「夫婦」ハイバイ

初日に拝見。とても混乱する面白い芝居でした。「て」や「ヒッキー」のシリーズでも描かれた、岩井秀人さんの「家庭の事情」が描かれた作品で、今回は「父の死」が大きな題材のひとつになっている。

"人間とは多面体であって鯨を保護した同じ手で便所の壁に嫌いな女の電話番号書いて"…とは、松尾スズキ作「キレイ」の「ここにいないあなたが好き」の一節だが、多面体であると理解していることとわかる、ことは違う。「て」で描かれた岩井さんの父、理不尽な物言いをくり返し、暴力をふるい、誰に食わせてもらってるとおもってるんだ、と文字通りの圧力をかける男。物語の中でこうした人物を見る時、自分の知っているそれに近しいタイプになぞらえたりする人もいるだろうが、どこかで「子どもに手を挙げる男」という箱にその人物を入れることで安心する、わかった気になるという人も相当数いるのではないだろうか?私はまさにそうだった。そしてその同じ箱に今回の「夫婦」で描かれたもうひとつの父親の顔を入れることはなかなか簡単なことではなかった。そういう男ほど外面がいいもんだ、とわかったようなことを言うのは簡単だが、しかし彼は自分の職業に対しては少なくとも真摯ではあったのだ。作品ではそう描かれていると思う。妻に対して「釣った魚にエサやるバカがどこにいる」というシーンなど、あまりの憎らしさに今ここに卵があったら絶対あいつにぶつけている!と思うほどなのに、他人の私ですらそうなのに、単純に憎んだり、単純に好きになったりさせてくれるほうがどんだけ楽だろうか。

今回は母親役を山内圭哉さんが演じていて、その「かわいそうになりすぎない」匙加減にはずいぶんたすけられたなあと思う。芝居を観ていて、えっここで笑うのか、というところで他の客が笑ったり、逆にえっここで笑わないのか、というところで誰も笑わなかったり、というのは割と良くあることだけれども、この芝居はそのばらつき具合が顕著だったと思う。いつも同じ人が笑うというわけではなく、あるシーンは人にとって笑え、他の人にとってはまったくそういうシーンではない…という場面がたくさんあった。個人的に一番印象に残っているのは、母が父に対して言う、「わたしは、そうじが、苦手なの!」という訴えだった。私にはあの叫びは胸が苦しくてしょうがなかったが、同時に大きな笑いも起きていた。

しかし、あの父の病気が発覚してから、父が母を食事に誘うシーンは文句なくいいシーンだと思うし、実際涙ぐみもしたのだが、同時に「仕事を喪うと男ってこうだよな…」という気にもなった。夜長姫の台詞ではないが、「りっぱな仕事」といわれるものが男性を支え、または男性を歪ませるひとつの原因ではあるのかもしれない。

父親の病気の経過にまつわるあれこれは、聞いているうちにとある役者さんの奥様が書かれた手記の経過を思い出したりして、あまりそこは深く考えないようにしよう…と思ったが、もしかしたらこういうことは珍しい話ではないのかもしれない。その「珍しい話ではない」病院側のテンションと、当然ながら人生で一度か二度しか向き合わない事態である家族側の温度差の描かれ方も、面白く、同時に胸つまらせるものがあった。

菅原さんが演じる「岩井秀人」が本当に秀逸で、あのキャストのマネージャーと電話でやりとりするところ、絶対この話書いてやる!という捨て台詞など岩井さんが乗り移っているのではないかと思える面白さだったなあ。私は役者としての岩井さんもすごくセクシーですてきだと思っているので、もっとたくさん出て欲しいという希望もありつつ、あの葬儀屋のシーンはこの作品の中でも指折りのおかしみのある好きなシーンだった。鳳凰が描かれております、で笑いをこらえるのにとても苦労した。あと、「ヒッキー」が好きな私としては、岩井さんが引きこもりになったことを巡る父母の口論の中で「WOWOWに入ったわよ」という台詞があって、あっそうなんだよ、WOWOWにね、それでプロレスをね…となんだかうれしくなり、このうれしさはなんだろう、他人の知らない人生なのに不思議な気持ちだなんて思ったりしました。

笑いや悲しみだけじゃなく、いろんなことが1と1を足しても2で割り切れない、みたいな感覚がどこかに残っていて、でも観ている間とてもおもしろい、と思えた作品でした。