「昭和レストレイション」パラドックス定数

  • 三鷹市芸術文化センター星のホール 全席自由
  • 作・演出 野木萌葱

東京裁判」に引き続き2回目のパラドックス定数。今回の題材は昭和11年2月26日、2.26事件です。授業で習う程度の知識しかないままで拝見しましたが、いやあ、とてもよかったです。

見終わった後で226事件のエピソードなどを見ると、実際にあったこと(首相官邸襲撃のエピソードなど)をきちんと踏まえているのがわかって、今回はそこに「死んだはずの男」という鍵をつかってこの226事件の襞を描いていくところがすばらしい。「東京裁判」のときの印象から、もっとガチガチに思想論が飛び交ったりするのかなと思っていたんですが、「死んだはずの男」が描かれることによって芝居にユーモアがふんだんに含まれていくんですよね。おかげでとても見やすかった。見やすかった、ということは、心を開いて観ることができた、ということで、だからこそ最後のシーンでは胸が詰まる思いでした。

近藤芳正さん演じる巡査部長が、彼らの決起の青さを、早計さをなじる場面がある。大人になれば今きみたちがおもっているようなことを、誰の血も流さずにできるようになる。なぜいつか、もっとよくなるにちがいない、それを信じることができなかったのか、と。終始落ち着いた声の青年将校は返す。そのいつか、に自分はもう、おりません。

私はもう、大人なので、23歳や27歳だという彼らのその近視眼的な世界観よりも、30年という歳月を経た巡査部長の言葉に共鳴してしまうところがあるのは当然といえば当然なんですが、その巡査部長に、30年という歳月を言い訳にしてぼくたちをそんな上の方から見ているだけだ、あんたは、という上等兵の言葉にははっとさせられました。

誰かのためにやったこと、がすべてオセロのように反転していき、自分たちが反乱軍、逆賊となったことを悟った青年将校下士官兵、そして死んだはずの男たちは、降りしきる雪の中、その雪をぶつけながら「226ごっこ」を始める。見えない軍刀を振り回し、見えない拳銃を撃ち、見えない銃弾に倒れる。ごっこはいつまでも続く。最初から、そうだったらよかったのにね。撃ちたいものがあれば撃てばいい、それが若者の特権だ、けれどそうやって本物の銃で人を撃ったおまえらはおおばかものだ、という巡査部長の言葉がよぎる。ごっこならよかった。雪合戦ならよかった。やったつもり、だったらよかった。本当に?もうその答えはわからない。

降りしきる雪と投降をよびかけるビラの中、地面に横たわっていた彼らは、遊び疲れた子どものようにも、無残にも相討ちとなって死に絶えたようにも見えました。もしかしたら、「死んだはずの男」は、取り返しがつかなくなる前に戻りたいという青年たちの想いが見せたものだったのかな、なんて。

障子だけで構成された奥行きのあるセットよかったなー。中尉役の植村宏司さんがんもーーとにかく美声で口跡がよくて、いやああなたが読み上げる蹶起趣意書ならもうずっと聴いていたいです…!って下士官兵の気持ちを味わいました。味わってどうする。若い座組のなかに、実際に劇中の「30年」を経た近藤さんが加わっていることがすごく効果的だったと思います。カーテンコールがダブルになり、野木さんが「初めてのダブルコールです」と仰ってましたが、確かにキャストの皆さんの「出ていいの?いいの?」みたいな戸惑いがあって、その初々しさと、なんともいえない高揚感がない交ぜになった表情、よかったです。いい顔してるぜ!