「すばらしき世界」

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深く心に残り、映画を見た時の感情を何度も反芻してしまうような作品。傑作です。監督・脚本西川美和、原作は佐木隆三「身分帳」。公開後きこえてくる評判がきわめてよく、見に行きたいなーどうしようかなーどうしようかなーと言ってる間に見逃すパターンかなーと思ってたんですが、会社で久しぶりにぐったりと疲弊するようなやなことがあって、このまま家に帰ってもぜったい切り替えできん、圧倒的な物語の波にのまれるしかない、と思ってそのまま帰りに映画館に飛び込みました。以下具体的な物語の展開に触れます。

人生の大半を刑務所で過ごした男、三上。殺人罪で10年の懲役刑となり、服役していた旭川刑務所から出所するところから物語は始まります。この男が、いまのこの世界で生きていこうとする姿を、真正面から描き続けます。

恥ずかしながら西川美和さんの作品を拝見するのが初めてなんですが、ディティールにおける演出が行き届いて、それがまずすごくよかった。刑務官の描写や、役場の人間の描き方、市井の人たちの立ち居振る舞い、どれもウェットになりすぎない。極端に露悪的な人間を書くことをせず、「どんな人間にもグラデーションがある」ということが徹底されている。三上の身元引受人になる庄司は三上のために家を探し生活保護の申請を手伝い、妻ともどもに献身といってもいい働きをするが、孫たちが訪れていることを理由に三上の頼みをあしらうこともする。反社に保護は下ろさないと冷たく言い放つ福祉課の井口は、一方で三上の家を訪ね今後のための直接的な働きかけをする。三上を万引き犯と誤認するスーパーの店長は、しかし三上の地域とのつながりを必死に保とうとする…。

見ながら、どうしようもない、われわれは、どうしようもない世界を生きているんだ、ということを何度も思いました。わかりやすい答えなんてどこにもない世界。三上は、その生い立ちから、社会における「どうしようもなさ」に抗う術を一つしか知らない。「暴力」というその術は、どんな道よりも早く理不尽さを解決する。深夜まで五月蠅く騒ぐ階下の住人も、通行人にイチャモンをつけるチンピラにも、弱いものをあざ笑っていじめる同僚にも。

この世界は生き辛い、辛抱の連続だ、でも、「空が広かちいいますよ」。その一言が三上を押しとどめ、一度は絶たれたと思った繋がりがふたたび結ばれ、歌と、笑顔にあふれた最高の「すばらしき」瞬間が描かれるが、しかし、この映画におけるもっとも苦い場面がそのあとに用意されている。発達障害のある若者、それを陰で責めたてる職員。その若者は入浴する被介護者を放置してゲームをやっていたという。あやうく溺れるところだった、と。そうして、障害のある若者の喋り方を真似てあざ笑う同僚。どうすればよかったのか?モップの柄が折れるほど彼らを叩きのめすべきだったのか?偏見をさらけ出す彼らの指を目の前の鋏で切り落としてやればよかったのか?私がそこにいたら、その場にいたら、何を言ったのか?または、何も言わなかったのか?

この世界の中でわたしはきっと騒音に眉をひそめるだけでなにもせず、道端でチンピラに絡まられている人間を見てみぬふりをする人間だろう。でも同時に、どこかで、話を聞き、拒絶せず、コスモスの花を渡せるような人間でもあれればと思う。せめてそういうグラデーションのある人間になれればとおもった。どうしようもない世界だが、それでも空は広く、コスモスは香る。

役所広司さんがとにかく素晴らしいのは言うまでもなく、本当にやる、と思わせる危うさと寄る辺なさが共存していて目が離せない。キムラ緑子さん、六角精児さん、北村有起哉さん、橋爪功さん、梶芽衣子さんらの、三上を取り巻くひとたちの造型が一辺倒ではないところ、まさに芝居巧者の面目躍如といった感じで本当によかった。三上を取材する津乃田を演じた仲野太賀くんも、若者ゆえの残酷な物言いもみせつつ、同時にあの若さだからこそ三上に劇中かけられるもっとも暖かい言葉を発するのにふさわしい人物を演じきっていて、すばらしかったです。

さて、これは完全に余談ですが、たぶん多くの人がこの映画を見て真心ブラザーズの名曲「素晴らしきこの世界」を思い浮かべたのではないでしょうか。以下、歌詞の一部を引用します。

夜道を一人で歩いていたら どこから何やらカレーのにおい
僕もこれから帰るんだよ 湯気がたってる暖かいうち
素晴らしきこの世界

電車の窓から夕焼け小焼け よぼよぼばあさんひい孫あやす
どうかみなさんお幸せに 車掌さん天国まで連れてっておくれ
素晴らしきこの世界

しゃべって怒ってむなしくなって 無口になったりまたしゃべりだす
僕はどうせならネコになりたいよ くだらないことから逃げて寝ていたい
素晴らしきこの世界

(中略)

民族紛争果てしない仕返し 正義のアメリカミサイルぶちこむ
飢えた子供の目つきは鋭く  偽善者と呼ばれて自殺する男たち
素晴らしきこの世界


オレはいつでも ムキムキムキムキになる
くだらないことでも ムキムキムキムキになる
口から泡とばし ムキムキムキムキになる
大事なことなおさら ムキムキムキムキムキ…

改めて真に名曲だし、この楽曲に「素晴らしきこの世界」と名付ける精神は、この映画のなかにも同じものが流れているような気がします。どうしようもないけれど、空は広く、コスモスの香る、すばらしき、この世界。