「八月納涼歌舞伎 第三部」

「狐花(きつねばな)葉不見冥府路行(はもみずにあのよのみちゆき)」。なんとあの京極夏彦さんの新作書下ろし、小説も同時刊行というビッグプロジェクト。作家自身のファンもめちゃくちゃ多いので、新たなファンの掘り起こしという点ではさすがの目の付け所という感じ。それにしても京極さんが舞台というジャンルと絡んでくるとは予想外、幸四郎さんのプロデューサー力たるや。

小説の方が先に出版されましたが、読まずに観たほうがいいやろなと思ってまっさらな状態で観劇しました。結果正解だったかなー。舞台の中心人物である萩之介を七之助さんがやって、しかもお葉と二役という点で(冒頭の中禪寺との会話からしても)そこのからくりを隠す気はないわけで、全体の展開を知らない方が楽しめた感じはします。

京極さんのいつもの展開で行くと最後は中禪寺が長広舌をふるうわけですが(だからこその憑き物落とし)、難しいのは、小説だと成り立つこの展開が、舞台だと中禪寺が終始傍観者でしかないように見えること。舞台では最後にすべてを知っている人よりも、目の前で感情を動かしている方を物語の真ん中にフォーカスしちゃう。そういう意味でいくと今回は染五郎さんのやった佐平次や、新悟さんや虎之介さんの登紀や美祢の方がしどころのある役に仕上がっていたのではという気がする。勘九郎さんの監物もしどころある役ではあるのだが、コイツまじで胸糞オブ胸糞すぎて、憑き物落としとか言わずに袈裟懸けにズバーッと斬っちゃってくださいよお!とか思ってた私だ。最高潮にキモい役だったけど、勘九郎さんは実にいきいきと、全く同情の余地ないほどに悪役を満喫されていてそこはよかった。

歌舞伎お得意の「実は」展開も、中禪寺がぜんぶ知っている、という立ち位置よりはドラマとして見せた方がよかった気がしていて、これでも小説ではこういう展開(中禪寺が五手十手先を読んでる展開)よくあるんだけど、舞台で見せるとなかなかドラマにならんな…という感じがあり、何に面白さを感じるか、どう見せるかって単に展開に依らない工夫がいるんだなと思いました。

一部のゆうれい貸屋でもそうでしたが、いつも「気立てのいい」役をやることの多い新悟さんの性根の悪い役、むちゃ良かったね。心底意地が悪そうで、なるほどこっち側もイケる口か…と惚れ惚れ。あと染五郎さんの佐平次が個人的にめちゃくちゃよかった。人物の造形としてもだし、冷徹で主君絶対なんだけど、そこに一縷狂気っぽいものが滲む役柄がすごくはまってました。勘九郎さんとの相性もよかったのでは?勘九郎さんと幸四郎さんは最後にふたりのタイマンになるわけだけど、私が心底、中禪寺!そいつもう斬っちゃえよ!と思っていたこともあり、勘九郎さんと幸四郎さんなら切った張ったが観たいよねえ~!とかいう、物語の展開をガン無視した欲望を抱いてしまってすまんことをした。あそこ勘九郎さんは受ける芝居だけど、幸四郎さんは最後の最後にいきなり投げる芝居を要求されて(しかも台詞が長い)大変だなあと思ったし、そこを引き受ける幸四郎さんえらい、さすが座頭。

要素要素には面白い部分があるので、人物を整理して見せ方を工夫したらいい感じの夏の演目になるかもしれないなー!今後に期待!