「トレインスポッティング2」


オリジナル(という言い方がいいのかどうか)の公開は1996年。日本でもいわゆるミニシアターで公開され異例のロングランとなって話題を呼びましたが、本国イギリスにおけるこの映画への特別な感情ってのは絶対あるんじゃないかなって推察します。それこそ、あの当時のおおくのひとが「おれたちの・わたしたちの映画だ」と思ったんじゃないでしょうか。ちなみに私はその頃全く映画を見る趣味はなかったのですが、好きなバンドのPVが雰囲気似てると言われ、マジ?とレンタルビデオで見た口です(チョロQよりチョロイ)。

そのトレスポが20年の時を経てオリジナルキャスト、そして監督ダニー・ボイルで帰ってくるという!めっちゃ楽しみにしていました。日本公開のタイミングで引っ越してしまい、残念ながら引越し先では上映されていなかったのですぐには見ることができませんでしたが、出張にかこつけて無理やりねじ込みました。いやー、すごくよかった…。続編となると、1本目を観客が見た前提にするのか、見てない客でもついていけるツクリにするのか、見てても見てなくても関係ないツクリにするのかパターンはいろいろだと思いますが、基本的に「見てる」前提でぐいぐい話がすすんでいくし、あの頃の「おれたち・わたしたち」の地続きを描いて容赦ないし、容赦ないんだけど、絶望を見せるだけじゃないし、自分も画面の中の彼らと同じ年月を重ねてきたからこそ、「人生の負けが込んでいく」さまにむしろあの頃よりものめりこんで見たような気さえします。

中でも、CHOOSE LIFE、前作でのあの印象的なフレーズをきっかけに、レントンがヴェロニカに対していうCHOOSEから始まるフレーズの羅列はすばらしい!見事の一語に尽きます。ここは字幕ではなくあの言葉のリズムも含めて堪能したいと思わせます。久しぶりに長台詞の高揚感とテンションに酔わせてもらったし、これをものするユアン・マクレガーもさすがです。個人的にここだけでもお金を払った甲斐あったなと思わせてもらいました。

レントンに人生を狂わされたという執念から自由になれないベグビーの二人の対峙、あそこ…ベグビーは自分の首を絞めているようでもあるよなあなんて思いました。彼が息子を自由にしたことにすげえほっとしたな…。スパッドが「書く」ことで自由になろうとするのもよかった。でも「書く」ってほんと、何かに対する「喪の仕事」としては相当な機能を果たすと思うので(人物に限らず、事象でも、時間でも)、そこから物語が大きく展開していくのもうまいなと。

時折「あの頃」の彼らの姿がインサートしますが、中でもレントンがフロントガラス越しの自分を見る瞬間なぜだか猛烈に胸に迫って泣けてきて参りました。すごく誠実な「続編」だったと思います。