「タンゴ」

以前お友達と、あのタンゴのちらしはすごいね、なんてったってキャストじゃなくて演出家の顔が抜かれてるんだもんね、みたいな話をしていたのだが、見終わって、なるほろそういうことですかと、いやそういう意図がチラシ作成段階であったかどうかはさておき、タンゴという芝居を創る長塚圭史の頭の中を見ているような感覚に陥りました。
あんまりネタバレでもないですが、いちおう畳みます。


年を重ねていくごとに作家や演出家の作風が変わるなんていうのは当たり前の話ですが、しかし長塚さんほど急速に舵を切った(と思える)ひともちょっといない。いやご自分の中では繋がっていることなのでしょうが。

主演の森山未來さんはもちろん、吉田鋼太郎さん、秋山菜津子さん、橋本さとしさんに片桐はいりさんと個人的にも好きな役者ばかりですし、体制、反抗、自由、束縛といったキーワードが散りばめられている台詞の数々は決して感情を乗せやすいものではなかったと思いますが、うわっつらな「ただ読んでるだけ」みたいなトーンになっていないのはさすがだなあと思います。

仆されるべき大人の不在、その不在ゆえの悲劇、というところでぐっとくるところもあり(40年前、時代も背景となった社会情勢も違う世界の話ではなく、今この現実にこそ当てはまるような気がするから不思議です)。しかし、形式をプレゼンし、その根拠のなさに絶望し、そこから「権力」というものに目覚め一身にアジテーションしていくアルトゥルを、中二病のひとことで片付けるのはやっぱり申し訳なさすぎるかな。肉体を伴わない理論の応酬が最終的にはもっとも根源的な「恐怖」によってとってかわられるというのはぞっとしない筋書きではあるんだけど、そこに一種の安心も感じてしまったのはよかったのかわるかったのか。

見ていて、これはどこかブラックジョークとして成立させる部分じゃないのかなあというところもありましたが、徹頭徹尾、あえて「真っ当」な作劇を試みたという感じ。でも、観てる方としてはもう少しフックが欲しかったなとも思うところです。ずーっと殴られるより、優しくされてから殴られた方がショックが大きいでしょ、ってこの喩え完全に失敗してますね(笑)

アルトゥルの役をここまで魅力的に立ち上げられているのは未來くんの力かな。吉田鋼太郎さんはまったく舌を巻くすばらしさ、硬軟自由自在とはこのことかと。さとしさんはラストでみせる強かさと、あのラ・クンパルシータが見られただけで満足。そしてなにより、キャストとしては名前の入っていない、演出家「長塚圭史」の存在感は思った以上にすごかったです。