「コーダ あいのうた」

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すごおく評判がよいので、週中の祝日を活用して見てきました。いやーよかった。コーダとはChildren of Deaf Adult/sの頭文字をとったもので、ろう者の親をもつ聴者の子どものこと。監督・脚本はシアン・ヘダー。

ろう者の両親と兄のなかで育ったルビーは早朝から家業の漁を手伝い、通訳として頼られる生活を続けている。ルビーは音楽が好きで、ある日気になる男子生徒と同じ合唱部に入部するが、顧問のV先生はルビーに特別な才能を見出し、音楽の道へ進むことを勧める。

ルビーの家族を演じたマーリー・マトリン、トロイ・コッツァー、ダニエル・デュラントはいずれもろう者の俳優さん。マーリー・マトリンはもちろん「愛は静けさの中に」でオスカーを受賞した方ですが、私にとっては「ザ・ホワイトハウス」のジョーイだよ!この彼らの会話はもちろん手話で行われ、その台詞は字幕で表される。

ルビーの両親が、本当にいい意味で普通の、自身のエゴもあり、でも子を思いやる親のそれで、ぜんぜん聖人君子なんかじゃないところがよかった。父親の所かまわぬ放屁にうんざりする娘なんて、マジでどこでもある風景だ。母親も、こうした映画でよくある自己犠牲のカタマリみたいなキャラクターじゃなくて、私が盲目だったら絵を習いたがったんじゃない?と言う所や、事業を始めて「通訳」としてのルビーを頼ってしまうところ、こういう描写がちゃんとあって、だからこそ聴者の子どもを分かり合えない不安を語る場面が胸に沁みるのだよね。お兄ちゃんも、妹を思い、一方で長男としての自負との間で揺れ動くさまがすごく繊細に描かれていたなーと思う。

恵まれた才能、しかし周囲にはそれを理解してくれる人がおらず、メンターとなってくれる人物はひとりだけ…という全体の構図は「リトル・ダンサー」に似通う部分がありますが、それほど普遍的な強さを持つ物語だとも言える。ルビーがV先生に「歌うときの気持ち」を聞かれて手話で表現するところ、Electricityだ…と思ったもんね。

ルビーの両親は子の才能に無頓着なわけではなく、物理的に「それ」に触れることができない。この映画の白眉は、あの発表会でデュエットをする、まさに晴れ姿のルビーの歌を、まったくの無音状態で見せる演出だろうと思う。もちろん観客は、彼らが聴こえないということを理解して、想像している。この声が聴こえないんだな、と思いながら見ている。しかし、あの無音は、その想像が想像にすぎないことを、あの一瞬で私たちにつきつけるのだ。

だからこそ、あの星空の下で、フランクがルビーの「歌」に触れようとする場面が、どうしようもなく美しく、胸に迫る。あんなに美しい場面あるだろうか。そしてクライマックスのルビーが歌う「青春の光と影」…。歌も、言葉も、ほんとうは、「伝えたい」という気持ちの高まりから生まれていて、その伝えたいと思う表現がどんなものか、どれだけ人の心を打つのか、ということを思い知らされたような気がします。

ルビーが両親の前で「歌が好き」と告白する場面、憧れの男の子との背中合わせのデュエット、秘密の場所でのデート、エミリア・ジョーンズの美しい歌声…。観終わった後も長く長く心に残る場面がたくさんある映画でした。