「殺風景」

実際の事件(大牟田4人殺害事件)が題材。概略をまとめたwebの記事でさえ「連鎖的な殺人、死体遺棄に至ったと推測されているが、未だに真相は解明されていない」と書かれる事件、それをこの濃厚な布陣で。いやあ、堪能しました。

三井三池炭鉱で栄えた街、大牟田の昭和38年と平成14年を舞台は行き来します。ファーストシーンは平成14年。女の口ずさむ「黒の舟唄」、その背後で乾いた銃声が一発、そしてまた一発。

芝居の中で刑事が加害者に対し、ぶっ殺してやりてえな、そう思うことは誰にだってある、でも実際にはそんなことはしない、というシーンがあるが、その本来は横たわっている筈の「殺人」に至る前の深い河を、彼らはやすやすと飛び越えてしまう。まるで河なんて最初からないかのように。あったとしても「落とし前」「金」「家族の尊厳」「気にくわない」という単語の前には小さいことだとでもいうかのように。

特に凄いのはワゴンでの殺人を終えたあと、彼らが食卓で語るシーンである。この場面は徹頭徹尾すばらしい。兄弟はコンビニに晩飯を買いに行っている。待っている父と母は蕎麦屋の出前でよかったのではないかと話し出す。あの蕎麦屋の奥さんきらいよ、愛想ないし、と母は返す。兄弟はミートソースとペペロンチーノのパスタを買って帰ってくる。父親は聞き慣れないペペロンチーノという名前に戸惑い気味だ。サラダを買ってくるように頼まれたのに、それを忘れてしまった兄は、わー、ごめん、店に入るまで覚えてたのに、と母に謝る。母はわらってゆるす。またみんなで海を見に行きたいね、と家族は話す。俺はハワイがいいなと次男は無邪気に言う。ハワイは遠かよ、と皆がわらう。

それとまったく同じ温度で、ワゴンに両手足を縛り上げ監禁している、「これから殺す女」の話を、彼らは始める。

蕎麦屋で店内に入り込んだ蝶の鱗粉をも気にする母が、気にくわない女の殺し方を息子たちに相談する。枝毛を気にしながら、気にくわない女が持っているはずの大金の話をする。それはもう、私たちの金といってもいいんじゃないか、そう家族を煽る。

「殺した後に茶漬けを食う」、盟三五大切ではないけれど、非日常と日常が混然としていて、だからこそもたらされる凄みで満ち満ちたシーンでした。こんな状況でも人は笑うのだなあ。さわればじっとりと手に何かが残りそうな湿度なのに、どこか突き放したような視点が常にあって、それがとても印象的でした。

あなたの思っているような据わりのいい「真相」なんてきっとどこにもない、という台詞のように、これがこうなったから、この結果になった、というような単純な因果応報の図式を描けるようなことではないんだろう。もぐらと呼ばれた炭坑夫たちの、ここから抜け出したいという想い、今度こそ幸せになるんだという女の決意、それら一つ一つは誰しもが持つ夢なのに、どうしてこんなところまできてしまったのか。次男が姉にかけた電話は、「家族」としてふるまえる最期のよすがだったのだろうか、彼にとっては人間らしさを取り戻すためのSOSだったのだろうかと思うと、胸がふさがれる想いがします。

荻野目慶子、キムラ緑子、とキャストを見たときから、情念系ガチバトルが繰り広げられるのを期待していましたし、実際彼女らの凄みときたらなかったですが、大和田美帆さんがここまでやるとは!うれしい驚きでした。好きな男とはやりたくない、自分を嫌いな男とやるときだけ興奮する、というシーン、よかったなあ。あの中で飄々としていながらもどうしようもなさを全身から匂い立たせる大倉くんもいい仕事してました。笑わせて、ぞっとさせて。ほんっとヤな役だったな!(笑)あの濃い面子の中にあって舞台の芯に立ち、ここではないどこか、を目指していた筈の青年を、そして「そこではないところ」に辿り着いてしまった青年の諦観を演じてみせた八乙女くんもとてもよかったです。