「サンタクロースが歌ってくれた」キャラメルボックス

  • シアターBRAVA N列30番
  • 作・演出 成井豊

芝居の感想というより、「私とキャラメルボックス」という作文です。これは。ネタバレは一切ありませんが、むしろ芝居の中身の話も、ほとんどありません。すいません。

チャレンジシアターと名付けられていた「猫と針」を見たのが3年前で、本公演を見たのは5年前の「スケッチブック・ボイジャー」までさかのぼる。静岡に転勤した2006年以降、私がキャラメルボックスの芝居を観る回数は激減した。遠征しなければ見られない、という環境のなかで、遠征してまでも予定に組み込もう、という情熱を、私は4年前の時点ですでに失っていたんだと思う。

でも私は自分がキャラメルの芝居を観に劇場に足を運ばなくなったこの5年間も、CSCという名前のサポーターズクラブ(ファンクラブではない、と発足当時加藤さんが熱く語っていたのを思い出す)にずるずると居続けていたのだった。確かに年会費とすればそれほど高額とはいえないものだったけれど、それよりもただ、私はなんとなく「やめどき」を見失っていた。口座から自動的に年会費が引き落とされるようにしていたから、余計手続きを踏むのがめんどうくさかった、というのはもちろん言い訳にすぎない。

去年の夏に上川さんがキャラメルボックスを退団する、という発表があって、そして同時に、翌年、つまり今年のクリスマス公演には、かつて劇団に同期として在籍し、上川さんよりも早くに劇団をあとにした近江谷太郎さんをひきつれて、「サンタクロースが歌ってくれた」をやる、と発表されたのだった。そうか、と私は思った。もう一度あの3人が揃うのか。だったら、そこには、足を運ばなくてはなるまい。そしてそれを私の区切りにしよう、と私は思った。

休日のシアターBRAVAはたくさんのひとで埋め尽くされていた。かつて「開演前の前説」として加藤さんや若い役者さんが、実際に舞台に立って行われていたのだけれど、今は大きなスクリーンが、物販のお知らせ開演前の注意事項をよどみないナレーションで伝えていた。

この「サンタクロースが歌ってくれた」は劇団で4度目の再演、そして実に97年以来13年ぶりの再演ということになる。そして、この演目がその他の再演演目ともっとも違う点は、メインとなる3人の俳優を、4演すべてにおいて同じ役者が演じているということだろう。初演の89年から数えて、実に21年間。常に若い役者を入れてキャストを刷新していくキャラメルボックスにあって、これは実に異例のことだとおもう。

実のところ、私にとってこの「サンタクロースが歌ってくれた」は、キャラメルボックスのベスト作品ではないのだった。もしかしたらベスト3にも入らないかもしれない。でも、西川さんと、上川さんと、近江谷さんが揃うのなら、だとしたら選ばれるべきはこの戯曲以外にないだろう。この芥川、太郎、警部の3つの役は、この3人が育ててきたものといっても過言ではないし、3人のキャラクターという点でもこれ以上ないほどぴったり当てはまっているとおもう。上川さんが自分の退団にあたってこの作品の上演を申し出たのも、そういう思いがあったからかもしれない、とおもう。

作品自体の感想をいまさら書いてもな、と思うけれど、最初に見たときから違って見えるものもあり、変わらずに見えるものもあり、苦手なシーンはやっぱり苦手だったし、べつだん印象に残っていなかったシーンがとてもきらきらと輝いて見えたりして、なんだか不思議な気持ちになった。そして自分の中に5年間のブランクがあっても、やっぱりキャラメルはキャラメルだなあと何度も思った。それはネガティブな意味じゃなく、そんな風に在り続けることこそが、キャラメルのすごいところなんだろうなと思った。

久しぶりに舞台に並んで立ち、どんな矢のようなツッコミにもビクともせず、飄々と淡々とボケまくる近江谷さんの菊池警部に、これまた飽きることなくひとつひとつのボケを全力で拾っていく上川さんの太郎ちゃん、という構図にはほんと、思わず顔がにやけましたね。「大人なんだからちゃんとして!」うははは。あの、電車の中の菊池警部、というのはこの芝居の名シーンのひとつですけれど、あれをあそこまで面白くしたのは近江谷さんの功績に他ならない。その証拠にどんどん長くなってるもの、あのシーン(笑)

西川さんの愛すべき芥川も、ほんっとに驚くほど印象が変わっていなかった。たしかにみんな、年はとったけど、老けてない。そう思いました。そしてなにより、この舞台で大森さん、岡田さつきさん、坂口理恵さんという生え抜きのベテランが周りを支えていてくれたことも嬉しかったです。カーテンコールは、3度あったのかな。最初のカーテンコールでは、この日お誕生日だった筒井俊作さんのハッピーバースデーがありました。一度客電がついたのだけど、拍手やまず、最後に中央の西川さんが一歩前に出て、いつものあの挨拶を言った。「ぼくたちはいつでもここにいます。」ああ、これが聴けてよかった。

私が最初にキャラメルボックスを見たのはちょうど20年前、1990年のクリスマスツアー「不思議なクリスマスのつくり方」だった。キャラメルボックスは今年で25周年、私は20周年、いい区切りになったんじゃないかなあ。ろくに公演にも足を運ばない、幽霊会員だったCSCも、これを一区切りにしてみようとおもう。なんて、やめるなら、黙って勝手にやめればいいのであって、いちいちやめるなんて宣言は中二病以外のなにものでもない、本当にその通り。だけど、キャラメルボックスはなぜだか、わたしの「中二成分」を刺激する劇団だった。私がただずるずるとCSCをやめずにいたのも、ただ古参ぶりたいだけだろうと言われれば、実際返す言葉がない。そういう自分の中二病にも、ここらでひとつ区切りをつけたいのかもしれない。べつにもう二度とキャラメルの舞台は見ない、というわけではなくて、また機会があれば、足を運ぶこともあるだろう。でもあの20年前に始まり、いっときは熱狂というところまで足を突っ込んだ思い出には、ここでいちおうのピリオドということになるわけだ。

サポーターとは名ばかりで、私は決してキャラメルボックスのいいファンではなかった。特に見始めて4〜5年経ったあたりは、中二病をこれでもかと炸裂させて、やたら批評家ぶった、いやなことばかりを言っていたような気さえする。そんな懺悔を今してもしょうがないが、だがそんなことを言えるのも、今こうしてキャラメルボックスがあって、ずっと芝居を作り続けていてくれるからこそだ。それはほんとうにすごい。それこそが、ほんとうにすごいことだと思う。

私は決してキャラメルボックスのいいファンではなかったが、それでも、この劇団で見たいくつかの芝居が、まだ「演劇を観る」ということをはじめたばかりのよちよち歩きだった私に、「芝居好き」という土台を作る楔となってくれたことは間違いありません。私を夢中にさせた西川・上川・近江谷の黄金のトライアングルをふたたび観る機会を与えてくださったことに感謝。ノスタルジーにあふれつつも、うはははと笑って、また昔を思い出したりして、いい観劇でした。正しい見方ではないかもしれないけど、楽しいひとときでした。ありがとう。