「天の敵」イキウメ

5年ぶりの再演。初演も拝見していて、非常に面白かった記憶があります。「食」「健康」という誰もが直視せざるを得ない事項に対して、前川さんお得意の「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」絶妙なリアリティラインを突く物語なので、ぐいぐい引っ張られながら見てしまいますね。これ絶対作品に引っ張られたんだと思うんだけど、見ている間むちゃくちゃ喉の渇きを覚えてしまって、つまるところ見ている者に「飢え」「渇き」を感じさせる舞台だったんだなーと思います。

芝居の途中で、「健康になりたいという病気」という台詞があり、改めてすごい台詞だなと思いましたが、「これを飲めば健康になれる」「これを食べるだけで病気が治る」、そういう惹句がこの世界から消えないどころか、そうしたわかりやすさに対する警鐘が常に鳴らされていても絶対になくなりはしないのは、まさにこの「健康になりたいという病気」が我々の中にあるからなんだろうなと考えさせられます。でも同時に、そうしてシニカルに斬って捨てられる人なんてほんとにいるのかっていうのも思いますよね。いつまでも若くいたいという願望はともかく、健康でいたい、命を永らえるという意味だけではなくて、やりたいことをやり、見たいものを見て、つまるところ「自分らしく」生きるための土台ってどうしても健康前提だったりするじゃないですか。それを得られるかも…という誘惑に、果たしてどれだけの人間が抗えるのか。

あと、初演のときはそこまで感じてなかったけど、橋本がこうして永らえた自分の生命が、「何の役にも立たない」ことに絶望するのが、今回のほうがしっくりきてる感じがあった。この世界に私の居場所はない、という台詞の重さよ。そして、何かを得たけど何かを喪っている(橋本の場合は日光)という等価交換の感覚が消えた時に、恥の感覚が強く残るというのも面白い描写だと思いました。そういえば天の敵っていうタイトル面白いなと改めて。人の道に相対する言葉として描かれている感じ。

この芝居はなんといっても浜田さん演じる橋本の、まさに得難い「異物感」と、世の中を諦めているようで達観しきれない寺泊を演じる安井さんのぶつかり合いというか、時にキャッチボールだったり時にピッチャーとバッターだったりという関係性の面白さと、あのセットの中で相対するふたりと100年の歴史を同時に舞台の上に乗せてしまう演劇ならではの構成がまさに極上の味付けだと思ってるんですけど、初演からますますブラッシュアップされて見応えしかないという感じでした。

これは完全に余談ですが、私も最後の晩餐は鰻がいいなと考えながら帰路につき、まんまと鰻弁当を買って帰ったので、やはり相当、引っ張られております。