3月に拝見した二人芝居の面白さと、なにより「百人芝居」っていうその無謀な試みに心ときめかせ遠征してみました。だってもう何がどう転がっても、「見たことのない風景」が観れそうじゃないですか?そんな貴重な機会逃すわけにいきませんて。
私は最初、「とにかくどーんとでかいこと」という意味での「百」って捉え方をしていたんだけど、芝居を観ているうちにこれは「二」の次は「百」だよなってすごく納得してしまいました。3とか4とか20とか、そういう数字じゃこの「弥次喜多」は成り立たないんだなあと。弥次喜多という2の数字のつぎは、もう個が認識できない数字であるべきで、だとしたらやっぱりそれは「百人芝居」だよなあと。
席は7列目でしたが、前3列が潰れていて実質4列目。161人が揃ってのダンスなんかはこれは後ろで観たかったなあ〜と思いつつ、確かに圧巻です。踊りもだけど、161人の声が一斉に響くというのもそうそう聴けるものではないですよこれは。何が、というシーンでもないのにわけもわからず胸が震えるというか、そういう力を持ったシーンがあちこちであって、それはこの圧倒的な数あってこそ、というのもあったと思います。私は個人的に背後一面の障子が開いてプロペラが回る演出が大好きでした。
二人芝居の時の「リアルってなんだ?」という問いかけではなく、今回の芝居では「この世の中のリアルって死だけじゃないのか?」という問いかけをなんだか感じてしまいました。弥次さんにむかって何度も「もういない」「喜多はもういない」と繰り返されるからなのかもしれないけど。雨の中に喜多さんだけがいて弥次さんが取り残されるシーンがすごく哀しくて、本当に取り残されたような気持ちになってしまった。
あと、シャトナーさん演じるヤマモクのシーン。俺はいっぱい考えたんだ、だけどなにもわからない、という彼の言葉がすげえ沁みた。だってみんなそうじゃないか。みんななんにもわからず、なのに考えることをやめられずに生きていくんだ。泣けたなあ。
さねよしいさ子さんがこの回ゲストで、161人を引き連れて歌う歌と声がずーーと頭の中に残ってます。
朝と夜の間に
夏と冬の終わりに
何があるというのか
なーんにもないよ
いやほんと、ええもん見させてもらいました!