今までで最も苦労したチケット

「12人」のキャストも出て、オケピの青山でさえ激戦だったのにこれでパルコってのがちょっとオソロシスギですが返す返すも大阪公演があって助かったと咄嗟に思った自分本位な私です。

オケピ!は初演の時がすごく苦労したって記憶があって、各種先行のスタートダッシュに遅れたってのもあるんですけども、結局立ち見で見ましたね。近年では(と言ってももう5年も前だけど)一番苦労したチケットかもしれないです。

でも、「今までで最も苦労した」になるとそれはもう圧倒的に「朝日のような夕日をつれて'91」のチケットでして、下のエントリのコメント欄に書きましたけど、実は後にも先にもこのチケットだけ、ワタクシはちょっと「ズル」をしたんです。

91年の3月に「朝日」をやると知ったとき、どうしてもどうしても見たい、だから東京へ行かせてくれと姉妹二人で親を口説き落とし、チケットが取れたら行っても良いというお許しを頂いて電話の前に陣取る一般発売日。
第三舞台は一切の各種先行を許さず、とにかく発売日に紀伊国屋に並ぶか、電話かしかない。電話で果たして取れるのか?でももう情熱だけは有り余ってましたからね。その空回り気味の情熱が通じたのか、なんと開始15分ぐらいで繋がったんですよ!

「○月○日の公演、2枚お願いします!」
「はい、ただいまお席をお調べいたします・・・・・申し訳ありません、その日はもういっぱいですね」
「えっ・・・・じゃ、じゃあもう空いている日ならどこでもいいです!」
「ハイ、お待ち下さい・・・あっ。ごめんなさい、たった今全席売り切れました。

わかってもらえます?この時のショック。
まさに、目の前で、ほぼ手中にしたと思ったその瞬間に幸福が逃げていった!みたいな。
今でもあの時の強烈なやるせなさ感をありありと思い出せるほどですよ。
こんな_| ̄|○ポーズどころか頭が地面にめり込むほど落ち込む娘を見て、最初は「芝居見るためだけに東京なんて!」と反対モードだった親が、あまりのことに心配したんでしょうなあ、電話の前に置いてあったOTTS(第三舞台のDM)を見ながら
「これ、サントリーが後援してるのね?」
といきなりなことを言いだしたんである。
そうだよ、それがなんなんだよ、と娘はすっかりヤサグレモード。
「○ちゃん、サントリーに勤めてるから、チケット手に入らないか聞いてみようか・・・?」
!!!!!!!
そうか。そうだ。世の中には「関係者席」というのがあるのだ。っていうかその頃は本当にお子ちゃまだったのでそんな世の中の仕組みをわかってなかった。ちなみに○ちゃんというのは私の年の離れた従兄弟である。
いやもうそれから親の足に取りすがり是非聞いてくれ頼んでくれと平身低頭、もし無理だったらいいからなどと心にもないことを言いながら本心では「ここで取れなきゃ私は見れない」ということがわかっていたのですね実際。日曜日自宅でくつろぐ従兄弟をつかまえとりあえず会社で聞いてみてくれと頼んで1週間。
「取れたよ。」
拍子抜けするほどのあっさりさなのであった。すげえ!スポンサーすげえ!私がこの世で初めて「マネーパワー」を実感した瞬間でもありました(大袈裟です)。しかも従兄弟が言うには、
「社内に案内が来てたみたいなんだけど、誰も行かないんだよね〜。」
紀伊国屋に10日前から並んだ人が聞いたら、憤死するぞ。

後にも先にも、「コネ」というものを使ってチケットを手に入れたのはこれが最初で最後です。送られてきたチケットは、当日紀伊国屋ホールに座った瞬間「なるほど、ここが関係者席のすごさか!」と納得したベストポジション。その後数年に渡り、私達姉妹はこの従兄弟に対しバレンタインデーの付け届けを欠かさず、サントリーという会社に足を向けて寝れない生活をしてきました。今でもサントリー、大のひいき。おっほっほ。

今でも、チケット争奪戦が激化する公演には「うわーチケ取りどうしよう」と思いますが、この時の藁をもつかむ思いを思いだし、この必死さがあれば、きっと道は開ける!と信じてやまない私なのでした。