「ハルシオン・デイズ」

  • MIDシアター  A列8番
  • 作・演出  鴻上尚史

小学校3年の時か4年の時か忘れたが、ともかく突然「死のう」と決めたことがある。理由ははっきり覚えていない。多分前の日に見たノストラダムスの大予言の番組が怖くて、「27でどうせ死ぬのなら(計算した)、今死んでも同じじゃないか」と思ったんだと思う。でもその日の晩夕食にでたカレーライスがおいしかったのでやめた。その話を数年前、ネットで知り合った友人とメールで話した。彼女は「誰にでもそういう心の中のカレーライスがあるといいのにね」と言った。その数日後hideが亡くなった。Xのファンだった彼女に私はかける言葉がなかった。彼女が送ってきたメールには「hideが最後に、心のカレーライスのことを思い出してくれなかったことが寂しくてならない」と書いてあった。でもそれはきっと鴻上さんのいうように偶然なのだろう。人はものすごく簡単に死にたくなり、同じ回数だけ生きたくなる。

自殺系サイトで知り合った3人の男女。学生を死なせてしまった経験を持ち、その学生の幻が見えるカウンセラー、人間の盾という妄想にとりつかれる男、同性愛者であることを隠して家庭を持っている男。楽しく自殺しようと3人は集まるが、妄想にとりつかれてしまった男に付き合うために「泣いた赤鬼」の稽古を始めることになる。

鴻上さんは優しくなったなあ、と思う。最後の赤鬼のセリフは、本当に鴻上さんの優しさが託されているようで、私は思わず泣いてしまった。別に何が解決したわけでもなく、ただある一夜を乗り越えただけなのだけれど、だからこそなくした何かと、得た何かの重さが胸に沁みる。人はみんな赤鬼になったり、青鬼になったりするのだ。それにしても「ごあいさつ」を読んだときから、鴻上さんは誰か親しい人を亡くしたのだろうかとちょっと邪推したくなった。相次ぐ「ネット心中」の報道に感じるところがあったというだけではない切実さが舞台からも感じられる気がした。それでも、こういう題材に共感を持ってのめり込んでいけるというのは、鴻上さんならではだなあと思う。こういう話を待っていた、という感じだ。

舞台の途中で劇中劇というのか、「泣いた赤鬼」の稽古をするシーンがあるが、地味ながらこういうシーンを作るのが鴻上さんは絶妙に上手い。演じている登場人物たちの照れや混乱がある一線を境にぐっと物語を語ることに集中し、見ているこちらも「物語の中の物語」にいつの間にか夢中になっている。「泣いた赤鬼」の場合は平山と哲造が村人2を同時に演じ始める瞬間だ。私は「泣いた赤鬼」の物語を知らなかったので、余計ここの部分は楽しかった。平山という人物の設定も上手いと思う。「トランス」では紅谷先生の混乱が終盤一気にあかされるけれど、そのある種どんでん返しなつくりより、混乱をある程度最初から客に見せている今回の手法の方が、私は好きだ。演じている役者によって違うのかもしれないけれど(例えば長野さんでは、この混乱の見せ方はうまくはまらない気がする。若くてある意味未熟なえみりちゃんだからこそ、成功したのかも)。

役者はそれぞれに好演。北村さんは見るたびに違う感じの役をこなしていて凄いなあと思う。赤鬼を演じてみせるときの切なさが良かった。突然断定的な口調になったり、謝り倒したりするときの声のトーンが微妙に違っていて、役の不安定さが良くでてた。えみりちゃんは割と体当たりな感じで、でも前述したようにその必死さがうまく役とリンクした感じ。大高さんは、なんと言っても青鬼の最後のモノローグが良すぎて良すぎて失神しそうになった。語りの大高は健在である。平山を演じた高橋くんとともに、笑いの部分もうまく掬っていてさすが。その高橋くんは、今回私の一押しである。いやーーうまいよ。声も良いし、誰にも見えてないし聞こえてないって設定をきちんと活かした間や動きに惚れ惚れした。もっと見てみたくなる役者さんだなあ。

劇中劇の最初と、1人になった雅之のつぶやき、そしてラストと計三度、「泣いた赤おに」の立て看板の台詞が読まれる。
「こころのやさしいおにのうちです。どうぞどなたでもおいでください。おいしいおかしがございます。おちゃもわかしてございます。」
本当はみんな、言葉や表現を変えてこう言ってるだけなんじゃないのか。ネットで、携帯で、顔の見えない掲示板で。私のやってるHPだって、つまるところはそういうことなんじゃないか。そう思ったら泣けて泣けてしょうがなかった。それを安易だとか希薄だとか言わず、その声を真摯に聞こうとする鴻上さんの本領発揮となった舞台だなと私は思いました。