「クーリエ 最高機密の運び屋」

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キューバ危機の背後にあった諜報作戦を描いた「事実に基づいた物語」、監督はドミニク・クック、主演はベネディクト・カンバーバッチ。本国公開は2020年だったってことなんだけど、どうなんだろ、ちょうどコロナで厳しい時期だったかもしれないですね。劇場公開したのかサンダンスで上映しただけなのかちょっとわかんないですけど。

米ソがどちらも核の脅威をちらつかせ、終末時計が刻々と進む一方だった冷戦真っただ中の1962年に起きたキューバ危機。ソ連アメリカの庭先であるキューバ核兵器を配備し、まさに一触即発となった事態で、「世界が終わる」のを防いだふたりの人物を描いています。ひとりはソ連側の情報提供者、ペンコフスキー。そしてもうひとりは、諜報部員ですらないただのサラリーマン、グレヴィル・ウィン。グレヴィルは東欧への出張を重ねる機械部品のセールスマンであったことから、MI6とCIAの白羽の矢が立ち、ソ連へのビジネス出張という目的でペンコフスキーと接触する。

最初はたった1回、ペンコフスキーが「どれぐらいほんものか」を確認するためだけであったはずが、思わぬ深みにはまってしまうウィン。ペンコフスキーとの間に生まれる、まさに東とか西とかという思想による分断ではない、人間としての交流が彼にある決断をさせる。

こういう結末になるだろう、と予想しながら見ていて、これがミッションインポッシブルだったら、ヒーロー映画だったら、きっとみんな「幸せに暮らしましたとさ」って結末だってあり得たかもしれないけれど、そんなわけはないのだった。しかし、ウィンもペンコフスキーも、人間として失ってはいけない一線を超えなかった。それがどれほど困難なことか。キューバへの核配備は露見し、ソ連は撤退し、米ソ間のホットラインが敷設された。いや、そうはいっても、核兵器のボタンを押す国のトップなんていないでしょ、そのあとどうなるかわかってるのに、と思うのは、それこそが正常バイアスといわれるものなんだろう。押す人間はいる。いつだって。もう後戻りできないボタンを押す人間は。

わたしたちのような人間から分断はなくなっていくのかも、そうあってほしいね。そうあってほしいけど、今は個こそが分断を作りだし、煽り、乗っかっていく時代になってしまった気がしないでもない。あんなふうに、最後まで友人を思い、伝えるべきことを伝えることができるだろうか?ウィンとペンコフスキーが、ロシア・バレエの白鳥の湖を見ながら(そういえば、スワン・ソングは弔いの歌という意味もあるのだった)、心を震わせる場面はとくに、感じ入るものがあった。

エキセントリックな役を振られることが多いカンバーバッチが、平々凡々たるサラリーマンを好演していてよかった。ペンコフスキーを演じたメラーブ・ニニッゼとのほのかな親愛の情を感じさせるシーン、印象に残りました。そういえば、ペンコフスキーが亡命したらモンタナに行きたい、写真で見た、夢のように美しいと語る場面、「レッド・オクトーバーを追え」でもサム・ニールが演じた副官がモンタナへの夢を語る場面があったことを思い出しました。