春が来るのを待ってる

引っ越しも無事終了。明日から通常営業です。仕事が。ああ・・・いや・・・(笑)
さて新居の近くには図書館がある(というか、図書館の近くを選んだ)ので、今日の午後早速利用者カードを作り、本を借りるついでに新聞を読んできました。朝日新聞の三谷さんの連載。サンシャインボーイズのことを書いていると聞いていて、でもうちは新聞とっていなかったので、読みたいなあと思いつつ機会を逃していたのです。

それで、ここからいきなり話が飛ぶんですけど、私は基本的にテレビのワイドショーや女性週刊誌やスポーツ紙の類を蛇蝎のごとく忌み嫌っていて、わたしはあんなやつらのあおりに乗せられたりしない、みたいな自分への思い込みがあったし、今でも少なからずそういうところはあるかもしれない。でも、そういう自分の驕りをすごく自覚させられたことがあって、それが三谷幸喜さんと西村雅彦さんのことだったんですよね。

劇団休団後の三谷さんの仕事を熱心に追いかけていた人なら誰でも、ある時期を境に西村さんが三谷さんの作品に顔を出さなくなったことを訝しんだひとは少なからずいたと思うし、実際に週刊誌にそういうふたりの「不仲」をまことしやかに書き立てているものもありました。そういったマスコミが書き立てた原因とやらのひとつひとつを私は信じたわけではなかったけれど、でも、それまで三谷作品に必ずといっていいほど顔を出していた西村さんが唐突に出なくなったのは、なにか訳があるにちがいない、二人の間になにかがあったんだろう、と私は安易に信じ込んでしまっていたわけです。

2002年の5月に、伊藤俊人さんが40歳の若さで急逝されて、東京サンシャインボーイズのメンバーによる劇団葬が営まれたのだけど、私はそのとき、一瞬、西村さんはくるのかな、と本当に今思えば信じられないぐらい失礼なことを一瞬考えたのだった。それほどまでに、西村さんはサンシャインボーイズから切り離された存在のように思ってしまっていたのだった。しかし、当たり前のことだが、西村さんは参列し弔辞を読まれ、泣き笑いの声で伊藤さんの部屋を訪れたときの思い出話をされていたのを、ワイドショーが流した音声で聞いた。そして、これはそのとき2ちゃんねるの伊藤さんを偲ぶスレッドに書かれたことだから、真偽のほどはわからないが、舞台本番中であったため途中で会場をあとにした西村さんが、タクシーに乗り込むとき、「じゃあな!」と言って去っていった、という書き込みがあったのだった。じゃあな。それは「罠」でのジャンボの最後の台詞だ。休団前の最後の公演となった「罠」のオリエンタルとエルサレムそれぞれのバージョンで、西村さんと伊藤さんは同じ役をやった。「罠」は亡くなった同級生の葬儀が舞台となっており、二人が演じた「ジャンボ」は最後に教会を後にするとき、その同級生の遺影に向かって「じゃあな!」といって去っていく。その話を聞いたときに、西村さんは劇団葬に参列されるのだろうか、なんてことを一瞬でも考えた自分が本当に恥ずかしかった。

2003年の夏に、かつて三谷さんが書いたテレビドラマ「王様のレストラン」がDVD化された。ただDVD化されただけではなく、かつてのメインキャストがすべて副音声に参加するというきわめて貴重なDVD化となった。支配人役でキャスティングされていた西村さんももちろん例外ではなかった。DVDを買い、三谷さんと西村さんが副音声で参加している巻を見るとき、私は少なからず緊張したと思う。でも、そんな緊張をあざ笑うかのように、声を通して聴くふたりの会話はまったくふつうで、懐かしそうに伊藤さんの思い出を語っていた。西村は、と三谷さんは何度も言った。小道具の使い方がうまいよね、という三谷さんの賛辞に、西村さんは嬉しげに応えていた。ああ、と私は思った。自分はバカだな。なんで、あんなばかみたいな、不仲だとか揉めてるだとか溝がとかいううわさ話を簡単に信じていたんだろう。自分はそんなことに惑わされないとかちゃんちゃらおかしい。いったい何を見てたんだ、本当に自分はバカだ、大バカだ、そう思った。

先日の「さよならシアタートップス 最後の文化祭」の公演「returns」を見て、私はもう一度、あらためて、自分が本当にバカだったと思った。こういうことを書くと、ご親切な方が、いや実際二人にはこんなことがあって云々・・・と「裏事情」とかいうやつを教えてくださるかもしれないが、そんなことはどうだっていいのだ。それは、舞台に立っている西村さんを見ればわかる。西村さんを、相島さんを、甲本さんを、宮地さんを、サンシャインボーイズのみんなを見ればわかることなのだ。それだけが大事で、私が見たいものもそこにしかないのだ。

朝日新聞の三谷さんの連載にも、心のこもった西村さんをはじめとするサンシャインボーイズのメンバーへの言葉があり、今回の舞台で共演した吉田羊さんのブログには、西村さんが三谷さんについて語った言葉がある。それはそれぞれが、それぞれの目で確かめてください。三谷さんは「劇団ならではの強み」と連載のなかで書いていたが、劇団にしかできないこともあるということは、私も今回の舞台を見て強く感じた。それが何なのかは、うまく言葉には出来ないのだけれど。

バンドの再結成、なんてもはや珍しい話でもなんでもないけれど、劇団の再結成というのは基本的に皆無と言っていい。サンシャインボーイズは「30年の休団」ではあったが、三谷さんも「最後の文化祭」のパンフで語っているように、それはほぼ「解散」を意味する休団だった。30年というのは、あり得ない未来、を言い換えたものなんだろうなと私もぼんやりと思っていた。しかし今回、いろんな要素が、トップスのこと、伊藤さんのこと、相島さんの病気のこと、それらが絡み合って、そしてreturnsという公演が実現した。「罠」のパンフレットには、劇団員それぞれの、30年後の「リア玉」にかける意気込みが書かれており、伊藤俊人さんはそこで「とりあえず皆元気で」と書いていた。その伊藤さんはもういない、だけど、今回の舞台のなかで伊藤さんは不死身だった。まだ生きてた。だからあと15年、だってもう折り返し地点まできたじゃないか。来ないと思っていた未来までもうあと半分なのだ。だから、15年後もきっとある。だから、なによりも、皆元気で。生きて、元気で、また舞台の上で、「劇団にしかできないこと」を見せて欲しい。15年間の休憩を、私は静かに、けれど熱く、心して待っています。