- ナレッジシアター J列11番
- 作・演出 野田秀樹
日本版としては再再演になるんですかね。キャストを入れ替えての上演ですが、今回はまず野田さんが出演せずに井戸を阿部サダヲに振ったというのが一番の眼目かな。
初演の時から最高級に完成されていた舞台だと思うので、今回演出的にどうこう、というよりも、この根源的な戯曲が上演されるたびに「今」をより意識しちゃうということを改めて実感しました。
過去にこの芝居を見たことがある人皆が口をそろえてうわごとのように「えんぴつ…」「えんぴつが…」と魘される病に罹ってしまうわけですけど、この恐怖の見立て、そこにあるのは鉛筆であり、割りばしであるのに、見立てによって何よりも観客自身が鉛筆を指にしてしまうあの感覚。ほんと、上演されたら観に行きたいけどそのあとズドンとしんどくなるのがわかってる、なのに観に行っちゃうって…シアターゴアーって、マゾなんでしょうか。
私個人はこの芝居のいちばんしんどい瞬間はとうとう自ら指を差し出すあの瞬間ですね。演出も、そこをエポックのように見せていると感じました。奪い奪われることへの慣れ。搾取し搾取されることへの慣れ。それがまんま自分に跳ね返ってくる、あの瞬間。
しかし、阿部サダヲすさまじいな。いやこれもう何度も言ってますけど、何度でも感嘆するほかない。中盤のある長台詞で、野田秀樹の軌道をなぞるような台詞回しになった瞬間があって、それが寄せようとか似せようとしてそうなっているんじゃなくて、戯曲の生理に則って読んだら正解これです、みたいな憑依っぷりだった。長澤まさみさんとサダヲちゃんはどちらも芝居がウェットになりすぎないという点でいい組合せだったと思う。
大阪の千秋楽で、大千穐楽でもあったというのもあってか、カーテンコールの拍手がなかなかやまず、個人的にはいやもうええやん、と若干辟易してしまいましたが(長いカーテンコール苦手マン)、最後の最後、サダヲちゃんが去り際舞台にひとり残り、拳銃を客席に向けて一発、二発とあのビー玉のような眼で発砲した(ちゃんと火薬が鳴った)のが、ちょっと地続きなようでぞっとし、かと思えばすぐにほにゃっとした顔にもどって手を振りながらハケていくのがなんつーか…やはり、阿部サダヲ、おそろしい子!