ひとり紅白

年末にWOWOWで放送していた「桑田佳祐 Act Against AIDS 2008 昭和八十三年度! ひとり紅白歌合戦」の再放送を堪能。暮れに実家に帰ったとき、本放送を見た両親が絶賛していて、再放送があったら絶対録画する!と意気込んでいたのでした。もう70に手が届こうかという父がとくにすごい惚れ込みようで、サザンとか全然興味ないしむしろうるさい、ぐらいの人がそこまでいうか!と。

いやーでもほんと、絶賛ぶりもわかろうというものです。特に本編ラスト8曲の畳みかけったらない。

少女A(1982) :愚か者(1987)
狙いうち(1973) : 情熱の嵐(1973)
渚のシンドバッド(1977) :勝手にしやがれ(1977)
キューティーハニー(2004) : GOLDFINGER’99(1999)

ぶっちゃけひとりで歌いまくった。許せ。
すごいなーこれこそ紅白だよなーこんな紅白あったら視聴率とかぜったい跳ね上がってるよなーなんて思いながら見ていたんですけど、アンコール前にモニターに映し出された言葉にちょっと胸を衝かれた。

昔は良かった・・・
果たして本当にそうだろうか?
確かに、かつてのようにひとつの歌が多くの国民の心を掴んだ時代・・・
などというのはもうはや幻想かもしれない。
しかし先達が遺してくれた作品の数々は
今尚我々の記憶やDNAの中で生き続けている。
便利な世の中になっても
我々は嬉しいとき そして悲しいとき
自分の胸の奥底にそっと耳を澄ませてみる。
するとそこには
今でも我々が愛し、人生を潤す素晴らしい歌声や音楽が鳴り響いている。
インターネットの彼方から
携帯電話の向こう岸から
巨大な情報社会の大海原を渡って
ヒットポップスという名の炎は
今や大衆の中にではなく
我々ひとりひとりの胸の中で
思い思いの形となって
時を越え、熱く静かに燃えているのだ。

もっともっと完全に「桑田さんの歌」になるのかなーって想像してたんですけど、思った以上に桑田さんは本歌に寄り添っていて、でもそれでもちゃんと俺の歌になるんだよ、みたいな貫禄もあって、そしてまったくもって構成も見事で、プロのステージだなあ!と感じ入りました。