「イェルマ」ナショナル・シアター・ライブ

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今の住所に引っ越してきてから縁遠くなっていたナショナルシアターライヴ。遠征の合間の時間に見に行ってきました。時間が短い(約107分)のも助かった。

ロルカの戯曲を現代のロンドンに置き換えた脚色がされており、その脚色が実に見事。水槽のような透明な仕切りの中で客が両サイドから見るような形で、舞台の床面が絨毯、芝生、泥とあっという間に入れ替わるのが魔法みたいだった(家具や木のセットもしかり)。なんか、油圧式で上下する装置を使っているらしいんだけど、暗転の間になにげなーくつるっと入れ替わっているので逆に最初はあまりすごさに気がつかないぐらい。

理解し合えるパートナーがいて、仕事も順調で、家を買い…と人生のステージを順調にあげていく主人公が次に夢見るのは「子どもといる自分」。それを手に入れるために彼女は力を尽くす。一身に尽くす。すべてをなげうって尽くす。

私には彼女の「自分の子どもを持ちたい」という願望は理解できないが、彼女が「子供を持つ自分」という物語を思い描き、その物語から外れることがどうしても許せない、受容できないという心情はわかる気がする。そう思ったのは彼女が自らの子どものことを思い描き、「大丈夫よ」と語り掛ける自分(これはそうされなかった自分の人生のやり直しでもあり、だからこそ強固な願望なのだともいえる)を具体的に思い描くシーンと、養子という選択肢を示されて「そんなことをしたらこの両手が凍ってしまう」と激昂するところからだ。こうでありたい、こうでなければならない、という夢ほど人間を内側から喰い破るものはない。

ラストシーンには、なんというかホッとするところもあった。彼女の夢が他者を害する方向へ行かなかったことの安堵もあるし、もう夢を見なくていい、という解放感もあった。幕間に示される月日の経過とそれぞれのシーンを示す言葉が印象的(不穏な音楽も効果的だった)だが、中でも姉の流産を知る場面でのキャプションが「HOPE」だったのがぞっとした。そしてその心情をブログに書いてしまう彼女。夫との性行為(彼女にとってはそれはもはや生殖のための一過程にすぎない)すらも、つまびらかにブログに書いてしまう。このあたり、SNS時代をうまいこと汲み取った展開で唸らされます。

三年子なきは去れではないけれど、子がいない、ということ自体にプレッシャーのあった時代から、現代の「彼女(役名はない、HERとだけ書かれる)」が抱える様々な問題にシフトして描き、私たちの物語として手渡す脚本・演出も素晴らしかったですし、主演のビリー・パイパーも圧巻の演技で堪能しました。面白かったです。

「ジャージー・ボーイズ」

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  • シアタークリエ 11列13番
  • 演出 藤田俊太郎

ブロードウェイのロングランミュージカル、2014年にはクリント・イーストウッド監督で映画化もされています。日本版初演は2016年、その年の読売演劇大賞最優秀作品賞を受賞。文字通り鳴り物入りでの再演です。

とにかく、私がこれからあーだこーだいうことを読む前に、このあとツアー公演がありますから、自分が行けるところはないかな?あったら、どこかにチケットはないかな?と探して、ぜひ足を運んでください。行って、観て、観ればわかります。今回再演のBLUEチームを拝見して、いつもだったら「再演してくれたおかげで観られてよかったな~」と思うところですが、これに限っては「なんで初演を観てない!?!?わしはアホか!?!?」となりました。なりましたね。初演を観ていたらもっと気合入れてチケット取りに挑んだのに~!(いや今回も結構力入れたんですけどね)。映画も見ていて、おもしろそうだなーと思いながらスルーしたあの時のおれ!ばかなのか!

実在したバンド、フォーシーズンズの、その名の通り春夏秋冬の4つの場面を、メンバーそれぞれが語り手となって見せていく構成で、彼らにとってエポックな出来事を中心にしつつ、展開はきわめてスピーディ。なのに、総花的な印象はなく、メンバーそれぞれの心の動きがしっかり汲み取れる。これは楽曲の配し方、その見せ方のうまさによるところが大きいんだろうなあと。普通のミュージカルと違い、実在したバンドの既存の曲を、そのメンバーの人生に沿って聞かせているので、感情の高ぶり=歌、というわけではないのに、幸福の中の不幸、不幸の中の幸福のような複雑な色合いさえちゃんと見せてくれる。

また舞台装置の素晴らしさね!盆をうまくつかっていて、回転するステージ、スタジオ、楽屋…と色んなものに見立てることができるっていう。左右のモニタも、彼らが実際に出演した当時のテレビショーの空気感を醸し出すのに効果があってよかった。

ひとつのバンドが生まれて、春の喜びを味わい、夏を謳歌し、やがて秋が来て…フォーシーズンズに限らず、いちどでもこういった集団に骨絡みで思い入れたことがあるひとには、この崩壊のどうしようもなさにいろんなものを見てしまうだろうと思う(実際、2014年の映画版を見たとき、わたしは真っ先に自分が好きなバンドのことを思い出した)。だがしかし、最後には音楽が残る。彼らの春も、夏も、秋も冬も、結局のところ、いつもそこに音楽がある。友人のためにこれを世に出したい、そう願うメンバーの台詞に、あの旋律が重なるところ、あの、すべてを塗り替えるポップソングのマスターピースがそのメロディを響かせるその瞬間、理由もなく涙があふれ、止まらなくなる。

BLUEチームを拝見したのですが、トミー役の伊礼彼方くん、ハマリ役すぎでしょう!ちょっと魅力あるどうしようもないクズ、なのにどこかジャージーの「血の掟」みたいなものを信じてそうな男、ずっぱまりでした。あと歌ってるときに息するようにウィンク飛ばすのやめて!そういうの大好きだから!矢崎広さんのボブ、ひとりだけ若くしてあのメンバーに入ってきた感満載のかわいさ、かと思えば妙に達観していたり、抜群の存在感でした。トミーもボブもね、最後の場面でステージ去る時ウィンクをキメてどちゃくそかっこいい去り方するから拍手を忘れてしまいますよ(叩くの忘れて拝んじゃう)。spiさんのニックもよかった、伊礼くんと並んだ時のコンビ感めっちゃいい、そして私はこれは映画でもだけど、ニックがタオルのことでキレるシーンが大好きなのです…(集団の崩壊って、これだよね、とあんなに思わせるシーンはなかなかない)。spiくんのニックすごく安定感のあるキャラだから、よけいあのシーンが効いてるよなーと思いました。

そしてどちらのチームでもフランキー・ヴァリを演じてる中川晃教さん!アッキー!もう!これアッキーのためのミュージカルでは…と思ってしまうし、いやもうとにかく観て!!!!って私が推すのも、アッキーがヴァリをやっているところを観てほしい!!って気持ちが強い。声ってほんと武器。役者の最大の武器だよ。あの説得力…余人をもって代えがたいとはこのことか、ですよ。このスケジュールでずっとセンターに立ち続けるの、言葉では言い尽くせないほど大変なことだとおもうし、このアッキーがいるからこそ、カンパニー全員の志が常に上に、上にむかっているんだと思うし、そのことが客席にも伝わっているんだと思う。だからこそのあの最後の多幸感、あの来し方を語る彼らと彼らが生み出した音楽にただただ拍手を送りたくなるんじゃないかと思います。

カーテンコールの最後の一瞬まで、ぎゅうぎゅうに「演劇の楽しさ」がつまった、シアターゴアーにとっての御馳走のような作品でした。なんども言うけれど、ぜひ、ぜひ、実際に足を運んでみてほしい。後悔させません!

「プーと大人になった僕」

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マーク・フォスター監督。原題は「クリストファー・ロビン」ですが邦題の示す通り、大人になったクリストファーがふたたびプーと再会するお話です。

「100エーカーの森」にさよならを告げた後のクリストファーは寄宿舎での辛い生活、父との別れ、戦争、結婚、会社勤め…を経験して、すっかり心をすり減らしている。勤めている旅行鞄部門の業績は伸びず、大幅な経費削減案を上司から求められる。家族で過ごすはずだった休日を返上して仕事にかかりきりになるクリストファーは、もう自分の娘にも「なんにもしないでいる」なんてことは許されないと話す大人になっている。そこに、100エーカーの森で目覚めたプーが、仲間を探しに木のうろをくぐり抜けるとそこは現在のクリストファーの居場所につながっていた。

「大人」になったクリストファーには、プーと遊んだ記憶はあって、かれと大事な時間を過ごしたことを忘れたわけではないんだけど、眼前の「やらなきゃならないこと」にがんじがらめになっている今、来られても!という戸惑いと、うっちゃっておけないのはもちろんなんだけどでもいまここにいられたら困る!という気持ちしか最初は持つことが出来ない。そりゃそうだよね。そりゃそうだよ。個人的に「少年の心を取り戻す」的なことに「ハアそうですか」的感慨しか抱けないので(少年の心は少年が持っているからいいんだよ、中年は中年の心を持てよ)クリストファーが安易にプーに引っ張られないのはよかった。

クリストファーが100エーカーの森に戻ってきて、イーヨーたちを見つけて、あの丘でプーと肩を並べるシーンが美しいのは、彼が少年の心を取り戻したからではなくて、生きていくどんな人間にも、いくつになっても、物語を信じる心が力を与えてくれるんだってことがわかるからで、切り離してきた過去の自分と今の自分がひとつになる、なることができたからなんだと思います。あのシーンはほんとうに美しかった。

イーヨー(わたしのイチ押し)やピグレットやティガーがあのもふもふスタイルのまま縦横無尽に画面を飛び回るのを見ることは無条件に楽しかったですし、最終的に限られた富裕層だけではなくてみんな有給休暇取って旅行に出かければ鞄も売れるしwin-winじゃね!?みたいな落としどころがついてなるほどなー!てなりました。ユアン・マクレガーのクリストファー、絶妙なキャスティング。リストラ対策で苦悩するのもプーたちと大騒動を繰り広げるのもなんともいえないチャーミングさがある。奥さん役がヘイリー・アトウェルだったのも個人的に嬉しかったです。ペギーさん!(ちがう)

「ドキュメンタリー」劇団チョコレートケーキ

  • 小劇場 楽園 RA列2番
  • 脚本 古川健 演出 日澤雄介

薬害エイズ訴訟において原告となったミドリ十字を題材に、その内部告発者のインタビューという形をとって構成された作品。作中、名称は変えていますが(ミドリ十字はグリーン製薬というように)、裁判等で明らかになった事実をもとにしており、文字通り「ドキュメンタリー」の色合いがとても濃いです。

製薬会社と厚労省の癒着体質、いわゆる「忖度」が蔓延する新薬の承認、内情を知りながらもそれを売り続けるプロパーの苦悩、というところまでは、この題材である以上当然に語られることだろう、という予測がつきますが、後半に「創業当時の幹部」がインタビューの相手に登場することにより、非加熱製剤が危険だという認識をもったうえで「なぜ」口を拭って投与を続けることができたのか、というところに踏み込み、「731部隊の遺産」というところにたどりつくところが極めてスリリングでしたし、そのまさに「遺産」を描く新作をこの秋連続して上演する…という畳みかけのうまさに、劇団としてのポテンシャルの高さというか、制作の優秀さを見た思いです。いやこれはね、その「遺産」をどう描くのかどうしても気になっちゃいますって。

基本的にインタビュー、聞く者、聞かれる者の対話なので、平板になりそうなところをまったく退屈させない構成にしていて見事でしたし、話を盛り上げるためにやたら登場人物の一人が激昂する、みたいな場面もほとんどない、淡々としているのに、真からおそろしさを感じるような瞬間が何度もある。脚本のうまさをしみじみ感じました。「楽園」のあのど真ん中に鎮座する柱の裏に電話機を置くことによりデッドスペースを生かした演出がなされていて、これも舌を巻きました。

血液製剤やそれに関する単語についても、内部告発者がひとつひとつ説明していく、というスタイルをとっていて聞く者に対する入念な知識の導入がなされているのもよかったです。もちろん知っている単語で、かつ社会的に共有されている知識であっても、「なぜそれが問題なのか」を組み立ててから見せたいものを見せるのはさすがですね。

余談になりますが、わたしがエイズ、「後天性免疫不全症候群」のことを知ったのは、実は少女漫画がきっかけでした。秋里和国さんが1980年代描かれたTOMOIシリーズ。この劇中でも「ホモがかかる病気という誤った認識」という台詞がありましたが、実際にそういった認識が当時は大手をふってメディアに書かれているような時代でした。あの時代にあって、そういった偏見を描きつつ、正しい認識を描こうとした秋里さん、それを描くことを許容した当時の編集部の先見の明には今改めて頭が下がる思いです。

「秀山祭九月大歌舞伎 昼の部」

昼の部は「金閣寺」「鬼揃紅葉狩」「河内山」というラインナップ。「金閣寺」はなんといっても福助さんが久々に舞台に復帰されるということと、その舞台で児太郎くんが雪姫を初役でつとめるという。福助さんのお姿だけでも拝見したいなということで遠征の合間に駆け込んできました。
演目自体は拝見するのたぶん二度目…ですかね…(自信ない)。雪姫、文字通りの大役で、でもなんか児太郎さん堂々としてらして安心して見ていられました。それには梅玉さんの存在も大きいなー。福助さん演じる慶寿院の出の場面も、満場の拍手をしっかり受け止める間を作ってくださって、ありがたかった。いやーやっぱり、あのお声を聴くとぐっと胸にくるものがありますね。千秋楽まで無事とつとめられて本当によかったです。こうして観客の前に出て劇場の空気を吸うことがいっそう福助さんを助ける力になることを願ってやみません。

「鬼揃紅葉狩」。紅葉狩自体は勘九郎さんがつとめられたのを何度か拝見してて、むちゃくちゃ好きなタイプの演目です。幸四郎さんで拝見するのはもちろん初めてだったんですが、なんとなく印象が違うな?と思ったらあれだ、今回は鬼揃なんですね。鬼女がいっぱい出てくる(表現力ゼロか)。あえてこっちで上演したのは若手にも見せ場をというような配慮があってだったのでしょうか。幸四郎さんの更科姫ふつくしかったです。

「東大寺歌舞伎」

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  • 東大寺大仏殿前特設ステージ 中央ブロック7列26番

東大寺世界遺産登録20周年記念ということで、大仏殿前の特設ステージでの公演です。野外、ということで最初は迷ったんですけど、勘九郎さんの連獅子かぁ…観たいよなぁ…と思い切ってチケット取りました。ビビりなので、雨が降っても大丈夫なように近場にホテルをとって体制だけは万全にしていましたが、中村屋さんの御人徳でしょうか、連休前に続いた秋の長雨もぴたりとやみ、当日は文字通り最高の天候に恵まれました。しかも、あとで知ったんですけど翌24日が中秋の名月だったんですね。なにもかもすばらしかったです。ほんとうに、ほんとうに、心の底から、行ってよかったです。

特設ステージということで座席の配置がいまいちわからず不安もあったんですが(ちゃんと見えるかな?という意味で)、東大寺歌舞伎チケット持ってたらそのまま参拝もさせていただけたので、お昼間に参拝して今日の舞台の成功を祈願しつつ、自分の席位置あたりを鵜の目鷹の目で探しつつ(煩悩まみれだなオイ)、なんだかよさげだ!という感触を得て夜の開演を待ちました。七之助さんの「藤娘」のあと、舞台転換の時間があり、勘九郎さんと虎之介さんの「連獅子」という演目立て。

こういった野外の特設舞台で歌舞伎を拝見するのは初めての経験だったんですけど、やっぱり独特の雰囲気がありましたし、いつも拝見する舞台よりもかなり高めに舞台が設えられているということもあり、この役者の目線の違いもかなり心象を左右した気がします。なんというか、自分たちと「地続きのものでない」感覚がありました。

勘九郎さんは大河ドラマの撮影で長期間歌舞伎の舞台を休まれているうえ、役柄の関係でかなり体重を落として撮影に臨まれていると漏れ聞くので、久々の舞台でしかも連獅子の親獅子、どんなふうなのかな、とかなり緊張しましたが(なぜお前が)、いやーもう、狂言師右近の最初の出から突き抜けるようなカッコよさ、凛々しさ、動きの確かさ隅々まで神経のいきわたった手の動きの美しさ。いくつか集音マイクが設置されていましたので、所作台を踏む音もいつものスパン!というキレのある音ではないのですが、文字通りあたりに太く鳴り響く音が何度も味わえて、もうずーっとこの人の踊りを観ていたい!!!という例の発作が開始5分ぐらいで頻発していたのでそうとうやばかったです。いややばかった。それなりに長い間勘九郎さんの芝居を拝見していますが、ここまでやばいのなかなかないです。ちなみにこのあともこんな感じの語彙力を喪った感想が延々続く可能性があるのでこのあたりで回れ右しても大丈夫です。

途中、仔獅子が木の影で休み、親獅子がその姿を探すところで、ちょうど東大寺の鐘がつかれ、演出?と思ったら(冷静になって!そんなわけない)毎日夜8時に撞かれてるんですね。なんという奇跡的なタイミング。国宝の名鐘の音を聞きながら「連獅子」を観るなんてなかなかできる体験ではないです。

座席がちょうど花横に当たるような位置だったので、左近が蝶々を追って花道をはいったあと、その背中をじっと見つめる勘九郎さんの表情が良く見えて、それがほんとうになんともいえない、慈愛と、もっとなにかいろんな情愛の塊のようなものをしのばせた顔で、いやもうあの一瞬、涙がでました。

狂言亀蔵さんと小三郎さん。亀蔵さんの安定感!ゆるぎない!すごく安心して見ていられましたし、小三郎さんもきっと心強かったのではないでしょうか。客席の反応もよく、さきほどまでのビリビリと張りつめた空気が一瞬ほどける効果があってよかったです。個人的なことを言えば、それまで勘九郎さんのかっこよさにあてられすぎて息も絶え絶えだったので(いやリアルで酸素!くれ!って感じだった)、ふたりのほんわかした空気にずいぶん助けられました。間狂言って大事ね…。

このあと、舞台を照らす照明がぐっと落とされ、背後の廬舎那仏がいっそう大きく浮かび上がり、月明かりのなかで響く虫の声、風の音、木々のざわめき、ささやくような笛…決して無音ではないのに、これ以上の静寂はない、というほどのしん、とした空気。あの一瞬は忘れがたい。その中に現れた親獅子と仔獅子が、文字通り伝説の神の使いに見えた一瞬でした。

舞台の広さもいつもと違うし、獅子の台が設えられてから感覚が違うところもあったかもしれませんが(勘九郎さんが牡丹の枝にぶつかる場面も)、それをものともしない気迫のこもった踊り、見事の一語です。虎之介さん、後半やはり疲労があったか、片足でふんばりきれないところもあったりしたんだけど、それがまた親獅子に必死にくらいつく仔獅子そのものにも見えたりして、ぐっときてしまった。最後の毛振りも文字通りその必死さがよく出てました。でもって勘九郎さん、途中まではなんというか、節度ある毛振りだったんですけど、最後に「はい、ここでリミッター解除しまーす」みたいな瞬間があって、そこからがなんかもう、尋常じゃなかった。どうなってんのあのひとの首とか腰とか下半身とか。速さもだけど、なによりその速さに身体がまったくもってかれてない。そらおそろしい。おそろしすぎて身を乗り出すんじゃなくてのけぞりそうになったっていう。いやもうすごいというよりなんかこわいものみた!!!って感じでしたよ…。

幕がないから、最後どうするのかな、と思ったら獅子の台についたまま、溶暗していく暗転で終幕でした。この溶暗していくのがまた、背後の大仏殿のあかりとのバランスが美しくて、か、か、かんぺきかよ~~~!!と心の大喝采が出たわたしです。

その暗転での終幕が最高だったので、そのまま終演でもよかったぐらいなんですが、さすがに明かりがついてカーテンコール?らしき場面がありました。そりゃそうだよねあのままじゃハケられないよねみんな暗くて。虎之介さんが恐縮しきりでわたわたしてたのかわいかった。勘九郎さん、さっきまでの人外ぶりから一転して中村屋のお兄ちゃんの顔でした。虎之介さんに中央で挨拶するよう促すところとか、ぱっとふりかえって大仏さまに拍手を、と促すところとか、そしてふり返ってきちんと手を合わせてらっしゃるところとか。

帰路に就くと、頭上に月があかるく輝いていて、ほんとうに…夢のような時間だったな、と思いました。

贔屓の引き倒しのようなことをいうと、私は勘九郎さんの踊りにはどこか神性なところがあると思っていて、この世ならざるものに捧げられているもの、という純度の高い美しさを感じられるところが本当に大好きなのですが、洋の東西問わず、舞踊の起源ってそういうものなんじゃないかと思うんですよね。ほんとうにすばらしいときの勘九郎さんには、その捧げるものになっているような、透明ないれものになっているような、美しさがある。この日は、東大寺大仏殿という、長い長い時間を超えてたくさんのひとが信じてきたもの、その眼前での踊りということもあり、まさしく私の大好きな、そして尊敬してやまない勘九郎さんの踊る姿を観ることができて、ファンとしてこれ以上の幸せはなかったです。

私が最後に連獅子をみたときの勘九郎さんはまだ勘太郎さんで、仔獅子で、勘三郎さんが親獅子で、七之助さんと三人の連獅子は、ファンにも愛され、演者にも愛された演目で、きっと、これからずっと観ることができるんだろうと信じて疑っていませんでした。突然取り上げられたように勘九郎さんの仔獅子とお別れしたから、切ない気持ちになったりするのかななんて思ってたんですけど、でもこの日の勘九郎さんを観たら、もうその大きさが仔獅子の器からはたぶんあふれてしまってただろうなと思いましたし、そういう過程に立ち会えるのも、歌舞伎ファンの楽しみのひとつなんだなということを実感した気がします。まさに一期一会の、得難い観劇体験でした。すばらしかった。勘九郎さんのファンになれて幸せです。

「アントマン&ワスプ」

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インフィニティ・ウォーでありとあらゆるひとをいろんなもののずんどこに叩き落したMCU最新作。とはいえ全米公開は夏の初めだったのでね!かなり待たされた感じはありつつも、しかし今回ばかりはこのスパンがありがたかったかもしれない。ということでインフィニティ・ウォー欠席組のひとり、スコット「アントマン」おじさんの続編でございます。

1作目のラストでスコットが量子世界からの帰還を果たしたことが今回のストーリーの発端になる構成で、量子世界にいる母を連れ戻したいピム親子、量子世界へのアクセスで大金をわが手にしたいブローカー、そして量子世界に自分の寿命を引き延ばすヒントを求める女と科学者、この三つ巴が「量子世界へのキー」を争うという。そのキーであるピム博士の研究所が「ピム粒子」によって持ち運べるサイズになるため、ある一つの「特別な箱」が物理的にあちらこちらに行き来するゲーム的な面白さがありました。そして面白いことにスコット自身はこの箱に対する動機がないんですよね。その動機がない中で、かつ自分が2年間の外出禁止令下にあるという状況でどうこの乱戦に絡んでくるかというのか見どころ。

いやもう、最初のスコット邸でのキャシーとの自宅全面アトラクション改造、あれだけで「スコット…なんていいパパ~!」って感慨と「この癒し…待ってた~!」っていう感慨がせめぎあいました。せめぎあいましたね。つーか本当全面にかわいいしかなかった。全面かわいいしかないのにアクションの面白さとスリルがちゃんと維持されてるのすごいし、巨大化縮小化で考えられるありとあらゆる楽しさと夢と萌えをぶっこんできたので本当すごい。あの中途半端サイズのスコットまじ…まじで…私がホープなら絶対記念に写真撮りまくる…。またキャシーちゃんとパクストン夫妻が最高にかわいい…なにあの4人のハグ…あとスコットの中身がジャネットになる例のシーン、ポール・ラッドの上手さが炸裂していた。ひーひー言うほど笑いました。考えてみたらすごい感動シーンなんだけどな!?

でもってなによりえっそういう展開になるのか、と驚いたのが、エイヴァの「キャシーを巻き込む」作戦にフォスターが敢然と異を唱え、それを「絶対に超えてはいけない一線」として死守させたことです。だからこそあのラストシーンがあるんだけども、その種の説得をするキャラクターがいるのは珍しくないですが、その説得を聞き入れるという展開はかなり新鮮でした。それにしてもシールド時代のピム博士の人間関係拗らせ(本来の意味で)ぶりはほんとすごいわね…。

そしてアントマンといえば忘れちゃいけない3人組。マイケル・ペーニャは今回も最高でした。自白剤をめぐるやりとり最高だしあの「ザ・ペーニャ・タイム」とでも名付けたい圧巻の喋るジュークボックスぶりを今回も堪能できて言うことない。本当に常に最高。3人組といいホープといいキャシーといい、最終的にFBIのウー捜査官までもとりこんじゃうし、やっぱりスコットさんのレノアハピネス能力すごいよ(周りに幸せを振りまくの意)。

で、あのポストクレジットシーンなんですけどね。ほんと高低差ありすぎて耳キーン案件だよね!わかる!とはいえ私はスコットは絶対残る以上ホープはそうなのかなって思ってたので、あっピム博士もかーという方の驚きと、まさかスコットが量子世界にインした状態でああなるとはという驚きでしばし茫然としました。本当にあの紫芋ゴリラ絶許だよね。とはいえ、次のMCUはキャプテンマーベルのターンであり、キャロルがこの量子世界のスコットと共にアベ4への勝利の布石になるはずだ…!と勝手に信じているのでやっぱりwktkが止まりません。ということでアベ4の日本公開日早くください~!