「サバイブ!」自転車キンクリートSTORE

  • SPACE雑遊 全席自由
  • 作・演出 早船聡

もらったチラシの整理をしていて偶然見つけました。アッ自転車キンクリート名義の公演やるんだ…!飯島さんも裕美さんもスタッフクレジットにないけど、最近見てない、見てみたいな、と思ってチラシを読んでいたら「母」というものから抜け出せないまま四十路を迎えてしまった娘…とか…
見るしかない!と思うじゃないですか。

この物語には、「あなたのため」ということばで娘を縛る母親と、「娘の好きにさせている」という言葉で娘を縛る母親が出てくる。縛るという表現が適切かどうかはわからない。だが当事者の娘は確実にその見えない縄を感じている。母をがっかりさせたくないという意識、母を喜ばせたいという意識、そしてそれが果たせなかった時の罪悪感。

私も人の娘ですから、母親というものと対峙することはもちろんあります。尚子ほど従順でもなく、美奈子ほど反抗的でもなく、まあ、普通ですね。しかしそうは言いながらも、私自身今まで何度も「私って結局親の思い通りの道を進んでいる」って思ったことありますし、今でも思っています。実際、絵に描いたような「親が安心するような進路」でしたし。とはいえ、ここまで独身でいるというのは少々予定外だったかもしれませんが。

だから尚子が終盤母親に対して言う、「先生になりたかった」「でもお母さん必ず言うじゃない、『いいわよ、好きにしなさい。お母さん知らないからね』って。そうすると自分がどんどん悪いことしているような気になるのよ」「お母さんのことは心配よ、だけど私が心配したいように心配させてよ、私の心配の中に入ってこないでよ」っていうあたりは、ああ、ああ、って身につまされすぎて身悶えしました。

まあ、わかるんですよ。反対されても、先生になればよかったんだよね(いや私のことじゃなく)。母親だって、そこまで強い気持ちで言ってるわけじゃないんだよね。それを押しきる情熱が、強さが自分になかったんだよね。それを何十年後かにぶつけられても、そりゃ親も困るよっていう話だよね。それがわかる大人なわたしと、親のことばの「きっとわたしのしらない何かを知っているんだ」と思うからこその重さに縛られる感じを思い出す、あの頃のわたしが両方いたような感じです。

この物語でうまいなと思うのは、それとはまったく真逆(に見える)「娘のやることにものわかりのいい母親」も登場させているところで、この呪縛は呪縛でけっこうきつい。沙希と尚子が「結局のところ、この罪悪感とつきあっていくしかない」と語り合うところはよかったですね。ひとつ難を言えば、尚子が踏ん切るきっかけが人の死でなくてはいけなかったのかなーというところ。不可逆のものに接して初めて思い切るというのはちょっとあまりにも切ないし、踏ん切る方にも傷が深いように思いました。

久しぶりに自転車キンクリート公演を拝見しましたが、飯島さん&裕美さんの作品ではなくても、20代のときは20代の、30代のときは30代の「ありよう」を決して背伸びせず、そうそう、そうだよねと共感をもって描いてきたカンパニーの味はそのままで、うれしかったです。そして帰り道、どーにもお団子を食べたくなってしまったっていうね!