「海をゆく者」

  • 名鉄ホール 8列15番
  • 作 コナー・マクファーソン 演出 栗山民也

パルコ、今やお得意のアイルランド現代作家シリーズ。しかしまあこのキャストが揃っている以上私にとってはもうマストバイ、それぐらいツボをついた出演者の面々でした。平田満さん小日向文世さん大谷亮介さん吉田鋼太郎さん浅野和之さん。大好きなおっさんが!5人も!贅沢!贅沢ぅ!

社会的にも物理的にも「まわりにあるのはただ閉塞感ばかり」といった空気がまとわりつく兄弟とその友人、そしてひとりの招かれざる客がクリスマスイブの夜、ひとつのテーブルを囲んでポーカーに興じる。そこで賭けられているものはいったいなんなのか。

とにもかくにも会話、会話、会話。しかもきちんと聞かせることに主眼をおいていない台詞の応酬が続く場面もあるので、ああいう雑駁な台詞の掛け合いをなんでもないことのように見せられるあたりはさすが手練れ、という感じです。鋼太郎さんのキャラクター造形に疑問符のついた感想もいくつか目にしたのですが、そのあたり地方公演を経て修正してきているのかなと思いました。粗雑さよりも愛嬌がより前面に出たキャラクターになっていたように感じたなあ。
そういえば、これクリスマスの話だから、この大ラス名古屋はタイミング的にはばっちりですよね。
招かれざる客がつきつけるシャーキーの過去、というのがいまいち明確に語られず(殺人、取引、悪魔との契約、ポーカー勝負と輪郭はつかめそうですが順序立てて観客にわかりやすくつきつけることはあえて避けた印象)、そのあたりをどう受け止めるのかでも芝居の印象は変わりそうですね。ラストの展開についても好みは分かれそう。しかし結局のところ、あの招かれざる客はその意図はどうあれ、「彼の人生を欲しいと迫り」その結果、シャーキーに「自分の人生へのいとおしさ」を与えてやることになるわけだ。*1

ああ、しかし、しかし、もう私のこのオッサンスキーハートは本当にすんでの所で恋の暴走族になるところでした。
だってだって、小日向さんがステキすぎるのだもの・・・!
満を持しての登場、爬虫類のようなぬめっとした肌触りさえ感じさせる佇まい、あの、最初にシャーキーと二人っきりになって、彼に話しかけるときのソファに腰掛けた姿勢、手の角度、首の傾げ方、もうなにもかもが
完璧でございます・・・!(鼻血をおさえつつ)
といったテイだったのであって、紳士然とした喋り方がだんだんとレコードの回転数を落とすように禍々しくなっていくさまも、あの独特の手の動きも、身体は酒で覚束なくなっているのに意識だけが冴え渡っているような動作の一つ一つも、もうなにもかもがマジ美しすぎてツボすぎてしねる。鋼太郎さんをくるりと回転させて椅子に座らせるときの優雅さ!ああ!もう!どうにでもして!(落ち着け−!)

それにしてもそんな完璧すぎるほど完璧な小日向さんを筆頭にどうもこうもオッサンスキーにはたまらん芝居だったことでござった。大谷さんのキャラクターもよかったなあ。浅野さん平田さんはもちろん言わずもがなだし、これ多分版権の関係で映像化とか無理だろうけど、見応えありかつ私の萌え心も十二分に満たしてくれる芝居でした、ホントちょっと夢に出てきそうよ、あんな悪魔になら魂を売ってもいい、いやむしろ売りたい!(いらNEEE!)

*1:第三舞台の「ビーヒアナウ」の台詞ですね