押しますか 引きますか 入れますか

オチのない話をします。いやオチはいつもない。

ファンといいオタクといい推しといい自担といい贔屓という。「自分が好きになったひと/もの」を表す言葉も細分化してくる今日この頃、ネット記事には「贔屓は人生を照らす灯台」みたいな記事がずんずん出るようになって、いやほんといい時代がきたな!と思います。哲学者の竹田青嗣さんが一般欲望に打ち勝つ固有の欲望を持つのが幸せになる秘訣と仰ってるのを以前テレビで拝見したことがあるけど、風向きがそっちのほうに変わってきたんだな~と。

いやそんなまじめな話じゃないです。そう、要は「じぶんのすきなひと」をどう呼ぶ?どう呼んでる?という話がしたかった。今わたし「じぶんのすきなひと」という言葉を最大公約数的に用いましたけど、まずこの「すきなひと」の解釈からして違うってひとも結構いそうですよね。そこはご勘弁ねがいたい。

「推し」という言葉は「推」が入ってることからして「推薦」って意味を含むと思うんだけど、いやでももともとは「イチ押し」の「押し」なのかな。じゃあなんで「推し」という文字が使われるようになったんだろう。ってそんな語源は紐解きません別に。「推し」、すわりのいい言葉ですよね。広まるのもわかる。「自担」はやはりジャニーズ界隈で広範囲に使用されているという認識があるからか、自分に当てはめるとそれほどしっくりこない。「贔屓」、これはめちゃ好きな言葉だしよく使います。そもそもこの漢字がいいよね。こんなに「貝」いっぱい使って「金に!ものを!いわせる!」感ハンパない。原点にもどって「~さんのファンなんです」これはやっぱり王道、間違いない、同好ではない士とのオフラインの会話ではやっぱりこの単語が一番強いような気がしないでもない。「オタク」(~ヲタとか)も個人的には抵抗ない。

たとえば私は勘九郎さんが大好きなんですけど(知ってた)、この好きはまったくガチ恋というやつには程遠い「好き」で、「勘九郎さんのファンですか?」って聞かれたら「ハイ!」って元気に応えられるし「ご贔屓は誰?」って聞かれたら「勘九郎さんです!」ってこれも元気に答えられる。「推し」は使いたいときと「推し…なのか?」ってときとあってよくわからない。でも銀魂2のムビチケを勘九郎さんの図柄選んで買ったときは「このひとがおれの推し…(トゥンク)」みたいな満足感あった。だから時と場合によるのかな。

でも絶対に「推し」って使えないひとがいるんですよ。誰あろう、それが吉井和哉ですよ。推しではない。ぜんぜんない。何も足さない。何も引かない。何言ってるかわかんなくなってきました。私先日彼の特大写真集(おねだんそうりょうこみで5まん6せんえん)(あまりのことにひらがな)を購入したんですけど、でもそれは「推しに課金」ではぜんぜんないんですよ。わたしあのひと推してないです。推してない、じゃあなんなのか?つったら今も昔も吉井和哉に対する私の感情を一番正確にいい当てているのが

入れあげてる

って言葉です。ちなみに辞書を引くと「好きなもののために分別を欠いて多くの金銭をつぎ込む」って書いてあってマジで全力のそれな!感がすごい。確かに分別、もはやない。かれこれ20年余分別欠きっぱなしてすごくないか。届いた写真集のあまりの存在感にそんなオチのない話をしたくなった次第です。
オチのない話のおまけに写真集の大きさをぜひあなたも実感してください(ポストカードと対比)。
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