「映画 中村勘三郎」


東京で上映しているときはタイミングが合わなかったのですが、ゴールデンウィークで帰省中に大阪の第七藝術劇場で上映してくれる、ということで連休のさなか足をはこんできました。
この10年間の密着取材から厳選された映像、ということで、フジテレビでも折に触れ放送されていた「中村屋」特集で見たおぼえのあるものもあれば、初めて拝見する映像もあり。この10年の、ということだったのでちょうど私が勘三郎さんの舞台を熱心に見始めた時期と重なっていて、どれもこれもその舞台を観た時の思い出と一緒にいろんなもの頭の中を駆け巡りました。

まあもう、泣かないようにしようとか思っても無理なときは無理なので、いちいち涙をぬぐっていてもきりがないし、涙が出る時は出るにまかせていましたが、自分でも思いもかけないところで反射的に涙があふれたりするのが不思議ですね。あれどういう仕組みなんだろう。どうせ誰も私のことなんか見ていないし、みっともない顔になったってよか、と開き直ったりしてね。I will not say,do not weep; for not all tears are in evil.わしはいわぬ。泣くなとはな。すべての涙が悪しきものではないからじゃ。

映画の中で印象に残った場面。平成中村座仮名手本忠臣蔵をやったときの楽屋裏で、勘三郎さんが勘九郎さんに言っていたこと。おまえはね、肚はできているかもしれないけれど、それが伝わらないんだよ。

歌舞伎の型っていうのはよくできてるんだよ、そう勘三郎さんは言った。その役の感情を遠くまで一瞬にして伝えきる、それの集約されたものが型なんだと。そう言いながら勘九郎さんの前で先ほどダメ出しをした芝居を一瞬演じてみせる。ほらね、なにも思ってなくてもここまでできるんだよ。やりながら晩ご飯のハンバーグのこと考えてたってこれだけできるんだよ。ハンバーグのこと考えてもいいってことじゃないよ、もちろん。

私は以前勘九郎さんの芝居を長距離走者のそれに例えたことがあるけれど、勘九郎さんの芝居には確かにその役の肚、とでもいうようなものが地続きに感じられることが多く、それはもちろん途方もない魅力のひとつなのだけれど、勘三郎さんにはそれだけでなく、どこか短距離走者のような、一瞬で爆発する花火のような魅力があるよなあと思っていたので、この言葉(と、それを実際にやってみせたこと)にはなるほどと思わされるところがあった。

実際に勘三郎さんの芝居を見ていると、ほんとうに一瞬にしてその役の感情が立ち上る炎となって見えるようなことがあって、我ながらあまりにも貧困な比喩に嫌気がさすが、でもそうとしか私には言い様がない。あの一瞬につかまってしまったらもうだめだった。もう一度、もう一度、何度でも、それを味わいたくなってしまう。

勘九郎さんにもそのようになってほしい、というのでは全然なくて、おふたりはいろんなひとに似てきた、似てきたと言われることも多いし、実際にそういう部分もあると思うのだけど、勘九郎さんは勘九郎さんで、勘三郎さんは勘三郎さんだよなあ、とあたりまえのことを最近とみに思うようになった。

映画は平成中村座が2004年7月にNYで公演を行った「夏祭浪花鑑」のシーンから始まっていたんだけれど、そのNYの初日に、わたし、いたんだよなあ、ってしみじみと思いました。あのときのわたし、えらかったね。10年経って、ますますそう思う。あのときの私には実際にそれをするのに必要な知識と時間とお金があって、なによりそれを実行する決断力があった。懐かしい。今となれば、いいことしか思い出せません。

だんだんと、もういない、という現実に胸をふさがれることよりも、今はちょっと会えないだけ、というような気持ちのほうが強くなっている気がします。二度と見られない、という現実に打ちのめされるよりも、あの時あの瞬間の輝きを何度も胸の中で反芻することが多くなってきた気がします。あの扇町で見た、劇場を、世界を突き破っていく彼の人の背中を、疾走する背中を、何度でも何度でも、いつまでもいつまでも、見つめているような気がしてきます。