをなげうった」という清々しい気持ちで迎えられたわけで、だからやっぱり、あの二人は結局関と智朗を助けに来てくれたわけだ。

MONOの役者さんは皆さん大好きなんですけど、今回は中でも金替さんの印象がやはり強い。去っていった二人をじっと見つめる姿が、心に残りました。