「授業」

  • アツコバルー 全席自由
  • 原作 ウジェーヌ・イヨネスコ 上演テキスト・演出 鈴木勝秀

イヨネスコの「授業」といえば今はなき渋谷のジァン・ジァンで中村伸郎さんが11年の長きにわたり上演を続けていたことで有名ですが、もちろんというのか、わたしはその舞台を拝見したことはありません。私がこの戯曲の存在を知ったのはそのジァン・ジァンでの公演を若き日に観て衝撃を受けた鴻上さんのエッセイ「名セリフ!」からでした。

名セリフ! (ちくま文庫)

名セリフ! (ちくま文庫)

そこに書かれた物語の展開、ああ、これ好きそう。一度見てみたい。そう思いつつなかなか機会を得ず、今回スズカツさんが吉田さんと組んでやられるということで足を運んできました。

なのでだいたいの話の流れはわかっていたのですが、序盤の教授と女生徒のやりとりにはちょっと驚きました。全博士号を3週間で取るという台詞、足し算はできても引き算はできない女生徒、かと思えば厖大な桁の乗算を諳んじていたりもする。鴻上さんが「教育」という視点をこの芝居に感じるというのもわかる気がしました。

それは言語学の授業に至っていっそう加速し、教授はただひたすら言語学に関する(その内容はほぼ「どうでもいい」といって差し支えないような)正確無比な知識を喋り続ける。女生徒は歯が痛い、と教授に訴える。歯が痛い、歯が痛いの。もうどうでもいいわ。だが教授は喋るのをやめない。女生徒を恫喝した教授は「ナイフ」という単語を彼女に発音させる。正確な、正確無比な発音を。叫ぶような「ナイフ」という単語が飛びかう中、教授はとうとう女生徒を手にしたナイフで殺してしまう。

この「授業」をかつてスズカツさんが若かりし頃、吉田さんや岩谷さんと作ったときのことをご自身がブログに書かれています。イヨネスコの「授業」のラストは、またひとりその部屋を訪問する女子生徒と、それを歓迎するマリーの声で終わる…となっているところ、今回はあのブログに書かれたかつての演出方法、その脚色に則った上演でした。

最初に教授が出てくるときに「今終わったばかり」という台詞を口にしますが、それは「棺に入れる作業」のことでもあるんですよねえ。しかしマリーの「今日これで40人目ですよ」という台詞は、もちろん観客をぞっとさせる台詞ですが、しかし1日に40人という数はやはりこれがサスペンスなのではなくて何かの暗喩と思わせる要素のひとつだよなあと思いました。これが何十年もかけて40人なら、これはサイコサスペンスですよ。でもそうは言わない。そして「みんな慣れっこになってるんですから」というのも不思議な台詞です。40もの棺に慣れっこになるってどういうことなんだろう?

吉田さんを拝見したの、すごーくすごおおおく久しぶりのような気がします。ものすごい台詞の量、しかも会話ではなくほぼ知識を朗々と語るだけですから、それを身体に入れたうえであの教授を演じる、というのはやはり相当スキルがないとできないですし、知性を語っているのにそれが狂気にしか聞こえない、という二面性をここまで手に取るように感じられる人もなかなかいないですよね。山岸門人くんは、さきに引いたスズカツさんのブログの記事によれば、かつては岩谷さんのやった「女生徒」を託されているわけですから、ほんとに役者として信頼してらっしゃるんだろうなあと思いました。こう言っちゃなんだが、女生徒が思いのほかかわいかった(笑)マリー役の傳田うにさん、初見でしたが、淡々としながらも最後に猛烈な母とも恋人ともつかぬ色気を爆発させていてよかったなー。いい声、好きな声です。