タイトルはくらもちふさこさんの漫画から。
さて、コメント欄で教えていただいたfringeの記事について、思うところあったので少し。
当該記事はこちら→http://fringe.jp/topics/2007/05/293.html
私は基本的にスタオベが好きじゃないので自分から立ち上がることはまあめったとありませんが、周りが立ったらやっぱり立ちます余程のことでもない限り。つられ立ちってやつでまあ言ってみればサイアクですよね。感動して真っ先に立つひとは己の生理に従っているわけでなんら問題ないし、立たないひともまた然り。なんで周りに合わせて立っちゃうかっていうとせっかく出てきてくれてるんならお姿を拝見したいという欲と(座ってたら見えないからねえ)、あとそこで意地でも立たない!というのは往々にして演者側にはなんのアピールにもならずむしろ周りのお客さんに対して「あんたたちと違ってあたしはこんなものじゃ満足しないわよ」的アピールになりかねないという諸刃の剣。それでも本当に立ちたくないときは立ちませんけど、それはもうよっぽどひどい時に限られる。
うーんでもねえ、もう基本的にカーテンコールやスタオベって芝居のデキをはかるバロメーターとしての機能はとっくに失ってるんじゃないかと思うんですよねえ。むしろなんだ、それはそれで一種のおまけというか、メインディッシュのあとのデザート、コーヒーみたいな、もう「それはそれこれはこれ」「それも欲しいしこれも欲しい」っていう面もなきにしもあらずなんじゃないでしょうか?私はそれでもべつにいいと思ってるんですけど。記事にあるようにその「おまけお願ーい」みたいなスタオベで勘違いする役者なんていますんですか。まあ野田さんがそう書いているならいるんだろうけど、だとしたらそれはスタオベ云々の話ではないのではと思う。永井さんのいう「一回きり」という観客が本物志向だっていうのもどーなのかなって感じですけど。
ただ、その逆方向に話が行くとおいおいちょっと待てよ、と思う自分がいるんですね。つまり、カーテンコールが少なかったから、スタオベじゃなかったからきっと観客は不満だったんだろう的な、そういう風に話を持って行かれる方がどうなのよ、と思う。一行レビューでも結構そういう書き込みを目にしたりしますけど、そーれは違うよ、って話であって。お前はまたぞろ第三舞台の話か、と総ツッコミされそうですが第三舞台はカーテンコールなかったんですよ、なかったっていうか終演して、1回頭さげて、そこで終わり。どれだけ拍手が続いても、そこで終わり。そんでじゃあお客は満足してなかったかっていったら死ぬほど満足していたわけでね。そんな鴻上さんだって今やダラダラ続くカテコをやってるわけですから時代の流れという奴なのかもしれませんが、でも私の経験上、本当に震えるほど感動したときってもうカテコもなにもしたくない、という気持ちになったりするもので、そういう経験って少なからずみんなあるんじゃないかと思う。
でも、カテコが続いたらみんな出てきてくれて、出てきてくれるからまた拍手が続いて、ってことになるわけで、「出てこない」って選択をしてみるのもいいんじゃないか、と思うんですけどね。