「その河をこえて、五月」

芝居の感想は感想として、さらっとそれのみを書こうかとも思ったのだけど、どうにもそれでは据わりが悪くて結局何回も書いては消し書いては消ししてしまった。結局それでも何をどう書いていいのやらわからなかったりするわけだが、そんなこと言っていてもいつまでも書けないし、どうしたものやらである。
具体的に書けないので歯に衣着せまくりのような発言でもうしわけないのだけど、私は仕事で毎日毎日たくさんの韓国の人と、結構特殊な状況で会う、ということを繰り返しているので、この芝居にはなんというか、芝居とは別のことでいろいろ考えさせられたのです。

ソウル、漢江のほとりでのピクニック。韓国に暮らす日本人達が通う韓国語学校の初級クラスの生徒達が花見をするのだ。先生の弟夫婦と母親もピクニックに来る予定になっている。彼らの話す自分のこと、国のこと。桜の花は静かにはらりはらりと散るばかり。

舞台上では日本語と韓国語が飛び交いますが、それだけではなく日本語どうし、韓国語どうしの会話も同時多発で進行する場面もかなりあります。それに韓国語の字幕まで見なきゃいけないので、結構忙しい。

自分でも驚いたんですが、実は「日本人」の人たちが話す韓国語はかなりの部分わかりました。韓国人同士の会話はもうまったくお手上げ!だけども、あれぐらいゆっくりだと単語の想像がつけば字幕は見なくてもついていけて、言葉が不自由なものどうしのすれ違いやら勘違いもあーわかるわかる、と思ったり。
でも本当ならもっと理解できて当たり前なんだよなあと思ったりもして、結構反省したりもしたのだった。「最低限のことを伝えあう」というのはそんなに難しいことじゃないけれど、ちゃんと話すというのは本当に難しいしそれこそ本気の努力が必要なのだ。私の回りには韓国語を流暢に話す人が沢山いるのだが、彼ら彼女らも本当に地道な(そして猛烈な)努力をしているのを見てきているので、やっぱり自分はダメだなあと落ち込みもし。

正直なところを言うと、韓国側と日本側のぶつかり合いは、もっと激しいものを想像していたので、そこはすこし驚きでした。在日の問題についても、もっと突っ込んでくるのかなと思っていたし。今回神戸という公演地で、おそらくこの地方公演の中でも最も在日の方が多い土地だったと思うのだが、おそらくたくさん見に来ていたと思われる神戸在住の在日の方がそのあたりどういう風に受け止められたのか、伺ってみたい気もしたり。

とはいうものの、かなり後になって堪えるシーンというのも結構あって、昨日仕事で日本語を少しだけ理解している韓国人のおじいさんと、片言の韓国語と日本語で話していたら、突然佐々木久子さんの
「面白いって言ってもいいですか?・・・面白い。好き。・・・・ごめんなさい。」
という台詞が頭の中に溢れてきてしまって、あやうく仕事の最中なのに落涙しそうになってしまったのだった。あの舞台でのオモニの姿が、なんだか誰の姿の中にも見えるような気がして、激しく動揺してしまった。

でも、私は韓国という国と「分かり合わなきゃ」とか「好きにならなきゃ」とかはまったく思っていない。国が違う、というのは実際大したことなのである。私は個人的に、国籍なんて大した問題じゃないなんて顔をして、「本当の意味での国際交流」とか「わかり合わなきゃ」とかいう人を信用できない。日本と韓国の間にも、最後までぴったりと寄り添うことのなかったシートのように、「河」は厳然としてあるのである。河がないかのようにふるまったり、河を見ないようにしたり、そういうのは全然「理解」なんかじゃないだろうと私は思っているからだ。
ただ、どれだけ違っても、どれだけ議論しても、イーブンであれ、とそれだけは思う。当たり前のことだと思われるかもしれないが、当たり前だからこそ、私はこのお互いがイーブンであるということが、一番大切なことだと思うのだ。

芝居の中で印象に残ったのは、オモニの「浜辺の歌」はもちろんなのだが(これは冒頭で佐々木さんがくちづさんだ時からすでに私の涙腺はやばかった)、西谷と先生が遊覧船にむかって大声で叫ぶシーンである。それまでに舞台の上にあったある種の閉塞感を吹き飛ばしてくれるようないいシーンで、その後に続く弟さんと西谷の交流も含めて舞台に明るさをもたらしてくれる素敵なシーンだった。

西谷は最初に「一石」を投げてしまう、無神経な人物として描かれていて、劇中何度も「うーわーーー(もう頼むから口を閉じれ)!!!」と思うシーンが多々あったが、それでも、例えば屈託なく「韓国が好き」といい「韓国語を学ぶのは面白い」という林田と較べて、じゃあどちらが「理解」に近づいているのかと言ったらそれは西谷の方ではないかと私は思う。林田の屈託の無さこそが、時代が変わったと言われるものなのかもしれないけれども。

日本、韓国、双方の側で中心となる三田和代さんと白星姫さんがやはり絶品であった。お二人以外も実力者揃いの舞台で、とくに印象に残ったのは佐藤誓さんと先生役の李南煕さんかな。小須田さん、いつ拝見しても若々しくて驚くなあ。

「イーブンであること」が大事だと私は書いたけれど、それはやはり「そうではない」場面に出くわすことが今まで少なからずあったからかもしれない。いろいろなことにとらわれて意識しすぎるよりも、林田のような単純に「好き」という新しさが、これからの関係を支えていくのかもしれない。どちらがいいのかは、正直私にもまだはかりかねている問題なのだけれど。