「なむはむだはむ」

野田さんの「子どもの書いた台本を演劇にすることはできないだろうか?」という発案をハイバイの岩井さんが受けて具現化。一緒にプロジェクトを立ち上げたのは森山未來前野健太という強者揃い。

未來くんの身体性、前野さんの音楽性、岩井さんの物語性がそれぞれ子どもたちを含めた観客の集中力をぐんぐん高めていくのが手に取るようにわかって、やっぱり突出した何かっていうのは年齢に関係なく伝わるものがあるんだなと実感しました。私は根っからの物語人間なので、中でも岩井さんがたどって見せていく物語の筋道、その語り口のうまさにとても心惹かれました。ただ読む、というだけではああはいかない。やっぱり人を惹きつける魅力と技術がありますよね。あと、音楽っていうのはやっぱりすごく強い。言葉が1000かかって積み上げたものに1で到達したりする瞬間がある。

それぞれが楽器を演奏するシーンもあって、未來くんのベーシストぶりは中でも口から変な声出そうになるぐらい魅力的でよかった。あれはずるい。あれで落ちない女はいないよ!選ばれた演目は日替わりでしかも組み合わせは毎回違うようで、構成が違うバージョンも見てみたかった気もしつつ、しかし自分が見た回が物足りなかったというわけでは決してないのでうまく作られてるんだなあと。

わりとたくさん小さいお子さんも観劇していて、冒頭の観客と会話していく導入部で子どもがぐんぐん手を挙げて物語に参加しようとしていたんですが、これがほんと岩井さんが書いていらっしゃったとおり、子どもたちは皆、ものすごく簡単に「死ぬ」という物語の展開に飛びつくんですよね。岩井さんや未來くんや前野さんによる導入がなくても、子どもはかんたんに起承転結の「結」に「死ぬ」という展開を選ぶ。つまりそれは、それがドラマとしてもっともわかりやすい(それこそ子どもにも思いつく)展開なんだなと。

いやだからね、何かというと難病ものでどうにかしようというアレってまあそういうことなんだな!と思ったわけです。がんばろうぜ、おとな。

「お勢登場」

  • シアター・ドラマシティ 21列39番
  • 作・演出 倉持裕

江戸川乱歩の短編を再構成した舞台。「お勢登場」「二銭銅貨」「D坂の殺人事件」「二廃人」「押絵と旅する男」「木馬は廻る」「赤い部屋」「一人二役」の8本の短編から構成されています。

普段、芝居を観るときに「予習」というものをまったくしない(原作を読んでいくとか)タイプなんですが、これは読んでいったほうがより楽しめたかなーという気がしました。というのは取り上げられている作品のうち読んだことのある作品の部分がぐっと面白く感じられたからなんですよね。特に、物語を形作る大きな枠になっている「二廃人」と「お勢登場」は読んでいた方がいろんな仕掛けに気が付けて面白かっただろうなーという気がしました。

黒木華ちゃん、ファム・ファタールとでもいうべきか、小悪魔的な役柄でよかったです。あの長押しのカギをかけてしまうシーンの揺れる感じが印象に残ってます。千葉さんとはいりさんのやりとりはさすがの安定感。例によって全キャストを把握しておらず、席も遠かったので、若い男の子が二人いるけど声で判別できない…と思ってたら川口覚さんと水田航生さんでした。二銭銅貨の話はこのふたりがメインだったのですが、自分が好きな話というのもあって楽しかったです。

「陥没」

「東京月光魔曲」「黴菌」に続く、ケラさんの描く「昭和三部作」。「黴菌」を見逃していますので、三部を通したトータルの空気はわからないんですけど、「陥没」というタイトルと、「東京月光魔曲」を見たときの印象から想像した物語とはかなり違っていました。東京オリンピックを目前に控え、もっと先、もっと未来、そこにはなにか素晴らしいものがあるに違いない、そう誰もが信じていた頃を、かなり真正面にとらえて描いていたという印象です。最後のシーンなんかは、今この時代という視点からみると皮肉さが強く出そうな気がするのに、観ているときにはシニカルな「上から」の視線よりは切なさのようなものが強く感じられたのが印象的です。ケラさんが描く作品は、会話の緻密さや物語の構成の卓抜さはますます磨きがかかっているという感じですが、物語を見る視点は変化が感じられるというか…この三部作も「黴菌」から6年空きましたが、もし「黴菌」の翌年とかに書いていたらこういう視点の話にはなっていなかったんじゃないかと思います。

いつもながらに、芝居がすさまじくうまい面々を揃えていらっしゃいますが、なかなかここまで曲者の役が回ってくるのも最近めずらしい、生瀬さんのダメでイヤな男ぶりが冴えに冴えわたってましたね。ほんっとうまい。山内圭哉さんとのコンビも絶妙でした。でもって井上王子と瀬戸康史くんのきょうだいのかわゆさね!瀬戸くんほんと、観るたびに手数が増えて豊かな役者になっていってる印象。松岡茉優ちゃんは大好きな女優さんだし、あの年代の中では個人的にイチオシといっていいぐらいなんですが、このメンツの中に入るとどうしても手数の少なさ、球種の少なさが感じられてしまうところはありました。またちょっと一筋縄ではいかない役でもあったしねえ。

この作品も例にもれず、なかなかの長尺ではあったのですが、ほんとに不思議なほど観ている間時間の長さを感じさせない。短い芝居大好き、長い芝居はそれだけでちょっとやる気そがれる、みたいな部分も確実にあるのに、こんだけ濃密に時間を過ごさせてくれるんだから、そりゃ長くもなるわな!みたいな納得感が今回もありました。

「皆、シンデレラがやりたい。」

「シンデレラになりたい」ではない。シンデレラ「が」「やりたい」。このタイトルが、まずうまい。

めちゃくちゃ面白かったです!物語は世間から「いい年をした」と言われてしまう年齢の女性3人が、アイドルの追っかけをきっかけにいわゆるヲタ友として交流を深めているけれど、そこにはそれぞれの思惑も抱えている。そこに降ってわく、女性がらみの「炎上」案件。果たして、アイドルへの想いは!ヲタ友との友情は!転がる先が見えないにもほどがある、嗚呼、これぞヲタライフ!

実際問題、まったくもって「他人ごとではない」描写の連打であるわけで、その前日にも観劇クラスタの友人たちと集まってああでもないこうでもないとヲタ話に花を咲かせたわけで、あたしが夢中なのはアイドルじゃないから、追っかけとかしてないから、作品が好きなだけだから、なーんて口をぬぐっていられないことはさすがに百も承知です。まさに同じ穴の貉。自分の力ではどうにもできないものに人生の楽しみを託してしまっている族ですよ。

いや、あの3人のうち2人が残り1人の「悪口」で結束してしまう場面、いやな場面だけど、わかるし、実際あるし、ヲタ友はヲタ友で狭い世界だからこそ煮詰まって焦げると大変なことになるっていうのは身近なところでいくつも見てきましたもん。伊達に歳食ってないっすもん。でもそこをいやったらしくなく、毒は消さずに、でもポップに見せきっている脚本すごいなと思いました。全編においてそのポップさ、深層がありながらも沈み切らずに駆け抜ける筆致がすごく気持ちよかった。

そしてその気持ちよさを支えているのはなにかというと、猫背椿さん、高田聖子さん、新谷真弓さんという、大人計画・新感線・ナイロンを背負ってきた看板女優の皆様の手腕なんですよね。まさに凄腕。ほんと、冒頭の1シーンを除いて、3人だけで展開する場面が相当長く続くんですが、この時間が至福の一語に尽きる。演劇の愉悦を文字通り浴びるように味わっているという感じ。3人の隙のなさ、ナチュラルで、かつ緻密な芝居立て、うまい役者は自分が舞台を引っ張る時にはちゃんとバトンを握り、かつそれを次の牽引者に渡すことができるものですが、その3人のいわば芝居のバトンパスがほんとに見事すぎた。もう何にも事件起こらなくてもいい、このまま3人がずーっと喋ってるだけでもいいとか思わせるもんね!

ヲタ友たちの前に現れたのはアイドルの恋人とそのマネージャーで、誹謗中傷をSNSに書き込んだ彼女らの位置情報表示からその場所に乗り込んでくるんだけど、その恋人は意外なことを言い出す。あなたたちがお金を使ってるアイドルは実は最低の人間なんですよ、あんなやつにお金を使うのはもうやめたほうがいいですよ…。

さて、こんなとき、あなたならどうするだろうか?そんな人(女の子を妊娠させたうえ半分ヒモ生活をしていながら自分がホストクラブで稼いだ金は風俗につぎ込むなかなかのチャー!シュー!メーン)とは知らなかった、がっかりだ、今まで売れない路上アイドルから支えてきたのに、金返せ、もうお前の顔も見たくない、となるだろうか?そこまでではなくても、折角応援してきたのに、そんな人だったなんてがっかりだ、と「せっかく」「〜のに」の係り結びの法則でそのアイドルから距離を置くだろうか?はたまた、その事実を飲み込んで、または見なかったことにして、どうにか心の折り合いをつけて、この楽しみを離すまいとするだろうか?

ヲタ友3人にはそれぞれ明確な生活格差が描かれており、それにまつわる毒もふんだんに味わえるのだが、その中でもっともつましい生活をし、節約に節約を重ねてヲタ生活を送っている女性はこういう。「あなたにはたった1万円でも、私には11時間パートしないともらえない1万円なんです。そういう1万円をかけてきた気持ちは、だから誰よりも強いのだ」と。

見たくない事実にぶち当たった時どうするか。個人的な考えだが、それはもう、個人の資質によって違うだろうという気がする。かけてきたお金は要素ではあるが、分水嶺にはならない。そして、腹を立てても、逃げても、踏みとどまっても、ヲタとして「正しい」解などない。だって私たちは所詮、自分の力ではどうにもできないものに人生の楽しみを託してしまった族なんだから。どうにもできないものにぶち当たった時の身の処し方に正解なんてあってたまるもんですか。そう思います。

芝居の最中で出てくる「笑い」という標的を、ひとつ残らずワンショットワンキルで撃ち落としていく凄腕スナイパーのごとしだった猫背さん。ほんと、すごい。あそこまで百発百中かよ!と唸らせる。ほーら今日もかみ合わない!でメモをぶん投げるところ最高でした。もはやお手の物ともいうべきほわほわ不思議少女のテイでいながら、だれよりも黒い部分を醸し出してくる新谷さんの硬軟自在さも頼もしかったなー。聖子さん、前半は受けに回ることが多い役なんだけど、こっちはその爆発力を知っているだけに、後半のくるぞ…くるぞ…キターーーー!感がすごい。あの「おせっかいですよね」からの場を圧倒する畳みかけ、見事でした。3人で完全に場の出来上がったところに入っていく小沢道成くんと新垣里沙さんはかなりのプレッシャーだったと思うけど、暖まった空気をうまーく掴んで芝居を運んでいてよかったです。小沢くんの振り回されキャラかわいい。

作中で言われる「シンデレラ」とは、彼女らが追いかけるアイドルがバイトをするホストクラブで、シャンパンタワーを頼むとホストから呼ばれる呼称のこと。シンデレラと言われ、ちやほやされ、いちばん高いところに立つ。皆、シンデレラが、やりたい。最後の怒涛の展開まで上演時間1時間45分、楽しく面白く、そして深く胸に刺さる、文句なしの一本でした!

蛇足ながら

上の感想で書いた、あったかもしれない人生への「あなたが感じた愛おしさは真実なのだ」…これは第三舞台「ビー・ヒア・ナウ」のセリフの一部です。わたしはもう、この長台詞がすきで、すきで、すきすぎて、たぶん私の細胞の一部になっているとおもう。この台詞は、こう続きます。

僕達は、片隅に転がる人形のように、自分の人生を捨てながら生きていく。
何種類の人形を捨ててきたのかも忘れて、
その人形と過ごした幸福な日々も忘れて、僕達は、生きていく。

だが、ある昼下がり、友人があなたを訪ねる。
そして捨ててきた人生を欲しいと迫る。
その瞬間に感じるいとおしさ、それは、真実なのだ。
私は、私はあなたの、そういう友人になりたい。

…私が叫びだしたいほど胸震えたとしても、しょうがないと思うのよね!

ラ・ラ・ランド


昨年暮れあたりからオスカー戦線の最有力候補で名前があがってるよって言われて見たあのポスター、あの完璧な構図の、うわーこれ見たい!と思ってずーっと楽しみにしていました(あのポスターの何が完璧って、ライアン・ゴズリングの左手の角度だと思う)。

初日のレイトショーで見てきたんですが、冒頭の10分ぐらいで予告編の印象的なシーンが立て続けに出るのにびっくりしながらも、何しろド頭の2曲、Another Day Of Sun と Someone In The Crowdがミュージカルナンバーとしての完成度が高すぎてもうそこだけで相当な満足感。いやもうあの高速道路のシーン(『南部高速道路』思い出したりして)でトラックからバンドが出てくるところでまず感極まるし、あの現実の世界に戻る時のクラクションの音の演出も良いし、Someone In The Crowdはもうこれ舞台だったら絶対ショーストッパーソングだよね。あの音楽の高まりと花火!最高じゃんすか!

二人が出会って、ジャズが嫌いな女の子なんかって言ってたセブがミアに恋をして、ジャズなんて嫌いって言ってたミアはセブに恋をしてジャズを好きになって、あのオーディションでひどいめにあったミアが「理由なき反抗」をかけてる劇場の前を通ってセブとの約束のこと思い出してちょっと救われる、あそこすごくよかった。緑のドレスで、レストランのBGMで自分の気持ちに気が付いて走り出しちゃうミアほんとにきれいだったな…!

お母さんに電話をかけてるミアの言葉にちょっと傷ついて、でもなんとかしようと思って「大人になる」セブの選択もわかるし、脚本を書いたらって言われて走り出したミアとすれ違っちゃうのもわかるし、でもセブはきみは優越感から不遇のぼくを好きになったんだろってひどいこと言っちゃうけど、ミアの未来を勝手に切り捨てるようなことはしなかったんだよ、図書館の前で、どの家にいるかもわからないミアに向かって合図のクラクションを鳴らしてくれるんだよ。

あの、ちゃんと目を見て挨拶してくれるオーディションで、台詞はない、何か語って、と言われたミアが語る雪のパリのセーヌの話…もう、エマ・ストーン、まさに圧巻というべきナンバー、すばらしいシーンでした。ものを作るってことは情熱と狂気がつきもので、その狂気に魅入られてしまう人たちがいて、その「どうしようもなさ」へ向ける愛の歌。なにかを作る、作らないではいられないという人たち、そしてそういう人たちの情熱と狂気に惹かれたことのある人にはひとしく胸を打つナンバーなんじゃないでしょうか。

私がこのラ・ラ・ランドでうおおおおおっと叫びたくなるほど胸震えたのは最後のシークエンスでした。あの刹那、それぞれが「あったかもしれない人生」、沢木耕太郎さんの言葉を借りれば「使われなかった人生」を思う。あったかもしれない人生への愛おしさに震え、あったかもしれない人生の思い出に浸る。あの刹那、ふたりを結び付けた旋律の中で、ミアとセブはそれを共有するのだ。そしてもちろん、その共有した感情は一瞬のうちに消え去る。「だがそれを悲しんではならない。あなたが感じた愛おしさは真実なのだ」…。

鮮やかな色彩、美しい音楽、あったかもしれない人生のあったかもしれない物語、あなたにも、わたしにも、そういう物語はきっとあり、その人生への愛おしさを感じさせてくれる、すばらしい映画でした。ぜひ映画館でご覧になってください!!!

「ナイスガイズ!」


ラッセル・クロウライアン・ゴズリングの凸凹?バディもの。示談屋と私立探偵のコンビなんですが、ごずりん演じる私立探偵がんもうほんとにできない子ちゃんで、飲んだくれでここぞというときに役に立たない…わけでもなく結構役に立つ!かと思えば立たない!セクシーなのキュートなのどっちがタイプよと言われれば秒でキュートと答えるタイプの役柄でした。あの橈骨折られた時のピャーーーーーというハイトーンボイスさいこうでしたね。そしてトイレのシーンね!ああいうの大好き!!

ラッセル・クロウはなんというか文字通りのレイジングブルというか当たったらしぬというか重量感ハンパなかったです。しかしどことなく愛嬌のあるキャラだったのもよかった。あの熱帯魚ふくめて家に愛着ありそうなのもいい。場所に愛着を持つ人かどうかはキャラクターを作るうえでわりと重要なファクターだと思うけど、ふたりとも場所に愛着を持ちタイプだったよね。

ポルノスターの死からはじまる、映画を巡る意外な謎と陰謀を解き明かすというか、ごずりんが謎に自分からぶち当たりにいってるー!という感じなんですけど、鮮やかな黄色いドレスの女、キュートガール、絵にかいたようなクールな殺し屋、とぐんぐんみせてくるので飽きさせません。このクールな殺し屋がマット・ボマーだったんだけど、前髪をすっかりおろしたスタイルで、意外なほど若いころの升毅さんの面影が!っていうのを誰かと共有したいけど分かり合えないかなしみ!この殺し屋とのファーストコンタクトでコンビがすたこらさっさと逃げ出そうとするとこよかったなー。

ごずりんの娘ちゃん役ちょうかわいかったし、かわいいごずりんと楽しいラッセルとかわいい娘ちゃんで最高の絵面ではあったんですが、ブルーフェイスもジョンボーイも殺しちゃだめ(うるうる)だったのはなんでなんだろう。ブルーフェイスはともかくジョン・ボーイがあそこで助けられたからといってそのあとの危機を招くとしか思えないが!っていう。

しかし次週はいよいよラ・ラ・ランドの公開だし、ライアン・ゴズリング主演作を見に来てライアン・ゴズリング主演作の宣伝を見る…というなかなか稀有な体験だった!かもしれない!