「ウチの親父が最強」梅棒EXTRAシリーズ

  • 博品館劇場 K列26番
  • 作・総合演出 伊藤今人

フォローしている方で梅棒にハマっている方がおられて、その熱い熱狂ぶりに「いっぺん見てみたいなー」と思っていたので抱き合わせで見て参りました。あと実は私これが博品館劇場デビュー!やったね!なんで今まで縁がなかったんだろ!

すごく勝手なまとめ方をするなら、「キャラメルとコンボイのミクスチャー令和アップデートバージョン」というのが自分の印象。J-POPをバックに踊り、その楽曲の歌詞と舞台上の物語がシンクロしていって一本のストーリーに見えるように構成されているんだけど、そうなるとどうしても描かれる物語はストレートになりがち。そこを衒いなくやりきる!というのはキャラメルぽさがある。他方、台詞なしにとにかくどんどん踊りまくるので、そのダンスのキレはいわゆる「小劇場」のレベルを抜けてて、どっちかというとコンボイみがあるというか。

80年代後期からの演劇にずぶずぶだったものとしては、歌謡曲(J-POP)を大音量でかけて突然踊る文化に親しみがありすぎて、逆にこれをエッセンスではなく本流にもってくる面白さは確かにありました。冒頭のペニシリンの「ロマンス」でのダンスとかね、もうどちゃくそかっこいい。そういえばあれ後半の学ラン軍団の世界観がわからなかった…最後本編で出てくるのかなと思ったけどそれ以降全く触れられなかったし…何らかのお約束なんでしょうか。

でもって選曲傾向もね、世代的に「わかる…わかるぞ…!」感がすごかったです。途中でこれTHE YELLOW MONKEYかかっても不思議じゃないな…と思ってたらまんまとかかったので腰が浮きかけました。しかもわりといいところで!(ちなみにかかったのはパール)。

歌詞とのリンクが秀逸なのもあって、「メシはなるべく一緒に食う」のインパクトもよかったんだけど、個人的に一番笑ったのは「リライト」。あの名曲をこんなシチュエーションでもってくるって、なんて、なんてくだらなくて最高なんだ!と思いました。消して!リライトして!

キャストの中でいちおうヒロインの想い人、みたいな立ち位置のキャストのひとがこれまたバッキバキに踊るバッリバリの男前で、その人が板の上にいるとどうしても目が自然とそっちにいくっていう体験を久しぶりにした気がします。あとで調べたら多和田任益さんという方だった。それから主宰の伊藤今人さんのキレ、すばらしい。振付という点だけでなく、役者としても大きなところから声がかかりそうな感じがしました。

前説で携帯の電源を切ったかチェックをするんだけど、いったん出させて、切ってねってお願いして、「でもそういってみんな切らないでしょ~!」からもうワンアクションもっていったのが面白かった(実際それで私の前の席の男性は電源を切っていた)。どこもいろいろ工夫してるんだね。

「トールキン 旅のはじまり」

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指輪物語」原作者、J.R.R.トールキンの若かりし頃を描いた映画。トールキンニコラス・ホルトが演じています。監督はドメ・カルコスキ。

私にとってこれだけ時間が経ってもやっぱりLotRって特別な映画ですし、この映画を見ていてもさすがにLotRが自分の身体にしみっしみにしみこんでいることを改めて思い知らされた感じがしました。あの頃邦訳されていたトールキンの伝記とか、ほんと手あたり次第読み漁ったので、どのあたりが映画になるのかな?インクリングズは出てくるのかな?と想像してたけど、この映画はキング・エドワード在学時代のT.C.B.Sの仲間たちとの繋がりと、エディスとのエピソードが中心になっていて、インクリングズまでは辿り着かず。確かに、C.S.ルイスが出てくるならキャストも話題にあがるはずですもんね。

若きトールキンの体験することのひとつひとつが、その後の作品に出てくる風景に重なって見える楽しさがありました。給仕の女の子に求婚するやつ、サムとロージーじゃん!とか思いましたよね。劇中でトールキンが語り、夢想する物語のインサートショットも、「あの世界」への呼び水にも感じられ、思わず家に帰ってから旅の仲間を見返しちゃったじゃないかよっていう。

そういう意味では、映画そのものが提示する物語よりも、映画によって匂ってくる指輪の世界のほうに意識が持ってかれがちなところがあったのは否めないっす。エディスとのシーンではあのオペラを見に行けなくて、舞台裏でひっそりとキスをするシーンがよかったな。舞台裏っていうのがまた物語の挟間って感じがして好きでした。

あとエンドロールね!いちいちシェロブ!ゴクリ!バラド=ドゥア!とか喜んでしまってすまない。いやもうこれはたぶんどうしようもない。病気です!

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」

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レオナルド・ディカプリオブラッド・ピット、文字通り一時代を築き上げた二大スター夢の競演。監督はクエンティン・タランティーノ

いやー面白かった。面白かったし、これは「if もしも」の世界だし、おとぎ話でもあるし、「そうであったかもしれない」「そうだったらよかったのに」という物語になっていて、過酷で無慈悲な現実に対してこういう一矢の報い方もあるのか、と思わされる作品でした。

すでに映画を見た多くの方が、「チャールズ・マンソンシャロン・テートの事件」を予習していったほうがいい、という示唆をされていると思いますが、確かにその顛末をぼんやりとでも把握しておくほうがこの映画のストーリーテリングにうまく乗っかっていけると思います。私がこの事件のこと知ったのいつだったかなー。たぶん少女漫画か(80年代少女漫画の先進性よ)、後年いわゆるマーダーケースファイル的な本で知ったのか。

リック・ダルトンはかつて西部劇の賞金稼ぎをドラマで演じ、一躍時の人となるが、いまは若手を相手に悪役をやるばかりと落ちぶれつつあり、マカロニ・ウェスタンで稼がないかという誘いを受けたことにひどくショックを受ける。長年彼のスタントを演じてきたクリフ・ブースはリックの仕事の減少により自身の収入もおぼつかないため、リックの身の回りの世話をして日々の糧を得ている。リックは今でも豪邸住まいだが、クリフはドライブインシアターの裏手のトレイラーハウスで犬と一緒に暮らしている。リックの家の隣には「ローズマリーの赤ちゃん」を監督したロマン・ポランスキーとその妻シャロン・テートがつい先日引っ越してきたばかりだ。

映画は「やられ役」を振られながらも演技で往年の輝きを見せるリックと、ヒッチハイカーの女の子と奇妙な出会いを経て「スパーン牧場」に導かれるクリフと、若手女優として仕事が認められつつあるシャロンのまさに花のような生活を丹念に追っていきますが、そこに通底して流れているのが「マンソン・ファミリー」の影というわけ。すごいなと思うのが、映画自体がそれなりの長尺で、そのマンソン・ファミリーの醸す不穏な空気が物語を引っ張っているにせよ、クライマックスに至るまではそれはあくまで影にすぎないのに、まったく観客を退屈させないというところ。文字通り、「画」の力でぐいぐい見せていくんですよね。

あと、やっぱりスターはスターだなというか、レオさまとブラピ、当然だけど、まったくただものじゃないのであった。あの悪役として現場に挑むリックの第一声からして、なんつーか、「この声に何人もの人がひれ伏してきた」ってことがわかる圧があるんですよ。でもって、あの途中で台詞を忘れたときの芝居!そしてトレーラーに戻ってきたときのあの爆発!酒を断て!と叫びながらポケットの酒を飲んでしまうあの一連、いやーすごい。すごかった。でもってブラッド・ピット、ああブラッド・ピット、どうしてあなたはブラピなの。そう言ってしまいたくもなるほど圧倒的にカッコイイ。え?こんなカッコイイひとがこんなカッコいいことをやってどうするんです???ってなりませんでしたか。あのアンテナ工事。間違いなく世界一カッコいいアンテナ工事でしょ。クリフの、リックに対して含むところが全然ない、リックもクリフに対して常にオープンである、そのふたりの友情の描きぶりも、よかった。「友達以上、妻未満」の関係は「明日ベーグル持ってきて」でまた繋がることになるんだろうか。

クリフがスパーン牧場を訪れる場面はこの映画でも極めて印象的だけれど、まさに荒廃したかつての映画スタジオで、西部劇さながらのやりとりが行われるあのスリリングさ。臆するところの微塵もないクリフの揺るがないタフガイぶり、むちゃくちゃしびれました。タランティーノ監督はブラッド・ピットを本当にカッコいいと思って撮ってるんだなってことと、年相応な顔立ちのブラッド・ピットがまさに渋みも加えたいい男爆弾になりすぎてて、って何回同じ話するんやって感じですか?いやでもあれ見たらそうなっちゃいますって。

シャロンが自分が出ている映画を見に行くシーン、よかったなー。あそこで、自分の演技に対する観客のリアクションに笑顔が抑えられないの、むたくたキュートだった。この映画におけるブルース・リーの描き方については議論があるけど、私はクリフとのシーンよりも、シャロンを相手にアクションの指導をしてくれるかれの姿の方が印象的でした。シャロン・テートは「ハリウッド」「女優」「ブルジョワ」を示すアイコンなのではなく、ひとりの女性だったってことがちゃんとこのフィルムに刻まれていたなあと思います。

映画の中で描かれるマンソン・ファミリーの影が、少しづつ違う方向を指してきて、ついに現実と分岐してからは、さすがタランティーノともいうべき容赦のなさが炸裂してましたね。でもあれだ、ワンちゃんが、ブランディが無事でよかった…!「悪魔の仕事をしにきた」をラリったクリフが全然覚えてないのもよかった。救急車を見送ったリックにかけられる隣人からの声、そうあったかもしれない昔々のハリウッドの物語。堪能しました!

「プロメア」

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劇作家としての中島かずきさんはそりゃもう長いお付き合いなんですが、アニメーション脚本家としてのかずきさんは恥ずかしながらまったくお付き合いがなく、今回の映画も予定に入ってないかったんですが、これだけのロングラン!せっかく抱き合わせの機会が来たので見てきましたよっと。監督は今石洋之さん。

今週末から興収10億円(すごいね!)記念で特典映像的なものの上映がついているというのは知ってたんですけど、前日譚とは知らず、おっ、そうなの、こういうバックボーンが…というのを頭に入れて見れたのはよかったのか。なので中盤までの展開は勧善懲悪にならないわけね…と思いながら見てたんですけど、クレイ・フォーサイトが本性を現し始めてからだんだん様子がおかしくなってきて(ほめてる)、最終的になんか…すげーな!?ってエンディングで茫然としちゃうやつでしたね。

いやもう最初はクレイの声めっちゃ堺さんやなーと思いながら見てたけど、なんか堺さん…?いや堺!?どうした!ちょっと!おちけつ!いや落ち着け!ってなりましたもんね。繰り出される必殺技も想像の斜め上すぎるし、戦ってるガロたちの「いやだからどうしてその科学力をマグマの鎮圧に…」ってツッコミが毎回入るしで、だんだん見てるこっちが「必殺技ハイ」みたいになってくるっていう。

しかも終盤に向かって風呂敷が倍率ドン!更に倍!みたいな速度で広がっていくのもすごかった。マグマの話から時空の裂け目、プロメアの炎を燃やし尽くす!に至るまで体感15分くらいだった。まさに急速展開。そんな超時空科学戦隊的な面もありながら、クレイの採る作戦が人間を時空ワープの燃料にしようというなかなかのエグみで、このあたり…中島さんやなー!という感じがしました。

中島さんやなーといえば、不殺!不殺好きだよね~!普段は不殺を貫くけど、ブチ切れると誰よりも残虐、みたいなのも好きだよね。そういう意味ではリオのキャラクター、中島脚本のサビが詰まってるなと思いました。いやガロもそういう意味ではそうか。リオがなぜあれだけの能力者なのかとか、そういう書き込みはあんまりされてないんだけど、さすがにサビだけあってキャラクターの立たせ方にも年季が入ってるなという感じ。

主演3人を新感線出演経験のある松山ケンイチさん、早乙女太一さん、堺雅人さんが声をあててらっしゃいましたけど、ほんとクライマックスとか3人とも声帯大丈夫…?みたいなことになってて、アフレコ現場を見てみたくなるやつ。新谷真弓さんが声をあててたちょっとマッドなメカニック、ルチアも好きなキャラでした。

「ロケットマン」

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エルトン・ジョン製作総指揮のもとで語られる、彼本人の半生。監督は映画「ボヘミアン・ラプソディ」をブライアン・シンガー降板のあと引き継いで完成させた、デクスター・フレッチャー。主演は「キングスマン」シリーズでもおなじみタロン・エジャトン

よかったーーー。昨年ボラプが爆発的なヒットをしたあとで、描かれている時代もそれほど遠くないので比較されるかもしれないけど(とはいえ当たり前だけどボラプがヒットをしたから制作したわけじゃないッス)、本作のほうはかなりしっかりミュージカルとしての描き方になっているし、やっぱり「今まさに続いている物語」でもあるし、視点がぜんぜん違いますよね。

ショービズ界の光と影、なんて簡単にまとめてしまえそうなことだけど、でもその光を真の意味で浴び、その影を自分の足元に見ている人には、そんな紋切り型の言葉ですまされるようなものでは当然ないわけで、その虚飾ど真ん中の姿のままのエルトンが、グループセラピーで語り始めるところから映画が始まり、語るにつれてだんだんとその虚飾がひとつひとつ抜け落ちていく…という構成。

エルトン本人は完成した映画を見て、ドラッグ依存症やアルコール依存症に陥ったシーンよりも、家族のシーンを見ている方がつらかったと言ったようですが、確かにあの両親との場面キツかった。子ども時代よりも、長じてなお受け入れられないと思い知らされる、あの再婚した父親の家で自分のLPにサインするときに「父さんへ」と書くことすら許されない、母親に自分のセクシャリティを電話越しに告白したときの「愛されない人生を選んだと思え」という言葉。

鏡の前で笑顔をつくってみせるシーンて、なんであんな切ないんでしょうね。「アイ、トーニャ」のマーゴット・ロビーの壮絶なやつとか、あと今予告編でバンバンかかってるホアキン・フェニックスの「ジョーカー」とかにもあるけど。

しかしそんな中で、ずっとソングライティングでタッグを組んできたバーニー・トーピンとの出会い、その描かれ方がなんつーかもう、爆発するわ!って感じでした。エルトンもバーニーも存命で、かつこの映画の製作総指揮がエルトン本人で、ってことを考えるとですよ、本人が語ることが真実とは限らないということを差っ引いても、エルトン本人がバーニーとの出会いとその絆(いやもう絆って言っちゃいますよこれは)をどれだけ代えがたいものだと思ってるかってのがもう、ダダ洩れてびしゃびしゃじゃないですか。あの二人が最初に出会って、挨拶して、ぎこちなく好きな音楽の話をして…ってところ、語りつくせなくて夜を明かして始発で帰るあの光景。あの日のことをふたりともずっと忘れないんじゃないかって思う。

そのあとにくる「ユア・ソング」ね!!あそこでさ、バーニーが歌詞を書いた紙を受けとりながら、エルトンが「卵がついてる」って言うの、ああいうのってなんか、本当にそうだったんだろうなって思わせるディティールで、それを居間のピアノで即興で作り上げていく、そこで歌われる「君の歌」はエルトンとバーニーがお互いにあてたものだってわかるあの演出…!この曲聴いて、And you can tell everybody this is your song(これが君の歌だってみんなに言っていいんだ)のところでこんなにぎゅんぎゅんきたことないわ!

こうした音楽ものの映画において、後世の私たちには「それが何をもたらすのかを知っている」楽曲の誕生を描くのってまさにその映画のキモと言ってもいいですが、この映画もまさにその一瞬のきらめきの描き方がこっちのハートをわし掴みですよっていう。

誰が聞いても名曲だとわかる、口ずさまないではいられない飛び切りの楽曲の誕生をきっかけにショービズ界を駆け上がっていくんだけど、あの「トルバドール」での一夜の描き方もすごかった。ああいう瞬間ってあるんですよね。自分があの場のすべてをコントロールし、全能で、すべてがパズルピースのようにはまって、次の扉が開く夜が。その階段をのぼったあとは、もうもといた場所には引き返せない夜。その興奮の描き方もよかったなー。あのストップモーション

歌詞がエルトン本人の人生をなぞっていく見せ方、これでもか!と繰り出される名曲の数々、派手なショーマンシップさながらの見ごたえのある場面がたくさんあったし、これホント舞台でも見てみたくなるなあ。そういう演出ですよね。しかし、楽譜の初見どころか、聴いただけで音を再現できる力、歌詞先でどんどんメロを生み出しちゃうエルトン・ジョン…こんなことを言うのもあれですけどマジもんの天才やん…というエピソードばかりでしたね。

御本人のお墨付きでエルトンを演じたタロンくん、いやもう歌がうまいの知ってたけど、もはやうまいだけじゃないよ!っていう説得力。すばらしかったね。バーニーを演じたジェイミー・ベルの繊細そうな佇まいもよかったなー。マジでこのふたりのシーン愛しさが溢れすぎてた。ジョン・リード役のリチャード・マッデン、ギャー!顔がいい!ひどいやつ!でも顔がいい!と感情がいったりきたりしましたけど(私の)、でもこれはエルトンから見たジョンであって、なんつーかこの極めて激しいキャラ立ちはそれだけジョンとエルトンの関係の一筋縄ではいかなさを語っているような気がしました。

感想書いているうちに「もう一回見たい…」欲がむくむくと沸いてきてるんですけど、やっぱり音楽ものの映画なのでできるだけ音響のいいスクリーンで見たいな…!という気がしております。気になっている方、ぜひ映画館で!

「八月納涼歌舞伎 第二部」

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やってまいりました、弥次喜多四度目の夏。これで最後!らしいです。謎解きだったりあの世行きだったりといろいろ趣向を凝らしてきましたが、4回目の今回は原点回帰といいますか、弥次さん喜多さんのお伊勢参りをど真ん中のストーリーにしておりました。冒頭がヴィットリオ・デ・シーカのひまわりのオマージュ(音楽も?)で始まったのでいったいどうなるのかと思いましたが、今回は歌舞伎の古典をたくさん引用。鈴ヶ森、切られ与三、女殺油地獄、一本刀土俵入などなど。キャラクターとか台詞はもっといっぱい出典ありそうでしたよね。

私は今回の弥次喜多かなり好きだったんですけど、その好きの理由はやっぱり幸四郎さんと猿之助さんが汗をかく演目になってたからってところが大きい。汗をかくっていうか、しれっといろんな手札を見せてくれるというか。これだけのオールスターキャストだけど、この演目についてはやっぱりご両人の魅力を堪能したいじゃないですか。とらんぷとぷーちん…悪いやつや…そしておふたりの悪い顔がたくさん見られたのも個人的にはポイント高い。

油地獄ならぬとろろ地獄(もう、セットが出てきた瞬間にこれから起こることを予見するやつ)では、ズッコケとは!こう!みたいな、足腰のキマったみなさんの渾身のズッコケが観られて楽しかったです。しかし私はどうもやっぱり鷹之資くんが大好きだね…だってあの体幹の強さ…踊りの確かさ…うおーん本当に今私の一番の夢は勘九郎さんと鷹之資くんでガッツリ!踊りが!見たい!ってことです!!

七之助さんはある時は女掏摸、またある時は…な峰不二子キャラ(似合うね!)で、第一部と第三部合わせて七変化っていうひねり、しかもいだてんテーマ曲までぶっこんでもらって、いやもう本当にすいません、ありがとうございます、ありがとうございます。

いやしかし、4年前と今とでいちばん違いを実感するのは團子くんと染五郎くんの成長ぶりじゃないですか。4年前はふたりとも、メインディッシュに添えられる副菜的な立ち位置でしかなかったけど、もはやがっつり物語を回す方に回ってきてるものね。子供の成長の速さよ…とか言ってるうちにもうどんどん大人になるんだろうな。そうしてみると、今の時期にこうして歌舞伎座の舞台で自分たちが舞台を(いっときでも)引っ張る、という経験ができることがどんなにすごいことかと思うよね。

あとは出た舞台で絶対爪痕を残す猿弥さんの仕事師っぷり、いやもう惚れますってば。娘義太夫最高でした。

もはや恒例、最後に幸四郎さんと猿之助さんがふたりで飛んでいくさまを見送りながら、これだけタイプの違う役者さんががっつり組んで、いつまでも仲良しで、こうしていろいろ手を変え品を変えて楽しませてくれるって、ありがたいことだな~なんて改めて思ったりしました。

さて芝居の感想はここまでです。以下は雑談です。読まなくてもいいやつです。

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「八月納涼歌舞伎 第一部」

伽羅先代萩七之助さんの政岡初役、そして千松と鶴千代を勘太郎くんと長三郎くんが!となったら行かないわけにいかないよねっていう(初役大好きっ子)。竹の間はありませんが飯炊きのある「御殿」と「床下」。

去年の11月に中村座での「実盛物語」のときは「じっとしていられない」と周りの大人が手を変え品を変えしていた長三郎くんが、あの長い飯炊きの場でもどっしり構えてまさに鶴千代の風格、というのが、子どもの成長の速さよ…!ってなりましたね。この千松と鶴千代と政岡をやる役者がガチの肉親(しかもおじと甥という近親)なのってなかなかない機会なんじゃないかなー。勘太郎くんの千松も丁寧でよかった。

七之助さんの政岡、むちゃくちゃよくやっておられて、わりと花道寄りの前方のお席だったので飯炊きの手順がよく見えたけど、あの緊張感を保ちつつ、最後の最後まで自分の心情を出さない「烈女の鑑」ぶり、よかったです。飯炊きは玉三郎さまのお道具をお借りになったとどこかで読みましたが、手順の複雑さ、難しさ(炭を入れるところ苦心しておられるふうだった)、けれど「その手順に必死になってはいけない」というね!平均台の上で茶を立てろというような要求の高さだよなあ~。でも確実に見どころのひとつだし、飯炊きはやっぱりちゃんとある方が好きです。

あと、改めて政岡って役は難役だなーと感じました。ご兄弟がこれまでおつとめになった役の中でも屈指の難しさではないか。特に最後の千松をかきいだいてからの芝居、愁嘆場なんだけど、ここで情を爆発させるというよりはある種の型に沿ったほうがその悲しみが遠くに届くんだなというのを実感しました。とはいえ上っ面だけなぞってもしょうがないわけで、この御殿だけでも政岡って役は違う筋肉を4つぐらい要求される役ですよねえ。

幸四郎さんの八汐、むちゃくちゃよかったね!むちゃくちゃよかった。あくどさはもちろんその大きさが際立っていた。ひとの口ってあんなに歪むもんなんですかね。最高でしたね。そのあとの弾正も素晴らしかったです。間近で見られたのでもう穴が開くほどガン見した。沖の井を児太郎さんがやってて、きりっとした格があってこちらもよかったな~。見応えのある一幕でした。

闇梅百物語。初見です!夏らしい、怪談百物語にのせて河童や骸骨や傘一本足が出てくるんだけど、実はそれは読売の語るお話だった…というメタ構造。そこに、その読売、実は…という展開がくるのも面白かった。歌昇さんの一本足の踊り、よかったです。しかし幸四郎さんは連続で早替わりですごいな!