「夫婦」ハイバイ

2年半のスパンで再演、かつ芸劇地下のシアターイーストとウエストで「て」「夫婦」同時上演。同時上演なのでこちらの「お父さん」は岩井さん本人が演じておられます。お母さん役は初演に引き続き山内圭哉さん。

「て」が家族というかいぶつ(よくもわるくも)を描く作品だとしたら、「夫婦」は文字通り夫婦というかいぶつ(よくもわるくも)を描いた作品だと思うんですが、初演を見たときは描かれる「父親」の多面体ぶりにくらくらしてしまって、印象もそちらにかなりひっぱられた記憶があります。あの「釣った魚にエサやるバカいるか?」は、ほんとうに今舞台の上にいるおまえをなぐりたい!と思うほどに気持ちを逆なでされたけれど、今回はあの「父」に対する見方にかなり変化があった。それが岩井さんがやっているからなのか、再演だからなのかはわからない。初演の時は、どこかカリカチュアライズされたキャラクターとして観ていたところがあったように思うんだけど、今回は「本当にいる、そういうひと」として観ているところがありました。「ほんとうにおれはそんなに殴ったか」って息子に聞く場面も、以前は腹立ちのほうが大きかったのに、今回はなんというか…哀れさがあった。あと菅原さん演じる「岩井」さんが父の「食らいついていけよ」を瞬間、思い出す場面とか。

同じ屋根の下で暮らし、それぞれ別々に自分の食事の支度をし、別々に食べる、夫婦。病気になり、仕事をやめたあと、ふたりで食事に出かけていく夫婦。ついさっき見た舞台で、その孤独の絶望の果てにしね、と叩きつけた妻が、死にゆく夫の手を取って涙する、ざまあみろという思いと、その涙は、同じ人間の中にまったく矛盾なく両立している。家族を描いた「て」よりも、私にはまったく想像のつかない世界で、あの食事のシーンも、初演の時に「いいシーンだな」と思ったけれど、それよりも底知れなさを強く感じたシーンになったのが、自分でも驚きでした。

最後の演出は今回の方がすきだなー。千秋楽ゆえなのか、笑いどころがばらつくという感じがなく、よかったような残念なような(ここで笑うか?というところで笑いがくるのは削がれる部分もあるけど、この芝居に関してはひとがなにをこの場面に観ているのか、がわかって興味深い部分も大きいと思う)。

山内さん岩井さんがいいのはもちろんだけど、ハイバイにおける菅原さんの「いい仕事」ぶりは今作に限らず図抜けてるな!と改めて思いました。菅原さんの役をべつのひとがやると、また全然ちがった手触りの作品になりそうな気さえします。連続上演だからこそ「岩井家サーガ」を俯瞰で見るような面白さがあり、以前の観劇時とは違った感覚で楽しめてよかったです。それにしてもこれを同時に演出する(片方には出演もする)岩井さんて…すごすぎるな!

「贋作・桜の森の満開の下」NODA MAP

89年初演から、歌舞伎版もふくめて野田秀樹の手がける五度目の「贋作・桜」、初日に拝見してきました。今後パリ公演を経て大阪、北九州、そして再び東京と長いスパンの公演なので、自分の観劇はまだまだ先だなあ~という方はご覧いただいてからお読みくださったほうがよいかもしれません。

タイトルの通り、坂口安吾の「桜の森の満開の下」、そして「夜長姫と耳男」を下敷きとした作品です。桜の森の下で名人への近道をたどってヒダの王国にやってきた耳男は、夜長姫と早寝姫、ふたりの姫を守護するミロクを彫り、他のふたりの匠と競い合うことを求められる…って、ふふふ、原点にかえってあらすじを書いてみようとおもったけれど、どだい無理なはなしだった!(投げるのが早い)

演出面で過去の上演ともっとも変化した点はなんといっても使用楽曲を総入れ替えしたことではないでしょうか。歌舞伎版でさえそのまま使用されていた音楽も今回はすべてオリジナルスコアに差し替わっています。パリ公演があることを意識しての選択かな~。たしかに、既存曲を使用するのはイメージの固定につながってしまうかもしれない。オリジナルスコアも、雰囲気としてはもともと使用していた楽曲のトーンを踏襲しているので、雰囲気に大きな変化があるという感じではなかったです(パンフレットにそれぞれのテーマ曲名と作曲者一覧あり)。

舞台前方に下手に向かって傾斜のついた張り出し舞台があり、そこからの出ハケがけっこうありました。あれ、花道のイメージなのかなあ。だとすると、今回の大阪公演のコヤが新歌舞伎座なのが俄然楽しみですよね。桜は大阪でかかるときは南座中座そして新歌舞伎座と、いつも花道のあるコヤなのがたまらない。

舞台中央に大きな桜の木があって、そのうしろにも空間がある装置だったので、上下(かみしも)にハケるのとその桜の木の奥にハケるパターンとあったのがよかった。動線が左右だけでないの大事。大きな紙を使ったり、伸び縮みする紐を使ったり、あとなんといってもあの布遣い!ひさびさに野田さんお得意のあのたっぷりした布を多用した演出がたくさん見られたのもうれしかったです。

ツイッターでも書いたのだけど、この演目には本当に思い入れがありすぎて、こじらせ寸前というかいや完全にこじらせ満開だったわけですが、昨年歌舞伎版が上演されて長年の怨念というか執念というか、そういったモロモロが浄化、成仏したようなところがあり、この初日もどこか新しい作品を観るような気持で観られたのは自分にとってすごくよかったことでした。

そういう新鮮な気持ちで見てあらためて、この作品の何がいちばん好きか?と言われると、それはやはりこの圧倒的な美しさに行きつくんだろうなと思いました。その美しさと、その裏側にあるただ孤独、ただぽっかりとなにもないその静寂、そこにただじっといて、どこへでも参れる者たちが見つめる彼岸、その混沌。17歳でこの芝居を見たとき、私はなにもわかっていなかったかもしれないけれど、でも同時にいちばん大事なものはその時にちゃんと受け取っていたんだなあと思います。好きなものは、呪うか、殺すか、争うかしなくてはいけない…。

これ以上ない、と思われるほどのキャストをそろえての上演で、夜長姫の深津絵里さんは17年前に続いてのキャスティングになったわけですけど、いや本当に素晴らしかったですね。登場のシーンの笑い声が毬谷さんにそっくりで、近づけること、似ることを全然おそれてないというか、むしろ寄せてきている感すらあった。パンフのインタビューで、毬谷さんの夜長姫から生まれたものがこの作品にはあって、それは自分にとってとても大事にしたいものなのだ、ということを仰っていて、いやもうすげえなと。こんな肚の据わった女優いるでしょうか。最後の耳男との対決、今までは客席に背を向けて耳男と対峙し、舞台奥でこちらを向くと鬼面になっている…というパターンだったんですけど、今回は桜の木の下に立っている夜長姫が一陣の風(これを紙で表現する)にあおられると鬼面になっている…というのがんもううううぞっとするすばらしさで、深津さんの深い声とコケティッシュさ、少女のようでもあり老婆のようでもある佇まいとあわせて忘れられないシーンのひとつです。ほんとうにすばらしかった。どれだけ言葉を尽くしても言い足りません。

妻夫木くんの耳男、野田さんはぜったい妻夫木くんのあの独特な明るさを持つ声を気に入って、大事におもってらっしゃるんだろうなと思うんですが、その魅力が耳男という役にスパッとはまっていたなあと思います。あの最後の夜長姫とのシーンね、あそこでヒメに取りすがって泣くというのは今までにない見せ方で、これも妻夫木くんの耳男のどこか歪みなさ、子どものような明るさがあるからこそぐっとくるシーンだなと思いました。オオアマの天海さん、いやもう「麗人」を絵に描いたらこうなりました感がすごい。美しさではダンのトツです。後半もオオアマの冷酷ぶりというよりは貴人の苦悩ぶりがぐいぐい感じられるキャラクターになっていた感じでした。マナコの古田さんも17年ぶりの続投、ご本人も好きな役でしょうし(いやマナコ好きじゃないひといないでしょ)(暴論)、殺陣もあり、銀座のライオンの台詞も残り、初日でもちゃんとファニーな空気を舞台に創り出していて、千両役者だねぇ~相変わらず~と感嘆。

成志さん、藤井隆さん、大倉くん、秋山菜津子ねえさんで鬼カルテットなんだけど、こんな豪華なカルテットありかよっていうね。初日ですでに楽しそうでした。ハンニャのキャラに「やたら哲学的な用語ふりまく」って要素が加わっていて、チェーホフいじりがめちゃくちゃウケていた。野田さんも楽しそうにヒダの王をやってらっしゃいましたし、銀粉蝶さん門脇麦ちゃん、いずれも盤石。ほんとにすごい座組ですよね。

演劇というものに出会ってまもなくこの芝居を観て、ほんとうにずっと忘れられなくて、あの降りしきる桜を観ていると、その30年前の自分が思い出されるようでもあり、こうしてずっとずっと好きでいさせてくれ、夢を見させてくれた芝居を胸の中に抱きながら観劇人生を送ってこれたこと、大げさでなく人生の幸運だったと思います。大阪公演も拝見する予定なので(上本町に再び野田秀樹が!それだけでおセンチの花咲き乱れます)、花道のあるコヤというのも含めてどんな「贋作・桜」になるのかとてもとても楽しみです。

最後になりましたが、昨年歌舞伎版をご覧になった方(卒論・修論坂口安吾をテーマにされたそう)が書かれたblogのリンクをはっておきます。エントリは3つ。何度読んでもすばらしく、この舞台の一端を掴みたい!と思う方にはこれ以上のガイドはないのではないでしょうか。ぜひご一読を。
meyyou.hatenablog.com

「て」ハイバイ

最初に見たハイバイが09年に上演された「て」でした。たぶん、誰かの熱い推薦を目にして足を運んだと思うんだけど…誰だったか覚えてない。いや拝見した舞台のことはよく覚えています。ハイバイで上演されるこの演目を見るのはこれで3度目です。

3度目なので、もちろん芝居全体の構造、展開も頭に入っており、没入して観るというよりは「このあと」のことを考えてそれぞれの登場人物の反応を観てしまう、みたいなところがありました。最初のリバーサイドホテルのときに長男がどんな顔してるかとかさ。それにしても、つくづくよくできた脚本ですよね。構図を逆転させる見せ方、それだけではなくて、見えているものだけが真実ではない、ということまで描ききっていて、いやはや、すごい。

なんとなく俯瞰したスタンスで見ていても、いやそういうスタンスだからこそかもしれませんが、たとえばお母さんがクラス会に参加している友人に電話で話す場面とかで、一気に物語のほうへ引っ張り込まれてしまう。あそこのリバーサイドホテルはほんと…何度見ても痛く、可笑しく、せつない。名シーンですね。

今回はお母さん役に浅野和之さんがキャスティングされており、平原テツさんの長男、猪股さんのお父さんは続投ですが、全体的に刷新された顔ぶれになりました。浅野さんのお母さん、どのシーンももちろんすばらしかったんだけど、あの長女との会話のシーンがとくによかった。離婚を考えたが、夫の圧に耐えられない、あの男性の性器がむきだしで迫ってくるような…と語るところ。「夫婦」でも「岩井」さんがそう語る場面があり、これは作家自身が自分の家庭に持っていたひとつのイメージなのだと思うけど、そのいたたまれなさが本当にひしひしと感じられる場面になっていた。ちょっとしたバランスで笑いの方にも転がりそうな場面なんだけど、浅野さんの手綱さばきはあまりにも絶妙だった。唸るしかない。

今まではきょうだいのうち誰かに反発したり共感したりみたいなところが少なからずあったのだけど、今回はそういう引っ張られ方があまりなかった。長女の善意モンスターぶりも、次女の自分だけの大きなこだわりも、次男の無邪気という名の無神経さも、長男のわかりにくいさびしん坊ぶりも、どれもほんとめんどくさいなと思ったし、めんどくさいなと思いつつ、きらいじゃなかった。

しかし、あの葬儀場での讃美歌、あのシーンであんなに泣いたのは実は初めてだった。自分でもちょっと驚いた。以前の観劇と今回の間で自分の心情に変化があったというわけではない、と思うのだけど、あれだけどしゃめしゃな家族であっても、看取る、という行為にある絶対的な寂しさがあって、でも寂しさだけじゃなくてなんというか、安堵というか、辿り着くべき所に辿りついたのだ、というようなしんとした気持ちが、棺を囲む「家族」を観ていると急に胸に迫ってきたのだった。暗転の中で響く讃美歌、すばらしいですね。やっぱりどんどんブラッシュアップされた上演になっていってるのだなーと思います。

そういえば「て」はいちど「その族の名は家族」に改題されてプロデュース公演?みたいな形で上演されたこともありましたね。でもやっぱ「て」のほうがいいタイトルだと思います。「て」ってつまり、あれだもんね、おとうさんゆび、おかあさんゆび、おねえさんゆび…だもんね。なにをどうやっても、家族は家族でしかないという、祈りと呪いのつまった名作にふさわしいタイトルだと思います。

「オーシャンズ8」

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当時豪華キャストを集めに集めまくった「オーシャンズ11」の女性版。監督はゲイリー・ロス。リブートというよりも、オーシャンズ11のフォーマットを踏襲しつつ、あの世界線と地続き(主人公がダニー・オーシャンの妹で、オーシャンズ13のその後)という設定です。

デビー・オーシャンの出所シーンからはじまり、獄中で練り上げた作戦の実行のためにかつての仲間を訪ね、人集めが始まる…という、クライムムービーの王道の描き方。標的となる舞台がハリウッドでもっとも華やかといっても過言ではない(毎年趣向を凝らしたドレスが話題になりますよね~)メットガラ、そのホストに選ばれた女優の懐に入り込み、カルティエの門外不出のお宝を引っ張り出すという趣向なので、コン・ゲーム的要素もふんだんにあります。

こういったコン・ゲーム的なものでいくと、観客としてはダマす方もダマされる方も味わえる、カモをひっかけるスリルと同時に、計画の綻びのように見えたものが実は、という展開があるのが個人的に醍醐味だと思うんですけど、この後者の「観客に対するひっかけ」が薄いというか、あまりにアッサリしていたのがちと残念ではあったかな~。計画実行自体にもう少しヤマがあって、それがあの冷蔵庫の中身に繋がっていました…という展開だとなお好みだった。

とはいえ、今回のキャスト、サンドラ・ブロックケイト・ブランシェットアン・ハサウェイ、リアーナ等々文字通り綺羅星のごとき花も実もあるスターを集めていて、彼女らの自由闊達さを堪能できるという点ではとても目に楽しい映画でしたし、それにもうあれだよ。なんといってもデビーの相棒ルーを演じたケイト様だよ。カッコよすぎた。まじで、カッコよすぎたわ。デビーを迎えにきたときのスキンシップ、あのレストランでの「乗る?乗らない?」を「あーんして」でやるシーン、胸がときめきすぎてこれこんな絵面が120分続くんかい!?無理!かっこよすぎて心臓によくない!って思いました。衣装もどれもこれもどれもこれも鬼のようにかっこよくてお似合い。ローズをスカウトするときのペールブルーのスーツ…拝む…デビーが過去の因縁のある男を計画の一部に組み込むことに異を唱えるとこも最高だったじぇ…デビーとルーのコンビはまあどこを切り取っても尊い!の連打でしたねマジで。

あと個人的にすき!てなったのがタミー。サラ・ポールソン最高じゃないですか。有能が服着て歩いてるってあのことか。正直作戦実行の要でしたよねタミー。調達屋なだけじゃなくて現場監督兼ねてるもん。あのヴォーグ誌に面接受けにいったところで、本物のアナ・ウィンターが出てきてキャー出たー!と心の中で大喜びしてしまいました。アン・ハサウェイのダフネもよかったなー。ローズがデザインした劇中のドレスが、ローズがウリにしていたというゴスっぽさがまるでなかったのがちと残念だったんですけど、とはいえあのトゥーサンとピンクのドレスは彼女にむちゃんこ似合ってたし、最後の最後まで魅力爆発してたなーと。あとリチャード・顔がいい・アーミティッジが満を持してド正面からの顔がいい役なのも楽しかった。デビーが再会してつくづく「顔はいい…」って言っちゃうの頷ける。

かっこかわいくて自由な女性たちがわいのわいのと一山儲けるところを気楽に楽しめるよい映画でした。あの、チームが解散するときのさ、それぞれのキャラクターの「その後」みたいなショットが出るけど、ルーがさー、バイクで海岸線をひとり気ままに飛ばしてるっていう、み、見たことある!なんか一仕事終わった後の男がなぜか馬とかバイクとか車に乗って去っていくイメージ映像みたいなあれ!!!と思ってひとり大ウケでしたし、女も馬とかバイクとか車に乗って風の吹くまま気の向くままだよってエンディングが成立するようになったかと思うと嬉しかったです。地に足なんか頼まれたってつけないぜ!

「銀魂2 掟は破るためにこそある」

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銀魂1を公開して翌年にもう続編の公開!1を公開する前からスケジュール押えないといけないような面々を揃えてこのスピード。福田監督の人徳なのか作品の人気ゆえなのか!

最近著しく勘九郎さん摂取量が減っているのと、原作未読(ごめんなさい)ながら今回は真選組がメインのお話らしいよという前情報につられていそいそ見に行ってまいりました。勘九郎さんのムビチケも買ったし!推しに貢献している!かもしれない!

前作に引き続きジブリエヴァを引っ張ってくるルール無用のパロや、自虐もふんだんに取り込むギャグで物語を盛っていくのは福田組ぽさある~という感じ。将軍接待のあれこれがどこまで原作準拠なのかわかりませんが、結構ウケてた。そして前回と同じく佐藤二朗さんの自由演技に沈没寸前になってる共演者もしっかり使われてましたね。

今回は話のメインが真選組の乗っ取りを狙う伊東鴨太郎(三浦春馬くん)の暗躍と、それを阻止する沖田総悟土方十四郎の活躍、それに絡んでくる万事屋の3人、というところで、普通に「新選組」の話としても盛り上がる部分だし、人気のエピソードというのもよくわかる。この近藤土方沖田の関係性はあんまり説明しなくても、みんなわかるよね!という共通認識のもと話を進められるし、実際まあなんとなく察しがつくんだけど、とはいえやはり映画は映画で一つの物語なので、この中でだけ拾われるフックをちゃんとかけてほしかったなという感じは正直ありました。沖田があそこで激昂する所以とか、近藤と土方の確執というか、ハメられたゆえの行き違いがやっぱりちょっとでも描かれるのと描かれないのとで、場面場面のカタルシスが全然違うんじゃないかと思うんだよなあ~。

非常に力のある、絵力満点のシーンがたくさんあるんですが、しかしそれを有機的につなぐ物語の糸が不十分に感じられたのが個人的にはちょっと乗り切れなかったところでした。原作は長い歴史がある物語だからこそそれぞれのキャラが重層的になっており、だからこそ「泣ける」物語になっている部分が、やっぱりこの2時間強(というか、エピソード二つが組み込まれているので、実質1時間程度)で描くには、脚本が薄いな~という感じが否めない。

キャラクターそれぞれの漫画的キャラの見せ方という点ではそれぞれいい役者持ってきてるな!感があるし、吉沢亮さんの総悟も柳楽優弥さんの十四郎もそれはそれはむちゃんこかっこいい。あの「…死んじまいなァ」のところは今の!今の絵もう一回!ってなるわねそりゃ。柳楽くんのどシリアスさとオタクキャラを揺れ動く描き方もよかった。というか個人的にあの「最後の1本だ」のところがいちばん好きなところだ。窪田くんはもう、この際「実写化請負人」と呼びたいぐらい実写化にお声がかかってて、それで毎回それなりに高評価で迎えられるのがすごいんだけど、なんでしょうねあのキャラをモノにする感に長けたあの感じ。小栗くんとの一騎打ちかっこよかったです。三浦春馬くんはもともと贔屓にしてるというのもあるけど、これまたクールビューティで言うことなかった。そしてあの腕が吹っ飛んでからの芝居がまたよかった。あの土方との渡り台詞なー!あれめちゃいいとこだからもっとかっこよく演出してあげてー!と思ってしまう、そう私は渡り台詞にうるさいオタク…(どんなだよ)。

総じて、アクションシーンのつなぎもなにがどうなってこうなった?というのがいまいちわかりづらく、原作のかっこいいシーンを絵力のあるキャストをそろえて再現してみたガラコンサート的な感覚が最後までなくならなかったのが、個人的には残念なところでした。

勘九郎さん演じる近藤勲、今回はみんなに慕われちゃう役だし全然脱いでないしめちゃ台詞喋るし沼津の十兵衛もかくやってぐらい泣くし(喩えがニッチすぎでは)、隊服もとっても似合っててかっこよかったざんす。しかしこの中でもっとも身体能力が高いと思われる(いや、本当にそうかどうかはわかんないですが、贔屓としてここは大きく言わせて…)勘九郎さんがまったく殺陣をやらないのはもったいない。ああもったいない。とはいえ、ご本人はめちゃ楽しそうにやってらっしゃったし、主演自ら「今回はにぎやかしです」と言っていた小栗くん菅田くん橋本環奈ちゃんの万事屋トリオもめちゃ楽しそうでした。鴨太郎の走馬灯シーンで出た宴会場面で勘九郎さんが春馬くんのほっぺにちゅーをかましており、あっ春馬くんごめんねごめんねとなぜか心の中で手を合わせたことを付け加えておきます(笑)

あなたの声がつれてくる


石塚運昇さんが亡くなられた。
きっと石塚さんの声に触れたことのある人の数だけ、その思い出があるとおもう。私にとってもそうだ。私がもっとも愛するドラマ「ザ・ホワイトハウス(原題:THE WEST WING)」で、石塚さんは次席補佐官のジョシュ・ライマンの声をあてていらした。私はこのドラマを本当に何度も繰り返し見ていて、中でもいちばん好きなキャラクターがジョシュで、石塚さん独特の、深みのある、でもどこか軽妙洒脱な声がほんとうにジョシュのキャラクターとぴったり合っていて、演じているブラッドリー・ウィットフォード自身の声よりも、石塚さんの声の方が深く深く刻まれてしまっている。

ザ・ホワイトハウスのシーズン1第5話に「妙な陳情」というエピソードがある。オフィス開放政策の一環として上級スタッフがホワイトハウスにやってくる陳情者の対応をするストーリーラインと、次席補佐官のジョシュが「核攻撃を受けた際の緊急避難所」に入るためのパスをもらうストーリーラインが平行して描かれる。ジョシュはふだん口の減らない男だが、有事の際のパスが自分にしか渡されなかったことに戸惑わないではいられない。そしてかれのその戸惑いは、幼い頃火事で実の姉を亡くしていること、そのときに自分だけが逃げおおせたことから来ていることが次第にわかる。

西棟の自分のオフィスで、ジョシュがシューベルトアヴェ・マリアを聴きながらCJと話すシーンを、何度見たかわからない。アヴェ・マリアの美しい旋律を「まるで…奇跡だよ」と語る場面、「シューベルトはまともじゃない」「まともじゃないからすごいものが作れる」…話を聞くCJはジョシュの戸惑いを汲んで、部屋を去り際に一言こういう。「あなたってやさしいところがあるのね」。結局、ジョシュはそのパスを持っていることができない。これを持っているとみんなの目を見ることができない、悲劇のときには友人のそばにいたい、とジョシュは言う。

このドラマがNHKで放送されていた当時、放送枠がERの後釜だったため、毎回惰性でなんとなく見ていた私は、このエピソードを境に一気にこのドラマにのめり込んだ。ストーリーの面白さ、アーロン・ソーキンの手による圧倒的な台詞術、魅力的なキャラクター。そしてその真ん中にいつも、石塚さんの声を纏ったジョシュ・ライマンがいたのだった。

「妙な陳情」のラストシーンは、バートレット大統領がスタッフにむけて語る場面だが、バラバラのようにみえたそれぞれのストーリーラインがこのスピーチできれいにひとつにつながっていく。「…天然痘がついに撲滅された時、それは人類史上最高の快挙のひとつと讃えられた。もう一度できるだろう。その当時のひとびとがしたように天を仰ぎ、手を精一杯伸ばして、神の顔に触れよう。」

このエピソードだけでなく、このドラマで描かれたさまざまなシーンを、折に触れ思い出す。ことに、何か困難なことにぶち当たった時に、自分の指針を見失いそうなときに、この台詞を思い出す。弱さを抱えても、目の前のことに立ち向かい続けるジョシュのことも。

声を吹き込む、というのは、命を与えるのとほとんど同義なんじゃないかと思うことがある。それほどまでに、声が語ることは大きい。何百というキャラクターに、文字通り命を吹き込んで、わたしたちに手触りのある実体として届けてくれた声優のおひとりであったとおもう。哀しく、残念でならないが、同時にただひたすらに感謝の思いがこみあげる。これまでに石塚さんから受け取ったものをが、この先もずっと、わたしにいろんなものを連れてきてくれるだろう。ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

「カメラを止めるな!」

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噂が噂を呼び当初たった2館のみの公開だったこの映画が今やアスミックエース配給の元全国拡大上映!ありがたい!ありがとう!ということでいそいそと見に行ってきました。いやーーーーおもしろかった!!!!!これはぜひ!!!たくさんのひとに見てほしい!!!!ということで以下映画の展開を含む感想ですが、
おっとまだ見てない人はここまでだ。
SNSでも皆口をそろえて言っているようにぜひ何も知らない状態で観に行っていただきたい。とはいえ、この映画、ネタバレして面白さがなくなるわけでは全然ないです(むしろもう1回見たいと思う人が多いのではないかと思う)。それにここまで評判が先に耳に入ってしまったらもうそれはすでに「何も知らないまっさらな状態」ではないのでは?いわゆるエモばれというやつをもうしてしまっているのでは?確かに!いやでもこの映画はそのエモバレを絶妙にフラットにしてくる構造なんですよ、つまり…
おっとまだ見てない人はここまでだ!以下畳みます!

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