言葉の泉に水路を繋ぐ

お正月の特番に「座・中村屋」という、勘九郎さんが藤原竜也さんと、七之助さんが宮藤官九郎さんと、そしてご兄弟そろって大竹しのぶさんと対談するという番組があった。勘九郎さんと藤原竜也さんのコンビが大好きなことで名高い私ホイホイのような番組であり、自分で企画書書いたのかなコレと思ってしまうほどであるが、期待にたがわずたいへんに楽しませて頂いた。基本的に好きなものを味なくなるまでしがむタイプのヲタですので、特に印象に残ったことを書いておきたい。

そもそも、勘九郎さんと藤原竜也さんが親交を深めたのは04年の大河ドラマ新選組!」がきっかけであることは皆さんご承知の通りです。藤堂平助沖田総司。ドラマの中でもニコイチになってることが多かったですものねふたり。しかし、勘九郎さんは竜也さんのことをずいぶん前から知っており「僕はね、ずっと彼のファンでいろんな舞台も見てたんですよ。でもこの人全然歌舞伎を見に来ないの(笑)」と語っていた。しかしその後竜也さんも歌舞伎に足を運んでくれるようになり、ようになりというか、私の知る限り大抵の勘九郎さんの公演を見に来られている(地方でも)。

ところで、竜也さんは以前は勘九郎さんのことを「勘ちゃん」と呼んでいたが、今は「勘九郎さん」となっている。以前スタジオパークに出演された時に、このことについて語っておられて、「新選組でぼくは一番の出会いっていうのは勘九郎さんでしたから。あの人と出会えたことによって自分の中でも大きく変わっていくものがあった」「この間六代目勘九郎の襲名興行を観に行ってきて、今まで勘ちゃん勘ちゃんって呼んでたけどもう勘ちゃんなんて呼べない、勘九郎さんて呼ばなきゃいけないような凄い俳優さんで、この人の方が常に僕の先を歩いているから僕は必死でついていける」というのがきっかけと思われるのだけど、でもたまーに勘ちゃん呼び、出ますね。正直ありがたみしかない。時折こぼれる親しげな呼び方に、ひとは萌える(真理)。

今回の番組で新選組!での共演当時の話があり、住んでいる家が近かった(坂の上と下)、撮影終わってメシ食ってふたりでNHKから歩いて帰って八百屋のベンチ(隣が餃子バー)に座って語り合ってましたね語ってる内容がフレッシュでしたねあの頃は夢がありましたね(今はないのかよ!)という私の心のツッコミなど入りつつ、そりゃ仲良くなるわけだねー!と改めて思った。以前「ろくでなし啄木」で共演したとき三谷さんが、新選組!山本耕史香取慎吾というコンビと藤原竜也中村勘九郎(当時は勘太郎)というコンビを生んだと書いてらしたけど、劇中での設定以上に近しい交流があってこその今なんだなと。

酔っぱらってやらかした話はたぶん枚挙にいとまがないふたりですが、お互い全裸で飲んでたのかとか(ばかだね〜)、竜也さんはあの!ハムレットの昼夜公演の前日に朝7時まで勘九郎さんと飲んでたとか(ばかだね〜)、その日のマチネを観に行く約束をしていた勘九郎さんは二日酔いでそれどころじゃない、なんだ金網のセットって…電流デスマッチかよ…とか思ってたらこのハムレットがとんでもなくて心の中が感動と謝罪でいっぱいだったとか(あのハムレットじゃそうなるよね〜)、ワインをたしなむ竜也さんに「俺はワインの味はわからない!」と無駄にえばりんぼな勘九郎さんとか、挙句「お前変わったな…」と嘆く勘九郎さんとか、ピッコロ大魔王というボケへのツッコミを待っている勘九郎さんとかいろいろあったけど、極めつけは「初めての生牡蠣に挑戦」する藤原竜也をただじっと見守ってるだけっていう…これ何の時間なの!?私が代わりに叫んじゃったよ。

勘九郎さんに竜也さんが「怪我なんて言ったら勘九郎さんの方こそ」と言ってくれてたり(ほんとそうだよね!もっと言ってやって!)「いやそれはあなたもじゃない」「僕は最近こなし方を覚えました」「やめなさいそういうこと言うのは」って流れるようなやりとり大好きだし、そのあと勘九郎さんに大河の話をふってくれて、「1年以上(歌舞伎を)あけるの?」「いやちょこちょこ」という返事まで引き出してくれているのでもう竜也さんを崇めるしかないかもしれない。

去年の春に竜也さんが入院していたのは全然知らなかった(大丈夫なのかよ〜)けど、その時のお見舞いエピソードを嬉々として喋るのが妙に早口でかつもはやテレビというよりその場にいる人にねえ聞いて聞いてー!なテンションだったのが激カワ案件すぎた。言ったよね真面目な番組だからよろしくねって…と言う勘九郎さんだがそれはおぬしも同罪じゃい!と思う私である。

しかし、確かに終始ワハハワハハとおばかちゃんでなかよしなふたりで、役者論!なんて大上段なものにはなりそうもなかったけれど、私がこのエントリを書きたくなった理由は最後の5分にある。8月、野田さんと組んだ「桜の森の満開の下」、体調や喉の調子があがらず苦しんでいた勘九郎さんは竜也さんに電話をかける。稽古にどう臨んでいるのか?いやそれは全力ですよ、竜也さんは答える。それでさ、勘九郎さんは続ける。

「話してくれたじゃない、自分のことも。それで、蜷川さんがおっしゃったんでしょ、声が枯れた状態でお見せするのは…」
「コンビニで不良品を売ってるようなものだ」
「…でもさ、その言葉をあなた、ずっと持って挑んでてさ、苦しくなかったの」

声が枯れた状態で客の前に立つのはコンビニで不良品を売ってるようなものだ。きびしい言葉だ。きびしい言葉だし、さすが蜷川幸雄だなとも思わせる。劇場に足を運ぶ観客というもの、その行為の重さから目を離さなかった創り手ならではの言葉だとおもう。

もし、これが普通のインタビュー番組だったら、蜷川さんのこの言葉に対するリアクションはもっと違ったものになっていただろう。すごいですね、さすがですね、きびしいですね…しかし、勘九郎さんがかけたのはそのどれでもない、「その言葉をずっと持って挑んできた」ことへの「苦しくなかったの」という言葉。これは同じ役者だから出た言葉だろうし、その言葉の重さを実感としてわかってるからこそ、そしてそれが同じ時代を一緒に歩む仲間だからこそ出た言葉だとおもう。

苦しいですよ、竜也さんは答える。そして、竜也、その役が出来ないんだったら手を上げて降りるのも才能だぜ、かつてそう竜也さんに告げた、偉大な演出家の言葉を続ける。

いま、苦しみからある種解放されて、演劇と純粋に向き合いたい、楽しみたいと思うんだけれども、そういう自分もいなくて、なんか変なことばっか考えて…というのはありますよね。蜷川さんが言ってた、ここまで私生活なげうって、ここまで削って演劇に向き合え、自分をもっと疑わないとだめだぜ、こんなんでいいのか、ずっとそう教育されてきて、そういう現場を今求めているのか、そういう人を求めているのかわからないけども、だから、すごく難しい、今は。

これはおそらく蜷川さんを喪ったあとの藤原竜也という役者の正直な心情で、そういう現場を求めているのか、そういう人を求めているのか…と、より自分を疑い、きびしい現場におくことで生まれるものがあるはずだと信じてここまできたひとりの才能ある役者からこぼれた言葉に、どうにも胸を打たれてしまった。

竜也さんからこの言葉を引き出したのは間違いなく、「苦しくなかったの」という勘九郎さんの言葉であり、ふたりとも、人生において指針ともいうべきひとを喪った今だからこそ、共鳴し合うものがあったのは間違いない。いずれにしても、あの言葉はあの瞬間、竜也さんの「言葉の泉」に水路をかけたのだ。

その後ふたりはまたいつもの顔になり、収録を終えた後も馴染みの店に突撃し、食べ、飲んで、ワハハワハハとおばかちゃんでなかよしなまま、夜の浅草に消えていっていた。

どっちも大好きな役者さんで、ふたりが仲良しで、お互いに敬意と愛情があり、常にどこか高いところへ挑んでいこうとするところを、これからもずっと観ていたいなとおもう。ずっと好きでいさせてね。2018年早々のお年玉、どうもありがとう。たいへんおいしくいただきました。

「ジャコメッティ 最後の肖像」


スタンリー・トゥッチ監督。ジェフリー・ラッシュジャコメッティの晩年を演じています。90分の作品で、舞台もほぼジャコメッティのアトリエで進行しますし、なにか波乱万丈の物語が展開する!というタイプの作品ではもちろんなく、当時「フランスで最も成功していた芸術家」ジャコメッティが、彼の作品についての著作をものしたことのある作家ジェームス・ロードに肖像画のモデルを頼むことが発端です。1日だけ、遅くとも夕方には終わると言われたモデルの仕事、しかし、肖像画は一向に完成しない。

あらすじは予告編にあるとおりで、しかもほとんどそれで全部といってもいいぐらいですが、最初はこのモデルを頼まれた男性がなぜ途中で断って(彼はフライトを何度も変更しそれだけの損害も出している)アメリカに帰国しないのか、というのがよくわからないなと思っていたんですけど、実際映画を見たらなるほどと思いました。あれは帰れないですね。だって当代きっての芸術家、ただのスケッチがとんでもない高値で売れ、いかにも「ジャコメッティ的」なものに人々が群がる、モデルとなったジェームズ・ロードはそのジャコメッティの作品が好きで、本まで書いているのだから、そのジャコメッティが自分を描くという「ポートレイト」、完成を見たいと思うのは至極当然の心理ですよね。

描き上げては消され、描き上げては消される肖像画と、その中で繰り返されるひとつひとつの問答、ジャコメッティをとりまく女たちとのやりとり…あのフランス・ギャルの「JAZZ A GOGO」に乗せて新しい車でドライヴするシーンよかったな〜。でもって、カメラが肖像画を描くジャコメッティの目線になっているところは文字通りなめるようにジェームズ・ロード役のアーミー・ハマーさんの美しい造作が浮き彫りにされるわけで、いやほんと…見ながら照れたわ…(なぜお前が)。

ラストの展開はちょっとあっけない感じもしましたが、現実とはこういうもの、という小気味よさともいえるかな。ジャコメッティの弟との関係性もよかったです。

「源八橋西詰」T-works

女優の丹下真寿美さんをできるだけ沢山の人に見てもらいたい!というところから始まったユニット「T-works」の第1弾。96年に初演された遊気舎の作品を、なんと!後藤ひろひと自らが演出して出演もするという!いやもう、よくぞ後藤さんを演出にひっぱってきてくださった、と本当にお礼を申し上げたい。さらにキャストとして初演オリジナルキャストの久保田浩さんが、そしてジョビジョバ坂田聡さんが参加するという。んもう、絶対見る!丹下さんのことは寡聞にして存じ上げませんでしたが、ユニットの第1作にこういう作品をチョイスしてくるんだから(そして大王が演出を引き受けているのだから)きっといい女優さんに違いない、と。

源八橋西詰は大阪に実際に存在する四つ角の交差点で、そこに佇む3人の人物の物語が語られる。ロバート・ジョンソン「クロスロード・ブルース」、「悪魔に魂を売った男」。果たしてその3人は、交差点で悪魔を待っているのだろうか。

言ってみれば3本のオムニバスでもあるのですが、「源八橋西詰」という通底した物語の枠組みがあり、それぞれの物語に「シンパシーとワンダー」がきっちり練り込まれている。後藤さんの脚本はなんというか、それこそ悪魔的な冴えがあり、今作も、今まで自分が握っていたと思った物語の端っこが、いつのまにか全然違うものになっているというような劇的興奮がありました。

この作品の「童話作家の話」がのちの「人間風車」の元ネタとなるわけですけども、いやはや…詳細を書くのは今後見る方の楽しみを奪うことになるので控えますが(いやでもめっちゃ詳細言いたい)ほんと、唸ります。いい脚本を書くひとは勿論沢山いますが、後藤さんの作品のオリジナリティというか、このトリッキーなホンのうまさ、という点において、この人の悪魔的な腕には舌を巻きっぱなしです。どういう頭の構造してるんだろ?ほんとに。大王こそ源八橋西詰で悪魔と取引をしていても驚かないよ。

丹下さんを売り出す!という目的のユニットということですが、十分にその役割を果たせていたんじゃないでしょうか!「舞台女優の話」でのキレっぷりと最後の落とし方、「童話作家の話」での天衣無縫ぶり(客席いじりも懐かしかった!)いずれもよかったです。デアゴスティーニー!の叫び、笑いました。久保田浩さんは自由自在な芝居ぶりもさることながら、坂田さんとともに容易に底を割らない演技で最後まで舞台の緊張感をひっぱっていく、さすがですねえ。

大王はこれともう1作で小劇場はもうやらない、と仰っておられるみたいですが、いやーまだまだ観たいよ。いや小劇場でなくてもいいけど、大王が書いて演出する作品を観たい、観たいです。

「阿弖流為」続・Blu-ray/DVDをもっと楽しむ!

ハイ昨日の特典映像に続いて本編見ながらメモいきますよーーー!

  • いのうえ演出恒例の最初のタイトルを背負って立ってキマるかどうかを役者の力量をはかるひとつの基準にしているのだが七ちゃんは動きひとつでばっつりきまりまくっているのでさすがです
  • いてうさんの「切ってしまえー」がすごく小悪党感あっていい。いてうさんはこのあと出てくる「やれやれーい」もめちゃ小悪党なふぜいがよく出ててスキ
  • 誰!田村麻呂さまの名乗りのところで「いい男―!」つってるのは!私もそう思うよ!
  • 巻き込まれるとケガするぜ、で舌なめずりするの良くない…いや良い…いや良すぎて良くない(心の臓がもちませぬわえ〜)
  • ご兄弟の立ち回りの間合い近さな〜〜!!
  • 立烏帽子の刀を押えた後に「チッチッチ」て指でやってた仕草まだこのときやってなかったんだなーざむねんー
  • 勘九郎さんが心配していた猪木、大丈夫だよ!安定のスベリ具合だよ!(傷に塩)
  • 田村麻呂さまのいやそうな顔がほんとうにいやそうでイイ
  • 稀継さまは「話はそこできかせてもらった」パターンが多い
  • 随鏡さんは手下の失敗にも叱ったりしないしあくどいけれどホワイト上司かもしれない
  • 花道での染さまの気持ちよさそうな大見得にかぶさるギターのフレーズかっくいい〜
  • いってごらんいってごらんいってごら〜〜〜〜ん
  • 「それは…性だ」で無駄に二人のショットを並べるシネマ歌舞伎さま
  • 「都の虎…とかいう」っていう阿弖流為に「そいつ全然興味ねえ」みたいな顔の立烏帽子推せる
  • 「だから託したんだ」の染さまの顔絶品ね!絶品ね!
  • 「なんであんた蝦夷なんだ」からはマジ台詞を暗唱しているしいつだっていっしょに言えるのだけどいつだって見入っていたいのでこう引き裂かれる私の心みたいな。みたいな。しかしこれなんでこんなカッコイイの、ただ名前を言ってるだけなのに(by中島かずき先生)
  • 亀蔵さんの「おめぇがやるってのか?」の言い方だいすきだし阿毛斗さまの凛とした佇まい最高
  • ああ〜〜シャケリレーのバージョンも特典映像でみたかったよね!このときラグビーワールドカップの影響で五郎丸ポーズやったりしてたよね
  • くまこと附け打ちさんの交流もかわいかったな〜〜
  • 紅玉を持って舞台正面での「阿弖流為…!」のあとの七之助さんの顔がんもー――いい顔しやがるぜーーーーー!!!!
  • 黒縄を追い詰めるときの阿弖流為のこう、見下したっつーか下に見てるっつーかとにかく「圧倒的実力の差!」ってキャプションつけたいオラオラ感推せる
  • っていうかこの舞台推せる瞬間しかないのよねー(頬に手)
  • 「まーーーたそうやっていいカッコする〜〜〜」大好きこのトーン。毎回一緒に言っちゃう
  • 「熊ふぜいがおどき!!」声に出して言いたい日本語
  • 御霊さまが随鏡が沈んだセリを見下ろすとこめっちゃいいよね。随鏡の扇が舞台の上にのこってるときはさり気にセリに蹴落としたりしてたのもドS感あってすきだったなー
  • 二幕最初の兵糧を運んでくるところ、なぜか毎回河野さんの防人の歌が脳内で流れ始めるのであのひとすごい(かもしれない)
  • ここで阿弖流為と田村麻呂が対峙するとこがホントめちゃくちゃ好きなのよね。田村麻呂さまマントだしね。「おまえが蝦夷の族長で、おれが坂上家の男なら、こうなるしかないだろ」はーーーーーー私の萌えがーーーーー全部詰まったこの台詞ーーーーー
  • カッコイイしかないこの場面…はああ〜〜〜〜〜みんなかっこいい〜〜〜〜〜(語彙とは)
  • 「なんなんですかあの五月人形は!」は毎回ウケてたねよかったね勘ちゃん
  • 勝つための策を命じておきながら「いずれ数の違いは致命傷になる」とかいっちゃう田村麻呂さまだいちゅき
  • 「逃がすかよ」はこの回もいいけどもっとクソどえろい回があったからあの音源をわたしにくれませんか、いや音源がだめなら映像でもいいです(どんどん図々しくなるヲタ)
  • 黒縄に一撃くらわすときも後半左手がめちゃきれいな型でキマってたのでその映像を(もういい)
  • 亀蔵さんのこの当て振りコーナーいいよね!「器ではない」が好き!
  • ここらあたりになるとはあ〜〜〜もうすぐアレがくる〜〜〜と思って顔がニヤけるわたし(病気かよ)
  • …ヤバイ、久しぶりに観たら稀継さまの正体が顕れるところからがどうにもこうにも好きすぎてヤバイ。なんでこんな…かわいそう田村麻呂さま…かわいそうな田村麻呂さまなんて最高なの…っていうかマジでこれ…夢なんじゃない…?こんな私の萌えに都合のいい展開が…あった!あったよ!すごいぞ父さんラピュタは本当に(混乱がひどい)
  • しかしこのシーンだけじゃないけど息遣いがわりと入ってるのよね、だからなんだってことじゃないけどクソ萌えますよね
  • あめえ、あめえよくまこ!(一緒に言わないと気が済まない)
  • 闇討ちしたのはお前じゃないのかって何度も聞いちゃう阿弖流為さまったら!立烏帽子もおこだよ!
  • 「今でもか…今でもおぬしはこの国を捨てたいか」は七之助さんの芝居でじゅうぶん伝わってるのでエコーとか効果をかけなくてぜんぜんいいよ!むしろないほうがいいよ!!
  • 御霊さまのラスボス感たるや
  • なぜ私の言葉が届かない…!あひーん立烏帽子さまーーーー
  • ここでさーーー阿弖流為がさーーー田村麻呂を稀継の計略で殺されたと知ってさーーー阿弖流為おこだよーーー!!!ってなるのが本当に乙部のりえvs姫川亜弓の構図っつーかほんとありがとうございますぅ
  • 立烏帽子と鈴鹿の別人ぶりなー!知ってたけどなーー!!
  • 好きになる前にふられるのがほんと似合うね勘九郎さん…そういう勘九郎さんがSUKI…
  • はあ〜〜〜生まれ変わったら黒縄になって田村麻呂さまにズッタズタのメッタメタに斬られたい…剣を逆手に持ち替えてこれでもかとばかりに殺されたい…もはやつける薬が見当たらNAI…
  • それにしても開眼のときのあの顔スギョイよね…どうなってんだ歌舞伎役者の表情筋…見ながらマジで気おされてのけぞったものね…
  • 蛮甲の「やっつけたぞくまこ」切ない、切ないよお
  • そしてここからくまこに泣かされる
  • あれ?ダメだ後半見入っちゃうなここからの台詞全部すきだし一緒に言いたいけど聞きたいし見たいしどうしたらいいのー!
  • 達谷の窟の場面は本当に、なにもかもがすばらしい。正体を顕したアラハバキ七之助さんの芝居がとにかく凄まじいし、それを受ける染さまの阿弖流為の哀切がすごいし、このふたりの美しさがもはや筆舌に尽くしがたい。っていうか映像見ながらもう号泣しちゃったわたしだよ。なんでこんな泣いた。だって哀しくて、そしてこんな舞台が実現した奇跡に打ち震えちゃうわよ。染さまほんとうにありがとう…もう何十回目かの足を向けて寝られない事案…
  • あのシーンのあとだとちょっと現実に帰ってくるのに時間かかるつーかDVDだと都の人々のスケッチのシーンがカットされてるから気持ちの!切り替えが!できにゃい!
  • ここで蛮甲がついに絶体絶命の阿弖流為を救う鍵となる、っていう展開がほんといい。文字通り運命の輪だ。そして何度も繰り返された「生き意地の汚い男」という台詞がここにいたってまったく違う意味となるのもめちゃくちゃ私のツボです!!
  • そしてここからの染さまオンステージ…もう観客みんなあなたの虜です…
  • 「どした?」じゃないよ田村麻呂さまったら!かわいいけど!
  • 「おれのやれることはもう何もない…」いじけるなーー!(喝が入りました)
  • なぞかけ苦手そうだよね田村麻呂…
  • はーかっこいい(結局それ)
  • 御霊さまの霊力を打ち破る時の染さまの美しさ天井知らずじゃないか…
  • ほんと私の夢と萌えがぎゅうぎゅうにつまりきった展開だなコレ…改めておそろしいわ…しかもそれを大好きな演出家と大好きな役者がやってるってんだからほんと…
  • やばいやばいやばいやばい最後のふたりやばいやばいYABAI
  • 好きすぎる(何度目の好きすぎる発言ですか)
  • そうそう田村麻呂さまの衣装、裾に虎が描かれてたよねそういえば(唐突な思い出しktkr)
  • 最後の祭りのシーンでね、田村麻呂と阿弖流為が遠くを見やるのが本当最高に美しい構図でもう…ありがとうございます…

いやこれ見ながらメモとか言いながら最後の30分ごうごう泣いていたのでなんにもできなかったわ。あんなに観たのに!あんなに観たのに!まだこんな泣きます!?いやこんな夢みたいなことほんとあるんですね。みんな生きてりゃいいことあるぞ。夢って大抵叶わないけどときどき嘘みたいに叶うぞ。叶うどころか想像の上をいってくるぞ。歌舞伎NEXTの阿弖流為はわたしにとってそういう舞台でした。妄想が倍になって実現してお釣りまでもらっちゃうみたいな。何言ってるんだかわかんないですね。そうですね。でもとにかく迷ってるひとには見てもらいたいのよ!「阿弖流為」で検索すると買おうかなどうしようかなって迷ってるひととか気になってるんだけど〜とかいうひともけっこう見かけるのよ、ゴッリゴリの二重丸でおススメしますし燃えて萌えて燃えて散ること請け合いです。いやはやこれ…再生ボタン押したら何回でも見られるってすごいね!最初に払えばあとはお金を払わなくていいのもすごいね!そんな喜びさえかみしめてしまうありさまです!最高〜〜〜〜!!!

「阿弖流為」Blu-ray/DVDをもっと楽しむ

本日、歌舞伎NEXT「阿弖流為Blu-ray/DVD発売!おめでとうございます!ありがとうございます!おめでとうございます!ありがとうございます!(以下エンドレス)
いやーうれしいですね。これでいつでも美しい映像で見られますね。衛星劇場で放送したときのぶんをHDDに残してあるけど円盤になるのはまた格別ですよね。以下見ながらメモ書きだよーまずは特典映像から!!

  • 特典映像、予告編2パターン。最初のやつがすき、なぜなら「お前が蝦夷の族長で、おれが坂上家の男なら、こうなるしかないだろ」が入ってるから!でも2番目のやつは絵になるショットがわんさか入ってていいよね。結局どっちも好きだよ!そりゃそうだよ!
  • 稽古場風景。随鏡邸のところ、染五郎さん(幸四郎さんだけど、もうこのエントリでは染五郎さんでいかせてくれ!)のたっぷりすぎる見得に笑いが起こるところがたのしい。そのあと勘九郎さんの見得を手拍子で煽る染さまに、「そんなんじゃできない!」という勘九郎さんかわいい。あーかわいい。そして染さまはリベラのTシャツだ!
  • 新悟ちゃんとくまこは何をしているのよぉ〜、めちゃめちゃかわいいじゃないのよぉ〜
  • 達谷の窟の場面の稽古!うわーお!こんなの見せてもらっていいのかよー!(大興奮)。もう全員台本離しているし動きもついているので稽古終盤なのかな。音だけ聞いていると完全にアラハバキさまがそこにいるのだが、画面を見るとジャージのおじ…おにいさんしかいないという不思議体験ができます。そして退場後スタスタ去る七之助さん、いやそりゃそうなんだけどね!?でも見てるこっちとしては稽古とはいえ入り込んじゃってるからなんだか不思議な感じよ!?台詞の間合いがかなりゆったりしていて、こういう調整は客席の反応みながら変わっていったりするんだろうなーと。普通のお芝居でも客前に出ると早くなるって言いますもんね、だから稽古ではこれぐらいで作っているのがちょうどいいのかな
  • 染さま長物の殺陣大変そうなんだけどほんとにサッとコツをつかむよね。六方にあわせて勘九郎さんが机で附け打ちの真似してたのかわいかった
  • 宮中の場面、音だけ聞いてると御霊さまがそこにいるのに画面を見ると浴衣のおじさましかいないという不思議体験が(もういい)。花道の出を稽古場を横切って出てくるの面白いね。
  • あっこれ通しだな。最後の田村麻呂と阿弖流為の殺陣がうまく決まらずふたりが笑っちゃうんだけど、勘九郎さん最後「3時間20分が…!」つってる。前見ろ、前、って言ってるのいのうえさんかな?
  • それにしてもスタッフの皆様の口効果音たのしい
  • 舞台でのゲネでもっかい最後の立ち回りを見せてくれるのはわたしへのサービスなのかな…?(いや皆へのサービスだよ思いあがるなよ)
  • ビジュアル撮影も稽古場でやるのね、なんかあんな日が燦燦としているところで撮るなんて不思議
  • 新橋初日のカーテンコール、一瞬顔がほどけて笑みが見える勘九郎さま…(とうとう「さま」とか言い出した)あと染さまの後ろにいる川原さんがちょう目立つ
  • カメラアピールする染さまにツッコむ勘九郎さん、はしゃいだのち真顔になる染さまに「えがおえがお!」って言う勘九郎さん、はあ〜〜〜すき〜〜〜〜〜
  • 染さまの「生き証人」ごあいさつ!これ私ちょっと映っててもおかしくないんだけどわかんない
  • 千秋楽のくまこカーテンコール、本当に亀蔵さんと仲睦まじそうなのがいいのよね…
  • ねええねええええなんで勘九郎さんカテコのときに一瞬唇の片方キュッとあげて微笑んでみせたりするわけ!?あれどういう…どういう罠!?(罠ではない)やばい…ああいうシニカルな笑みが三度の飯よりすきな私…三度の飯よりすきなひとが三度の飯よりすきな表情をしている場合はつまり六度ぐらい飯を抜けってこと!?(落ち着こうか)
  • 松竹座の千秋楽カテコでジャックオランタン持ってるくまこも出てくるよ!
  • 染さまの「おわっちゃいました」はあ…ほんとにね…2年前に終わってるんだけどね…(思い出し泣き)
  • カテコの場内一周ハイタッチはなしか〜〜〜
  • イベント映像集には制作発表(約10分)、完成披露上映会(約10分)、初日舞台挨拶(約12分)。完成披露上映会は中村屋ご兄弟と染さまのご登壇、初日舞台挨拶はいのうえさん中島かずきさん染さまのご登壇です。猪木のくだりを心配する勘九郎さんにやさしい染さま、七之助さんのバースデーサプライズで染さまが「仙台で牛タンのユッケを見つけてね、おいしかったよ」七「買ってきてくれたんじゃないんですね!」とか、あと七之助さんが「いのうえさんの演出を受けてみて、いつも新感線の舞台を見ながら古田さんや橋本さんを自由に芝居してるな〜!と思ってたのに、この演出を受けてそれを毎回新鮮にやってるあのひとたちはとんでもないなと思いました」との発言が。
  • 染さまが両花道の名乗りを勘九郎さんとできたのがなによりうれしいとか仰ってて泣く。私が。もう染さまに足を向けて寝られないっていつも言ってますけど今日も言わせていただきます
  • 未公開シーン集でカットされた場面が収録されておりますわよ〜〜しかしこんなちょっとの場面なら本編に!いれてくれても!よかったのでは!!いやうそです円盤化ありがとうございますうれしいです

って本編行く前にこんな書いてどうすんのよ。いや本編は上演時にしぬほど書いたからね!とはいえそれはそれだけどね!そうこうしている間に日が変わりそうなので本編は明日に持ち越しの予感…!

「壽初春大歌舞伎 昼の部」

高麗屋三代同時襲名ということで豪華な顔ぶれの揃うお正月の歌舞伎座に行ってまいりました。お昼の部は「箱根霊験誓仇討」「七福神」「車引」「寺子屋」。襲名演目は車引と寺子屋ですね。

「箱根霊験誓仇討」は勘九郎さん、七之助さん、愛之助さんの顔合わせ。当初は猿之助さんが出演される予定でしたが、お怪我をうけて勘九郎さんが猿之助さんの役を、勘九郎さんの役は愛之助さんが二役でお出になることに。
この芝居自体は初見だったんですが、病気で足が立たなくなり、仇討ちの宿願を抱えながら空しく妻を敵方に取られる…っていう、これ猿之助さんの予定だったのかー!とそれがまず意外な感じでした。お話としてはあまり好みじゃなかったんですけど(この世ならざる者として帰ってきた妻にそのことに気がつかずかける言葉が本当ひどくてすごい)、あの足の立たない状態からぽんっと飛び上がった勘九郎さんがなんかもう機械仕掛けのようですごいなとか薄幸の七之助さん美しいなとか思いつつ、しかし個人的には滝口上野を勘九郎さんがやるのを見たかったなーという気持ちも捨てきれず。

「車引」。勘九郎さんの梅王丸は安定の良さ。襲名演目ということもあり、松王丸の幸四郎さんがどかーんと大きい芝居でものすごく満足度が高かった。襲名すればうまくなるってものじゃないというのは勿論だろうけど、着る服が大きくなるというのは絶対そのひとの芝居に影響が出てくると思うのだ。その丈にあった芝居をしていくという意思を感じたし、今まで見た幸四郎さんの舞台でいちばん大きな芝居をされていたなーとおもう。満足。

寺子屋」。休憩時間に隣席のおばあさまに話しかけられた。歌舞伎お好きなの?そうよね、お好きだからいらしてるんですものね、私はねもう戦前から見ているから、もうねえいつ来られるかわからないって思っちゃう、あなたはまだまだ若いから、これからたくさんご覧になれるわよ…正直、私が「まだまだ若い」かどうかは措くとして、でもこの方の前に「そんなことないですよ〜」なんてしょうもない謙遜を言うのは間違っていることだけは確かなので、ありがとうございます、まだまだいっぱい見に来たいです、とお答えした。白鸚さんの松王丸で拝見するのは初めてでしたが、あの「笑いましたか」の芝居がすごくリアルというか、ふと驚きつつ思わず尋ねてしまう…という雰囲気だったのが新鮮だった。梅玉さんの源蔵、魁春さんの千代がすごく端正でよかったです。涎くりで猿之助さんが出演されており、出とともに万雷の拍手を浴びておられました。まだまだリハビリにはお時間がかかるだろうけど、幸四郎さんの襲名にはぜったい出演されたかったんだろうなと勝手に思っておりましたので、猿之助さんの熱い思いにぐっときましたよ。終演後、隣の老婦人は涙をぬぐいながら、寺子屋はほんとうに、何度見ても泣ける、とぽつりとこぼしていらっしゃった。

「髑髏城の七人 season月」(下弦・上弦)


2017年の内に見たいなと思っていましたが前半はチケット運に恵まれず、年明け早々に2日連続で見ました。観た席もほとんど同じ(1列違いの同番)で、キャスト総入れ替えとはいえ筋立ては同じなので、2作品まとめての感想ということで。

観た席がほぼ同じとはいえ、下弦は前列(と前々列)の人の頭がかぶって舞台の中央がほぼ見えないという事態になっており、端の席だったのでいろいろ身体を動かしてみたりもしましたがむなしい努力でしたね。座席に深くまっすぐ座ると正面は舞台の端っこ、というのも舞台に比べて客席がほとんど湾曲していないので舞台を見るにはどうしても体を傾けないといけないがそうすると前列の頭がかぶるというなかなかに修行な時間でした。

さて、上弦・下弦で過去作と大きく変更があったのは沙霧の役が「霧丸」という新しいキャラクターに生まれ変わった点、それから捨之介が「不殺」のキャラというか、天魔王を「倒す」ことを目的とせず「止める」ことを目的とするというところに変わった点でしょうか。再演を重ねるにつれ、沙霧という役の重さがどんどん失われているなと感じていましたが、今回霧丸というキャラになっても作劇の進行にほとんど何の影響もないのを見てますますそれを実感しました。というか、ここまでさんざんっぱら事態を強引にまとめてきてた台詞「女にはわかるものよ」は本当に何の意味もなさない台詞だったんだなーと。あと、もともと沙霧は熊木衆の仲間からひとり逃げることを託され、その手土産として絵図面を持ち、「駿府徳川家康のところに行け、家康なら調子のいい野郎だから適当にべんちゃらいっときゃなんとかなるって、そうじいちゃんが」というその構図がまったくないものとなっており、正直「霧丸それでお前…なにがしたいんや」感は否めなかったです。逃げたいのか?仇を討ちたいのか?討ちたいのだとして策を考えているのか?単なる無謀な突撃しか頭にないのか?かれの行動が場面場面でいいようにあっちに振られこっちに振られていた印象です。

その霧丸を諭して未来に生きることを諫言するのが捨之介で、それが今回のこのふたりの「絆」ってことになるわけですが、なかなかにその一点だけで説得力をもたせるのは至難の業だな〜という感じでした。そもそも捨が「天魔王を倒すんじゃない、止めるんだ」とか言い出して個人的にはうへぇ、となったクチです。ごめん、そういうどっちつかずのヒューマニズムこの芝居に求めてない。そもそもこうした「不殺」のヒーローをかっこよくみせるのはめちゃくちゃ難しい(し、そもそも他のシーンではバッサバサ斬っているので不殺ってわけでもない)。豊臣に降れってあそこで言います?いや降ったら百発百中死にますよね。ああいうのは「法の裁き」が曲がりなりにも機能している場合には有効なくどきかもしれませんが、「よりひどく死ね」と言ってるのと同じと思うが…って感じです。恨みをもって殺す、という行動をよしとしないという点を捨と霧丸の絆として描いちゃってるがゆえの歪みというか。

それからこれは今回の「月」に限らずですが、いつの頃からか「天魔王と蘭兵衛がめっちゃ強くて捨之介はふたりにはちょっと及ばない」という力関係になってるのがね…解せん。そこ変える必要なくないかーと言いたいですし髑髏城で捨がとらわれるのも、もともと沙霧につけられた傷というハンデがあって初めて負ける、という構図だったのではっていう。捨はいつだってのんしゃらんとしているけれど、本気になったら天魔王が束になってもかなわない(だから無敵の鎧を着ている)というのがやっぱり好きだし、それこそが私のおもう新感線活劇のセンターなんですよね。そういう点からすると、「おれにはみんながいる!」みたいなのもそれでは燃え上がらないだよわしの心は…という感じ。

今回上演時間がいちばん長くなってて、見ながら、ああこういうシーンを入れたから…なるほどここで…とか思ってたんですけど、そう思わせるってこと自体やっぱり組み込みがうまくいってないんだと思います。キャラが変わって新しくいれた場面があるのなら、削る場面だってあっていい。兵庫と極楽のラストのやりとりも、もういいんじゃねえか?という気になっちゃいました。というか今回、初演の極楽をやった羽野晶紀さんと再演とアオで極楽をやった高田聖子さんがそれぞれ極楽をつとめていて、だからなのかあの「お金出しても、お金出しても、あなたの想いは叶わない!」「空しくない!逆です」とかの台詞もあって、だったら最後も「ただし1回金1枚」ぐらいのアッサリさでよかったのではと思ってしまいます。

それぞれで印象に残ったキャストは下弦では天魔王をやった鈴木拡樹さん、上弦は兵庫をやった須賀健太くんでしょうか。鈴木拡樹さんはマントの捌きがとても美しく、俺様な陶酔ポーズ連打の天魔王をぎりぎりいやらしくなりすぎないような線で見せていたのが好印象。天魔王は上弦の太一くんもさすがに見事な立ち回りだし、特にこの作品においては一日の長ありといった風格はありますが、想像の域を超えてくるキャラ立てではなかったというか…蘭の印象が強すぎるのもあるかもしれませんが、まだ芝居の球種が限られるところがあるなあと。それは上弦の捨の福士くんも同様で、初舞台でセリフも聞き取りやすくサマになる立ち回りをしていて立派なものだと思いますが、ここぞというときの決め球に欠ける。大きな声を出して繊細な芝居をする、ってところがもうちょっと欲しかったです。下弦の捨の宮野さんはさすがにいろんなトーンをお持ちでそこは見ていて楽しかったですね。絵面としてとにかくめちゃくちゃかっこいい!と思わせてもらえる場面がちょい薄かったのは個人的に食い足りなかったかなあ。

蘭兵衛はここのところ、どうしても早乙女太一くんのやった蘭に引きずられたキャラ造形になりがちだったので、上弦の三浦さんがそれよりもむしろ線が太めなキャラで見せていた(というか、声がそういう声)のは面白かったしよい試みだなーと。兵庫の須賀健太くんはね、さすが、さすがにうまい。キャラとしては決して私の求める兵庫像のニンではありませんが、細やかにキャラクターを立ちあげていて説得力がありました。渡京はね、伊達さんもよかったんだけど、やっぱり粟根さんに一日の長どころではない安定感があり、このひとと聖子さんが揃った上弦はなんだかんだ安心して見ていられる感がありました。新感線文法を熟知しているというか、きっちり笑いを生み出す芝居をしてくれるというか。はのぴゃの極楽も勿論いろんな意味で感無量でしたけど、聖子さんはやっぱりさすがの貫禄でした。いっけいさん千葉さんの狸穴はどちらも安定した芝居ぶり(そういえば私の見た回でいっけいさん出の場面で転んでて心配したよ〜)、まことさんしんぺーさんの贋鉄斎は決してハミでることなく忠実にやりきってるなという印象。やっぱあれだけの出番であれだけ爆発させる古田とか成志せんぱいはどっかおかしいんですよ…(褒めてる)。

4時間が長いなと思わなかったといったらウソになりますし、シーズン花鳥風月見終えて、正直お腹いっぱいだという感じがあります。なんでそう思うかというと、やっぱり味付けがどんどん濃くなっていってるからなんじゃないのかなーと。本当に一度、どシンプルな骨格に戻してほしいような気もしますが、とはいえそれを必ずしも多くの人が望んでいるわけではないというのはさすがになんとなくわかります。こうして大きなプロジェクトで、たくさんのひとが楽しんでいて、この舞台で初めて新感線を知り…というひとも勿論いらっしゃるでしょうし、だとするとまあ一言でいえば、私にとってはもはやこの芝居はnot for meなんだな、ということなのかな。「髑髏城の七人」という作品自体には言うまでもなくものすごく思い入れがあるので、そう認めるのは寂しい気持ちもありますが。