「渦が森団地の眠れない子たち」

藤原竜也鈴木亮平が小学生を演じる!っていう惹句が話題となりましたが、それ自体は演劇の世界ではさほど珍しいことではないと思うんですけど、たとえば三谷さんが同様に「大人が小学生を演じる」世界を描いた「子供の事情」では、あくまでも「子どもたちの世界」における彼らのふるまいを大人化していたのに対して、蓬莱さんの今作では「大人の世界」でもがく子どもたちを描いているという感じ。もちろん、わざと子供らしい芝居をさせるとか、そういう安っぽさとは無縁なんですけど、逆にだからこそ相当えぐられる場面がある。

佐山鉄志と田口圭一郎、ふたりの関係性は一幕終盤でかなり深刻な「いじめ」の世界に発展しますし、鉄志の家庭環境の問題点は描かれるにせよ、そこに至るまでの「邪知暴虐」ぶりもなかなかのものなので、そこはかなり観ていてキツいものがありました。で、これは二幕でどういう展開にもっていくのかな…と思いながら見ていたんですけど、その着地点がまあ、さすが蓬莱さんというか、一筋縄ではいかないなというか、これはある意味かの名作映画「スタンド・バイ・ミー」でもあるなと思ったわけです。しかし、一幕のえぐみがかなりきついので、それがあのラストをスパッと飲み込ませるのにちょっと邪魔しているきらいもなきにしもあらずでした。

とはいえ、あの「俺がお前の弱さを握っていてやる」という台詞は、もうこの一言が書けたらそれだけで脚本としてオッケーだよね、とでもいうべき強烈なパンチラインなので、さすが蓬莱さんといったところだ。あのセリフはすごい。おれがおまえを見ていてやる、というのは呪いのようでもあるけど、あの場にあっては救い以外のなにものでもないのだ。あの場面を見られたというだけでも見に来た甲斐のある一本だった。

竜也くん、前半の傍若無人ぶりもすごいが(楽しそうに見えるのがまたえぐい)、なによりすごいのが後半のなりふりかまわなくなってからの慟哭と、あのラストのやりとりだ。こんなくだらないものにこんなもの描くな、とあのノートを突きつける鉄志、よかった。このひとのエモーショナルさは得難い。大きな声を出せば、感情的になれば、だれでもがあんなふうにエモーショナルな芝居ができるわけではないんですよね。鈴木亮平さんのどこか「闇」を見てしまう抑えめの芝居といいバランスで、ふたりのやりとりは全編見ごたえがありました。

「『Q』:A Night At The Kabuki」NODA MAP

野田地図第23回公演は、なんとあのQUEENの名盤「オペラ座の夜」の世界観を演劇に落とし込む、しかもQUEEN直々のオファーで!という想像の斜め上どころか垂直飛びくらいな展開をふまえての作品となりました。それも映画「ボヘミアン・ラプソディ」の公開前からの打診だったつーからやっぱ野田さんなんか…呼んじゃう人ですよね。物語の下敷きにあるのはロミオとジュリエット、の、それから。

それからのロミオとジュリエット、と言いつつも勿論それだけに終わるわけではなくて、むしろ外枠には歌舞伎の俊寛、縦糸にロミジュリ、横糸にももちろん仕掛けがあるという感じ。とはいえ、登場人物の構図と大筋の展開はロミジュリに沿っているのでそれほど苦労せず物語の波に乗っていくことができるなーと思いました。

休憩挟んでの3時間で、野田さんにしてはかなりの長尺だし、もうちょっと刈り込めるのではと思うところもありましたが、まあそれはオペラ座の夜の楽曲の尺をたっぷりとる、みたいなところもあるからかなと思うし、あと当たり前ですけど曲がいいから個人的にぜーんぜん気にならない。演出としてはもっとサクサクいってもいい、と思うところでも、あの楽曲群の前ではもっと流してくださってもいいんですよ…みたいな気持ちになる。ずっと聴いてられる。そこは私の心理的に大きく違うところでした。

ただ惜しむらくはあんっなに超弩級にカッコイイ楽曲をふんだんに使用できるのに、曲の入りとかで舞台上の構図をバチッとあわせてキメる、みたいなところがなくて、残念ながら楽曲の方が強いまま、という感じになってたところかな。いや、というか野田さんは演出家としてもちろん天才ですけど(何度も言ってますが私「天才」って言葉を一人にしか使えないって言われたら野田さんに使います)、唯一演出家としての弱みがあるとしたら音楽の部分じゃないかなって気がするんですよ。既存の曲をいかにインパクト強く、カッコよく、ハッタリかましてみせるかみたいなのはむしろ野田さん以外の80年代小劇場得意技(まあ、つかさんの影響だよね)って感じだし、野田さんがそういうことはやんない、っていうのもよくわかってるんですけど!でも!でも惜しい!せっかくのクイーンなのに!みたいな気持ちになるのもむべなるかな。クイーンの曲を知らなくても、今!今のシーンの曲かっこいい!そういう演出も見たかった。せっかくのクイーンなんだからさ!(しつこい)

ここから後半部分のかなり核心的なネタバレなのでこれから観る方はここで回れ右が吉だ!

しかし、私が観ててほとほとすげえな、と思ったのは、もはや誰でもが知るロミジュリのあのセリフ、ハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」と並んでオリジナルを知らなくてもその台詞は知っているという代表格、「なぜあなたはロミオなの、あなたの名前をお捨てになって」。このひとつの台詞からあのクライマックスに至る物語を紡ぎ出してしまうその発想力におそれおののきました。名を捨てる、から「名もなき者」に、「無名戦士」に繋げてゆくって、いやもうすごい。こういう展開を、この発想を好むかそうでないかはそれぞれあるにしても、これが「野田さんにしか書けない」ものだっていうのはもう間違いない。

私は「手紙」というモチーフがめちゃくちゃツボ、ツボというか、もはやこれは性癖では、というぐらい好きなので、そして「届かない手紙」というのが輪をかけてツボなので、二幕終盤の凡太郎とそれからの郎壬生のやりとりあたりからもう全部の台詞がスキ…!って感じでした。もちろん重い展開ではあるんだけど、「逆鱗」ほどにベッコベコにやられなかったのは、物語としてのロミジュリの強さに助けられているからって気がする。物語って偉大ですね。

上川さん、舞台で拝見するのすごく久しぶりな気がするけど、やっぱ水を得た魚だね。松たか子さんとのコンビ、ふたりともうまくて、でもひけらかすうまさじゃなくて、肩の力が抜けてて、このふたりが舞台にいると安心できる感じ。松さんは見るたびに「私がいちばん好きな女優はこのひとだ…」と私の目をハートにします。強い。広瀬すずさんと志尊淳くんのふたりは松&上川コンビのある種「馴れ馴れしさ」と真逆のフレッシュさがよかったなー。竹中直人さんもあの凡太郎として手紙を受け取るときの芝居の立たせ方がほんっときらきらしていて最高でした。あとさとしさんとはのぴゃ!二人が野田地図に一緒に出てるなんてぇ~~!!!と目をぐるぐるしてしまいそうになりますが、二人ともむたくたよかったね。はのぴゃの声やっぱりむちゃくちゃ訴求力あるし、さとしさんのあの有無をいわせぬ存在感、パワーで舞台を引っ張る男っぷりがたくさん見られて嬉しかったです。

楽曲と場面の関係性とかはもう1回見るのでそのときにもうちょっと気をつけて見てみたいなと思うところ。あとそうそう、ハカやってたね!?びっくりしたわ!

「最貧前線」

水戸芸術館の30周年記念事業で芸術館自らのプロデュース公演です。宮崎駿の原作から舞台を立ち上げるということで話題になりました。宮崎駿の原作そのものは5ページの短い短編らしいので、かなりの部分肉付けがなされているだろうなという気はしますが、いやはや、実に見事な舞台化でした。

物語は第二次世界大戦末期。小さな漁船が軍に徴用され、特設監視艇としての任務を行うことになります。その吉祥丸の乗組員たちと海軍の将校たち。軍のスーパーエリートと叩き上げの船乗りたち、当然意見は食い違う、でも海の上で叩き上げの船乗りほど頼りになるやつはいない。彼らの中にはだんだんと信頼関係が生まれてくる。しかし、その吉祥丸もとうとう南の海域へ、海の最前線へ向かうことになってしまうのだった。

民間人と軍人の衝突、軍隊の規律に逆らう船乗り、まだ14歳の少年、B29…そういった単語から予想される物語をどこかふわっととびこえて、常にユーモアを失わない脚本の筆致がとにかく素晴らしい。対立はあるけれど、決してどちらかを「過剰」に描くこともしない。北の海の嵐ではなすすべもなかった将校たちは、南の戦闘で漁師たちを救う。それぞれがそれぞれのやれることをやる。その連帯は私たちの目には美しくさえ見える。見えるからこそ、その目的が、大義というやつが、どれほど理不尽なものか、そして「どれほど役に立たないもの」に命を懸けさせられているかを身をもって思い知らされる。「大きな流れに飲み込まれてなにもできない」という台詞は、なにもこの時代に限ったことではないと考えさせられる。

原作未読なのでどこまでが肉付けされた物語か判然としない部分はあるにせよ、やっぱり宮崎駿という作家には、思想とか信条の色合いよりもエンタメの血が色濃く流れてるんだってことをこの舞台化で改めて実感した気がします。ほんと、戦争の理不尽さというものを活写しながらも、エンターテイメントとして強いんですよね、このホン。嵐の海の中に落ちた水兵を救い上げるまでの流れ、最後の「一矢報いる」展開なんて、いやこれツボじゃないなんて人おる?ってぐらい、見事ですよ(小道具の活かし方とかさ!)。戦争ものを描くときに「ヒロイックになりすぎる」ことをおそれる部分ってあるし、その感覚って大事だと思うけど、そこを絶妙に渡りきってエンタメの芯をきっちり通しているのが本当にすごい。

バッドエンド慣れした現代観客的には、最後にまたなんかあるんじゃ…とか最後まで危惧してしまったけど、「死」を安易に描かずにまとめ上げるのって、その逆よりたぶん難しいですよね。いやほんとよくできた脚本でした。

またこれ美術がすばらしかった!舞台に大きな船のセットがあってそれが3層になってるんだけど、秀逸なのがそのセットを半分に分けて見せることができるようにしていること。基本的に船の中で物語が進んでいくので、その限られた空間以外に役者は下りない。そこを補うのが映像で、足もとに水面の映像を映し続けているのが実に効果的だった。演出の一色隆司さん、どちらかといえば映像畑の印象が強い方ですけど、今回の映像処理はその強みが活きた感じある。3層に分かれたセットも、それぞれで見える世界が違って、通信室での砕けたやり取りもあの雰囲気ならではという感じがあって、よかった。

私はもともとこの作品を見に行こうとおもったのがキャストの顔ぶれの良さで、どーんと芯をとってくれるひとを中心に花もあり実もありといった面々をきっちり選んでる感があって惹かれたんですけど、期待に違わず!内野さんのうまさったら、まさにどんな球でも投げられる、どんな球でも打てる、万能かよ!ベンガルさんの洒脱さ、佐藤誓さんの肩の力の抜けた佇まいも大好き。風間くんの若き艇長、溝端くんの通信長もよかったなあ。きりっとかっこよく、だけど「ひと」があふれてくる役作り。それにしても溝端くんめっちゃいい声してんね。

ほんっと全方位で満足度が高い公演でした。足を運んでよかったと思わせる一本。これはぜひ再演も視野にいれていただきたい!

「ジョーカー」

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むちゃくちゃ公開を楽しみにしてて、ヴェネツィアで最高賞も獲ったし、前評判も上々だし、ポスターからして私が好きそう!という感じしかなかったし、公開してすぐ観に行けなかったのでネタバレも回避してて、そう、むっちゃ楽しみにしてたんです。しかし、それが裏目に出たのか、なんつーかこう、乗れなかった、このビッグウェーブに。いや違う、この物語の波に。主演ホアキン・フェニックス、監督はトッド・フィリップス

乗れなかったのがなぜなのか、わかるようなわからないような部分があって、これは「ジョーカー」でなきゃだめだったのか?っていうのもそうだし、個人的にはあそこから咲く悪の華が見たかったという思いもあるし…分断されている社会で、今社会の底辺にいるのは他の誰でもない「おれたち」なんだ、という主張の強さを感じてしまったからかもしれないし、アーサーが銃によって力を得て、銃によって制裁する相手が常にステレオタイプで、そこから女性や黒人をたんねんに取り除いている(そして富裕層と底辺の中間にいるのが常に彼ら)なのが気になってしまった、というのもある。

人生のどうにもならなさ、という意味ではケン・ローチの「わたしはダニエル・ブレイク」のほうが私には数倍深く突き刺さったのだけど、しかしこの映画の厄介なのは、アーサーにシンクロできない=生き辛さを抱えていない、みたいなロジックで語られる部分があるように思えることだ。いやそんな簡単なもんじゃないよね、と思う。結局のところアーサーの精神疾患の問題です、というような曖昧なリアリティラインが予備に引かれている感じがするのも、なんというかフィクションとしていききっていない感じがして、そこも個人的には乗れなかったところだった。

ホアキン・フェニックスは徹頭徹尾すばらしかったですね。殺人のあとのダンスシーンの画のきまりっぷりったら。髪を緑色に染めるシーンもよかった。あの独特の体躯とあの眼力、ほんとひとを惹きつけますよね。

もちろん「ジョーカー」なので、ウェイン家のあれこれもちゃんとなぞられるんだけど、この「ジョーカー」を物語るための装置的な書き込みで、ここから続く物語を想定していないように思えたのも自分としてはぐっとこなかったところでした。

「ジョン・ウィック:パラベラム」

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ジョン・ウィックシリーズ第三弾!まさかここまで人気が出るとは!主演はもちろんキアヌ・リーブス、監督も引き続きチャド・スタエルスキ!犬も出るよ!

「2」の感想でも書いたんですけど、回を重ねるごとに世界観が拡大っつーか肥大していくパターンで、それはそれで楽しい部分もあるんだけど、「いやどこまで!?」という戸惑いもあるよねっていう。今作はさらに「主席連合」とか「裁定人」とか出てきて、この世界観…どこかで…ハッ!「花のあすか組」だ!!!と思いました。そしてなぜかこうした肥大した世界観によく似合う、なんちゃって寿司職人となんちゃって和風殺し屋。

ジョン・ウィックが一縷の望みを託すのが組織のトップとの直接会談で、そこにいたるまでにハル・ベリー演じる凄腕の元殺し屋を頼るんだけど、これまた犬をきっかけにあれよあれよの大乱戦になって、犬がむちゃくちゃ活躍してっていうあの場面、むちゃくちゃ面白かった。しかしそこまでにいたる物語の流れ(とその後の物語)はするっと語られないので、物語厨としてはいまいち乗り切れない部分もあったりして。

シリーズ通して私のいちばんのお気に入りは言うまでもなくホテル・コンチネンタルのマネージャーのシャロンです。今回彼の戦闘(準備)シーンがあったのうれしかったなー。確かドラマ化の話があって、コンチネンタルが舞台になるって話だったと思ったんだけどあれどうなったんだろう。

手を変え品を変えのアクションの釣瓶打ち、しかもそのどれもがアイデアに満ちているのは間違いなくこのシリーズの素晴らしいところで、ダメージを受けてないわけじゃないんだけど、確実に敵を殺していくジョン・ウィックの実直な殺しぶり、今回も堪能させていただきました!

「東海道四谷怪談」

民谷伊右衛門愛之助さん、お岩を七之助さん、直助権兵衛を中車さんという顔ぶれ。会見などで「関西での上演が26年ぶり」と話されているのを見て「そんなにやってなかったのか」とちょっとびっくり。これもはや曖昧過ぎる記憶なんですけど、勘三郎さんがまだ勘九郎だった時代、集客に苦労されていたなかで大阪で上演したこの「東海道四谷怪談」が大当たりして、勘三郎さんはずっとそのことを覚えてて大阪にいらっしゃるたびに「大阪に育ててもらった」と仰ってたんだよなあ。

しかし中村屋のご兄弟はどちらもこのお岩・小仏小平・佐藤与茂七の三役をやれるのがすごいよね。それこそ日替わりとかでやってもいいかもしれない。勘九郎さんのお岩もすばらしかったものな~。

3人それぞれに見どころがあったし、それぞれに役にはまっていたと思うんだけど、座組全体としての爆発力というか、巻き込む力にちょっと欠けた印象があって、あのお岩さんが現れる演出も若干空回ってしまった感があったのが惜しかった。

しかしあの伊右衛門浪宅の場はほんっとに大南北先生のフェティッシュぶりが爆発してるというか、すげえの書くな!?と見るたびに思っている気がする。なにがすごいって、あの薬を飲ませるまでの引っ張り具合もなんだけど、なにより髪梳きの場面ですよね。苦しむ女が、それでも髪を梳いて鉄漿を塗ろうとするその矜持、けれどその顔は醜く崩れていく…って、マジで最上級のド変態(褒めてる)じゃないですか。

次は26年と言わず、ちょくちょく上方でも上演してくださいませ!

「愛と哀しみのシャーロック・ホームズ」

三谷幸喜さん新作。三谷さんはああ見えて古典ミステリがお好き…いやああ見えてじゃないよな。今まで手掛けられた作品からしても好きなジャンルだってわかるよな。人形劇も手掛けてらっしゃいましたもんね。

お馴染みのホームズ、ワトソン、レストレイド警部、マイクロフト、ハドソン夫人…と登場人物は原作通りですが、そこは三谷さん、ワトソンの年齢がはっきり明記されているわけではないと注釈しつつ、ホームズとワトソンの年齢を思いっきり離して設定しています。いやしかしこれはこれで…アリだな?(何が)

この作品におけるシャーロックは頭はよすぎるけどまだ稚気がある佇まいで、対してマイクロフトはシャーロックに対する抑圧者ポジション。ワトソンはシャーロックの親友だけど、実は彼にも秘密にしていることがある、というような人間模様。そこに依頼主として飛び込んでくるのが広瀬アリスさん演じるミス・ヴァイオレット。

脚本的には二幕ラストのトランプゲームにおけるシャーロックの「解」と、そこに至るまでのあらゆる会話がヒントになる構成が山場という感じなんですが、しかし絵的には地味な場面が続くのでその辺はちょっと食い足りなかったかもしれない。個人的にはミス・ヴァイオレットの嘘をひっくり返すほうがホームズものらしいカタルシスがあったんじゃないかなという気がします。

キャストもお馴染み三谷組、というメンツは少ないにもかかわらず、すごくいいアンサンブルで、佐藤二朗さんとかほんと劇場で拝見するのめっちゃ久しぶりですね!じてキン時代が懐かしいですね!佐藤さんの絶妙な肩の力の抜け加減と、ゴリッゴリでそこだけ新劇か!とでもいうような強め芝居の横田さんといい対比でよかった。横田さんどんどん貫禄増しちゃって…そして相変わらず美声…好き(漏れ出る本音)。柿澤さんのシャーロックも才気ばしった、それでいて繊細な青年の顔があって、こういうシャーロックもいいな~と楽しめました。迫田さんのレストレイドもよきインパクトプレイヤーぶり。あとワトソン夫人の八木さんがもうすっかり安定の女優ぶりで驚いたっす!