「二月大歌舞伎 第三部」

「奥州安達原 袖萩祭文」。見たことあった気がしたけど初見だったパターン。いやわかんない…もう自分の記憶じゃなくて自分のブログだけ信用してるから探せてないだけかも…。七之助さん袖萩初役。お君で長三郎くんも。いちおうあらすじ頭に入れていったつもりだったけど、後半の展開「なるほどわからん」「で、君は誰!?」の連打であった。袖萩とお君ちゃんのいじらしさにぐっと来てたら最後貞任に情緒むちゃくちゃにされるし。なんであんな突然出てきて「かっこいいとこまとめてやっておきます」みたいな役なの貞任は。ほんと勘九郎さんにぴったりじゃないですか(贔屓を引き倒す)。

「連獅子」。勘九郎さんの親獅子、勘太郎くんの仔獅子。私が最初に中村屋さんの連獅子をみたとき今の勘九郎さんはまだ勘太郎だったのだ…とか思うとこれも情緒むちゃくちゃになりそうになりますがそこはぐっと抑えて千秋楽を拝見してきました。

勘太郎くん、あんなちいさな子が立派に、こんなに健気に、みたいな情を差し挟ませる余地を一切与えない、客席にいる私たちには決してできないことを成し遂げるのだ、というその矜持が炎となって見えてくるような仔獅子だったとおもいます。これが火の玉のように踊れということなのか、と何度かその言葉が頭をよぎりました。大丈夫かな、と思う隙さえなかったね。その隙のなさの裏にはものすごい鍛錬があって、それがかれをつくっているんだなという。

しかし、さらに驚いたのは勘九郎さんの親獅子で、親獅子自体はもちろんこれが初めてではないんだけど、えっ、こんな顔するのか…!と何度も驚かされた。今までは「自分もできる」「ここまでできる」という表現だったのがぐっと抑えられて、投げるよりも受ける芝居になっているというか。親子で踊る意味ってやっぱりぜんぜんあって、それも勘太郎くんが9歳の今、初めて仔獅子として歌舞伎座の舞台に立つ、という時間だからこその表現というのがあって、なんていうか…激しさよりも情愛をすごくすごく感じた連獅子でした。

この先もふたりで、さらに先には三人で踊ることになるのだろうけど、この連獅子は今この時のものなんだなあ…と思ったし、次に見るときにはもっと違う貌になっているのだろうとおもった。

いつ何時、自分の責によらず芝居ができなくなるかもしれないというこの状況下で、1か月無事に上演がかなったこと、本当によかった。きっと屋根の上から誰かさんもご覧になっていたんじゃないかしら。そう思います。