「ハムレット」 子供のためのシェイクスピアカンパニー

今まで、何本シェイクスピア見ただろう。「ハムレット」見ただろう。私はシェイクスピアの悲劇を見て、初めて泣きました。これ、これなのだ、私が見たかったハムレットは。ハムレットって、シェイクスピアって、こうやって楽しむものなんでしょう?タイトルロールを誰がやるか、どれだけ苦悩してみせるか、どれだけ長台詞こなすか、ハムレットってのはそんな演劇ハードルのひとつであって物語の筋はまあおいておきましょうよ、な舞台じゃない。この舞台は「ハムレット」という物語だ。不倫、裏切り、恐るべき陰謀、その末の悲劇を描いた物語。

お馴染みの黒マントに黒帽子、そして暗闇のなかのささやき声とハンドクラップ。一瞬で世界を創ってしまう独特の演出方法は健在。今回の「ハムレット」の一番の特色は、最後にデンマークを任されるノルウェー王子フォーティンブラスにきっちりフォーカスを当ててる点じゃないかと思う。ハムレットにでてくるフォーティンブラスといえば、普通に見てると「なんでお前最後に出てきて全部もらっとんねん」と突っ込まれがちなキャラなのであって、横内謙介さんの作品「フォーティンブラス!」でも、典型的な脇役俳優のやる役、「途中のポーランドへの進軍と、最後のシーンしか出てこない」と描かれてる。けれどこの「ハムレット」のなかで、父王を喪ったもの同志、ハムレットと対を為す存在として焦点が当たっているので、ポーランド進軍の時にハムレットがその姿に感銘を受ける(父王を喪いながらも果たすべき責務を果たしている姿に)のが非常にしっくりくるのだ。祈りを捧げるクローディアスを刺そうとするハムレットを押しとどめるのもフォーティンブラスの「それで復讐を果たしたと言えるか」という言葉で、これも非常に効果的だった。

その積み重ねがあるから、ハムレットの臨終の言葉「デンマークノルウェー王子フォーティンブラスに」も、なんの違和感もない。そしてそれは、舞台のラスト、「私としては、悲しみに震えながらも、喜びを抱きしめねばならない」のフォーティンブラスの言葉にも生きてくる。このセリフがこんなにも哀しいなんて、誰が思っただろう?背中を向けて去っていくハムレットの姿にフォーティンブラスの悲痛な叫びがもう一度重なる。私としては、悲しみに震えながらも、喜びを抱きしめねばならない・・・!私はもう泣けて泣けて、これを書いている今も、その切なさに涙が勝手に溢れてきてしまいます。

舞台の冒頭、もっとも有名な「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。どちらが立派な生き方なのか」のセリフが少しずつ大きくなり、やがて「ハムレット」のラストシーン、ホレイショーの「全てをお話致しましょう」から物語がスタートしまたここに帰ってくる構成ももんんんんのすごく私の好みです。最後の決闘で死んだ人間達が一人一人黒子に戻っていく。そこにもたらされるロズ&ギルの死。まさに「かくも多くの命が」の言葉が重い。そしてさらに、「彼こそは時を得れば、たぐいまれな名君となったであろうに」のセリフと共に、ゆっくりと我が子ハムレットを抱きしめる父王の姿に、もうもうもうしてやられまくり。

ほぼ2時間の舞台にまとめながら、押さえるべきシーンは全部ちゃんとこなしてるんだよなあ。冒頭、父王の亡霊、レアティーズとポローニアスの会話、旅芸人もクローディアスの祈りもオフィーリアのくだりもちゃんとあるし。独白だってちゃんとある。しかも、黒子の群唱が同じセリフを繰り返すだけで、ハムレットを襲う圧迫感というか色々な感情にがんじがらめになってしまっている彼の心情が上手く伝わるのもイイ。「死」というものにハムレットが恐怖感を抱いているというのも、今回初めて気がつきましたよ私は。「死、眠る、それだけだ。」の繰り返しがものすごく効果的だったなあ。まったく、山崎さんの構成・演出センスには本当に脱帽の一言。

役者さんのアンサンブル、調和の見事さもこのカンパニーの素晴らしいところ。特に印象に残ったのは岡まゆみさんの素敵ボイスと誓さんの絶妙な間とテンポで笑いもばっちりなポローニアス、山崎さんの緩急自在な人形使い。あああ、まだ頭の中であのハンドクラップのリズムが鳴ってる。このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。死、眠る、それだけだ。彼こそはたぐいまれな名君となったであろうに・・・。ハムレットの哀しさと切なさの中で、まだ心が漂ってます。

自分が演劇好き、芝居好きだと自認する人ならば、絶対に一度は観ておくべき舞台。来年は「尺には尺を」。おおお、まった知らない作品だよ!でももう今から楽しみで楽しみでしょうがないです!!!!