「四月大歌舞伎 夜の部『絵本合邦衢』」

仁左衛門さま一世一代と言われちゃ観に行かないわけにいかないでしょう!ということで遠征予定にむりくりねじ込みました。

分家のボンボンで本家乗っ取りを狙う大学之助、その大学之助に瓜二つで彼の手先となって悪事を働く太平次の二役を仁左衛門さまがつとめられます。文字通り出ずっぱり。そして悪&悪。二役を演じるというと真逆の役柄というのがどっちかというと王道の筋立てのようにも思えますが、そこはさすが大南北といいましょうか、種類の違うタイプの悪を重ねてくる、そしてそれをまさに当代一の名に相応しい役者が演じるというんですから、これが面白くないわけがない。

大学之助と太平次はどっちも悪の限りを尽くすって意味では共通してるんだけど、ぜんぜんタイプが違うんですよね。大学之助は典型的な「人を人とも思わぬ」タイプで、目的達成のために目の前に転がってる石ころを蹴飛ばすみたいな感覚で人を殺す。自分が悪だとも思ってない、むしろ自分の意に沿わないものこそが悪であるとさえ思っていそう。対する太平次は悪を悪として自覚しながら遂行するタイプ。殺すのも盗むのも悪いこと、でもなんでそれをやっちゃいけない?そんなあっけらかんとしたこわさがある。

数々の殺しの場面が出てきますが(だって本当に殺しも殺したりって数だもの)、個人的にこれは…たまらんな(舌なめずり)(やめなさいよ)と思ったのが太平次がうんざりお松を殺す場面。うんざりお松て、また名前もいいじゃないの。時蔵さんの婀娜なおんなっぷりもとてもよかったし、惚れている、がゆえに裏切られたらひどいよ、とお松が匂わせた瞬間に「あーめんどくせ、殺しちまおう」ってなる太平次。その心の動きが手に取るようにわかるのもすごいし、そんなものが見えるような距離でもないのに、殺すことを決意した瞬間太平次の目の奥のひかりがすっ…と消えたようにおもえる、そんな感覚を味わえるのがまたすごい。井戸の水を汲ませて、その縄をそっとお松の首にかけて締め上げて、そのまま井戸に放り込む…いやはや。いやはや。非道といえば非道以外の何物でもない、この場面にこんなにときめくのはなんなんでしょうね。物語の力というか、人間の、深淵を覗き込みたいという心理というか、これを書く作家もすごいし、一部の隙もなく板の上で見せてくれる役者もまたすごい。

あと、倉狩峠の場でのお米と孫七、あのサスペンスの作り方のうまさなー!あ、あ、戻ってくる、戻ってきちゃう、ってどうしても観客は思っちゃうし、実際その悪い予感のその通りになる、悪夢が現実になるのを見るしかないみたいなあの時間!ほんとすさまじい。

太平次も大学之助も、殺した後に敬意がない、人は死ねば仏というが彼らにとっては人は死んだらただのモノ、というところは共通していて、それがますますこのふたりの悪辣さを際立たせているし、仁左衛門さまのふとした表情や仕草がそれを倍掛けで輝かせてる感じでした。扇で顔を隠して舌を出す場面も印象的だけど、それよりも見得をするときのカッと開いた眼、もううしろに「どーん!」て効果音見えるもんね。ああ、芝居を!見ている!って気持ちにさせてもらえる瞬間だよなあ。

一世一代って、まだまだぜんぜんこれからも見たいです~!と思うものの、この演目の出ずっぱりさを考えると仁左衛門さまの決意もわかるような気もしたりして、ファンの心は複雑です。ともあれ、本当にいいものをみさせていただいた!という気持ちになる舞台でした。