奇妙な符合 とおまけの話

先週の土日でパラドックス定数の「昭和レストレイション」、コクーンで「殺風景」、新国立小劇場で「ロンサム・ウェスト」を見てきたんですけど、この3本がまったくの偶然にもどこか共通するテーマ、いやテーマとか言ったら大仰すぎる、共通する「行動」を描いているように思えて、いやーこういうことあるんだなーと。

3本ともに「銃」が出てくるということをツイートしたんですが、もっといえばその銃が同じような使われ方をするんですよね。端的にまとめてしまえば「詰めの甘い殺人」ということになるのか、もちろんイデオロギー大義のためであったり、金のためであったり、名誉のためであったり、憂さ晴らしのためであったりと目的はさまざまなんですけど、「銃」を使うことで何かを解決しようとする、というところは奇妙なほどに同じで、しかも「解決」したあとのことまで考えていないのも同じだった。

こういう経験は初めてじゃなくて、以前にも1回の遠征で選んだ3本がすべからく、突然やってきた「他者」に「家族」がゆさぶられる、という話だったことがあります。

閑話休題

「殺風景」にはHey! Say! JUMP八乙女光くんが出演していて、だからなのか若い、いや、ほんとうの意味で「若い」ファンの子だろうと思う人がたくさんいました。私の席も3列目のセンターブロックで、それこそ超良席といって差し支えないと思いますが、私の席からもたくさんの若いファンの子をお見かけしました。おそらく高校生ぐらいなのか、彼女らなりの精一杯のおしゃれをして(皆、どこか似たテイストなのも、いっそう若さを感じさせた)、髪をきれいに巻いて、赤い口紅をきゅっとひいた彼女たち、彼女たちにとっては今日のこの日はどんなハレの日なんだろう。自分の大好きなアイドルが、「大人」が集まる劇場でセンターに立っている。その姿を見るために、高いチケット代を払って、この劇場に足を運んでいる。

そんな彼女らを見ていたら、なんだかまぶしいようで、それはもちろん若さゆえのまぶしさじゃなくて、好きなものに対する真っ当な高揚に満ちあふれた姿に打たれたというか、ああこのハレの日の感覚、それはもうわたしが遙か昔にすっかり喪ってしまったものなんだなあっておもったんですよねえ。

私も最初に第三舞台を見た時は高校生だったわけで、だから彼女らとそう変わらない年だったはずで、あの時の私(たち)を見ながら周りの大人はどんな風に思っていたのかなあ。あの頃はほんとに、すべてが初めてで、すべてが新鮮で、自分が知らない世界に足を踏み入れたこと、それだけのことで高揚していたなあって思います。

今じゃなんなら、チケット取っていても出かける直前まで「ああもう、めんどくさい」とか思ったりするテイタラクですよ。

でもまあ、そうなってからが本番です、と言えるのが観劇人生の面白いところかもしれないですね。新鮮さ、というフィルターを外してなおこっちの懐に飛び込んでくるものを探し続ける終わりなき旅。ミスチルかよ。

今回コクーンに足を運んだ彼女らのうちひとりでも、何年か経た後でなお、劇場に「ハレの日」を探しにくる観客のひとりになってくださればいいなあなんてことを思いつつ。