「売り言葉」

  • スパイラルホール  55番
  • 作・演出  野田秀樹

配られた小さなパンフレットの中で野田さんが書いていらしゃるように,「狂人」というものを舞台の上にのせるのは一種の賭だと思うわけです。やはりどうしたって「演じている」感というのは消えないものだとも思うわけです。しかし,今回の舞台で,終盤の狂気に満ちた智恵子を演じる大竹さんを見ていたら,一瞬今この舞台の上に立っているのはいったいナニモノなんだろう,私が見ているのは本当に大竹しのぶという女優なのかと背筋が寒くなる瞬間が何度もありました。やはり,稀有の才能を持った女優としか言いようがないですね,この人は。

智恵子抄」でも有名な,高村光太郎と智恵子を描いた話ですが,光太郎側から美しく美しく描かれた智恵子という女性の声なき声というか…光太郎の側から今まで一方的に語られてきたこの二人の関係を,智恵子の側から徹底的に語っていました。あえて光太郎の視点を排除した智恵子からの「売り言葉」で物語は作られていました。実際には智恵子が何故狂ってしまったのかというのは誰にもわかるところではないし、野田さんもそこは「淡々と」書いたと言っているんだけど、光太郎の語る美しい「智恵子」に縛られ、芸術家としての己の才能をも疑いだしたとき自分自身をも支えきれなくなっていくというのは「そうだよなぁ」と思わず納得してしまうんですが・・・というか、後半どんどんどんどん「そりゃないよ光太郎」って気持ちになってしまうあたり、この売り言葉の術中にはまってるってことなんでしょうねえ・・・。

光太郎と知り会い,恋に落ちる智恵子のはじけんばかりの若さと美しさを,そして後半実家が没落し,自身に才能がないのではないかとの不安に苛まれていく智恵子の姿を,ものの見事に演じていた大竹しのぶのすごさにまず拍手。言い尽くされているとは思うんだけどホント天才ですわ。特に後半のだんだん狂気に侵されていくさまはもう…「わたしはずっと水面に隠れていたんだ!」と叫んだ瞬間,本当に大竹しのぶ大竹しのぶに見えなくて…舞台を見ていて怖さを感じたのは初めてかもしれないです。ラストの「東京市民よ」の語りも静かな口調なのにものすごい迫力がありました。というか,言葉では多分わかってもらえないと思う,あのすごさ。

野田さんとしては,引用も多いためだと思いますが「野田節」みたいなところがかなり薄れていて,それでも言葉の美しさや場面場面の完成度はやはり野田さんだなあと思うところも多かったですね。和紙をうまく使った演出や,ラストの照明なんかはさすがだなあとか。本当に野田さんの舞台って綺麗。

えーと,あとね。舞台で光太郎の影,みたいな感じの役割をこなしつつ,バイオリンの生演奏をしていた人いましたよね?以前G-CLEFというクラシックのバンドをやってらっしゃった渡辺剛さんという方なんですけど…実は私,その昔ライヴに行ったことあるんですよ(笑)意外なところで意外な人に会ってものすごびっくり。なんか二度おいしい公演でした(笑)