「夏祭浪花鑑」

上演が決定したときに「2000年代の私の観劇の中心にあったのは間違いなく夏祭浪花鑑だった」というエントリをあげたのだけれど、その「これを見届けずしてしねない」みたいな演目が緊急事態宣言で初日が延期。甦る、去年の明治座「桜姫」の悪夢。しかしなんとか、12日から幕が開くことになりました。私は3枚取っていたチケットのうち2枚が消えましたが、前楽のチケットが生き残ってくれました。

コクーン歌舞伎としては13年ぶり、勘九郎さんの団七としては2011年の博多座以来10年ぶりの、中村屋の「夏祭浪花鑑」。えらいもんで、10年以上時間が経っても、あれだけ繰り返し観た演目だとさすがに台詞覚えてますね。私が。

コクーン歌舞伎は客席を巻き込んだ演出がお得意ですが、コロナ禍ということもありそこは趣向を変え、かつ休憩時間を挟まなくてもいいように演出をところどころで変更。発端~お鯛茶屋の場面は超ショートバージョン。台詞のテンポもかなり速かったですね。しかしこれは今回に限ったことというよりは、中村座や松竹座でやるときと比べてコクーンはいつもちょっと巻きがちではあった気がします。それにしても、発端で一瞬出てくる弁慶格子の勘九郎さん、男前が過ぎる。過ぎる案件。

博多座のときはもともと勘三郎さんがおやりになる予定だったところを勘九郎さんが代役として入られたので、周囲のキャストは「お馴染みの」面々ばかりでしたが、今回はキャストも大幅に変わりました。でも演出も見直さざるを得ないこの状況で、座組がフレッシュな顔ぶれになるというのはいいタイミングだったかもしれないですね。

勘九郎さんは役者としては長距離走者のタイプだよなあと私は常々思っているんですけど(不思議なことに舞踊ではあまりそれを感じない)、後半になればなるほど、気持ちが積みあがっていけばいくほど花がどんどん開いていく感じになるのが面白い。今回すごくいいなと思ったのは九郎兵衛内の場。長町裏からの地続き感がすごい。もう、出の所作からすごい。お梶が感じているであろう「ただならぬ空気」が舞台の照明としては不自然な、けれど西日の落ちる夏の夕暮れとしては自然なあの独特の明かりの中にたちこめていることがわかる、あの濃密さ!たまらないですね。松也さんの徳兵衛とはっしとにらみ合い、みごと聞いたりもろたりせえよ!と切る啖呵のかっこよさ、その裏側にある悲痛さがぐいぐい伝わってくる。いやはや堪能。

演出としてはわりと駆け足でも、この九郎兵衛内をじっくりやったのはよかった。長町裏の演出も基本的に過去の上演を踏襲してますが、泥場はあれがギリギリなんだろうなー。「こりゃこれ男の生き面を」からの、はっしとにらみ合い、スーッ、スーッと荒く吐かれる呼吸の音が響くところすごく好き。キマリ、キマリが本当に浮世絵みたいで、人が人を殺すという場面をこうまで「絵として高める」歌舞伎のすごさよ…としみじみ実感しちゃいますね。だからこそ最後の「悪い人でも舅は親、おやじどーん、ゆるしてくだんせ」で、その命をめぐる興奮から一気に観客の感情を反転させるわけで、ここはもう一息!と欲張りたいところ。その凄惨な現場に鉦の音と共に日常というか、現実がどっとなだれこんでくるところも、このコクーン歌舞伎で生み出された妙というか、あの世とこの世の端境みたいなあやうさがあって好きな場面です。個人的にはストップモーションにならず、そのまま押し流されていく演出の方が好みかな。

七之助さん、てっきりお辰かと思ったらお梶を初役でしたけど、なんかいつにない貫禄のある佇まいだったですよね。釣船三婦の亀蔵さんも今回が初。なんだろう、侠客っぽさというか、切った張ったの世界に片足を突っ込んでいる名残のある三婦で、彌十郎さんとはまた違う人物像ですごくよかった。お辰は松也さんが初役で、そして徳兵衛も松也さん。団七とお辰を兼ねるのは勘三郎さんがやってらしたけど、徳兵衛と兼ねるの初めて見たわあ。ていうかこの演目でお辰の役が一番色んなキャストで見ている気がする(福助さん、勘三郎さん、勘七兄弟、そして松也さん)。松也さんのお辰、独特のむっちり色っぺえ感じがすごくて新鮮だったなー。もし、頼まれたくて言うのじゃないが…から、「立たぬぞえ、立ちませぬぞえ、もし、三婦さん」にいたるところがお辰は難しいところだね、ここでの引きを鉄弓を手にしてからの爆発にどうつなげるかなんやな…と改めて思ったり。

徳兵衛は松也さんご自身が「勘九郎さんの団七で徳兵衛をやりたい」と念願してらしたそうで、なんてありがたい。そういえば博多座での勘九郎さんの初役のときも、松也さんは磯之丞で出ていらして、あの労苦を共にしてらしたのだなあと思うと、そのお気持ちに涙が出そうになりますよ。ふたりとも男前だけど、並んで見るとタイプが違って、だからこそあの稚気溢れる鳥居前でのやりとりもはまってたし、これからも末永くお付き合いお願いします…という気持ち(誰目線)。でもって松也さんが徳兵衛になったことで九郎兵衛内のお梶との場面がなんか色気とエロマシマシでおねがいしまーす!みたいになってていやはや、えらいもんです。

屋根の場の立ち回りも過去演出を踏襲してますが、この演出(特にミニチュアが出てくるくだり)は、ミニチュアの梯子がハケて、それが大きな梯子になって出てきて、その梯子を登って見得、というくだりの前段のような趣向だと思うので、肝の部分の演出が出来ないことも踏まえてもうちょっと見直してもよかったかも。あの梯子のところはね、ほんと何度見ても、何度見ても、最高に胸が熱くなるところなので、ここはいつかきっとリベンジしてほしい!

串田演出の夏祭浪花鑑はそのラストの演出が毎回話題になりますが、今回の、搬入口までたどりつくが、開かず、いったん絶望したふたりが客席に駆け戻ってくる…というのは博多座のときとほぼ同じですね。違うのは、ストップモーションにならず映像で見せたことくらいかなー。このラストは、かつて搬入口を開けて「どこへでもいける」という趣向(時間的にも、空間的にも)を見せたところから、「どこへもいけない」の見せ方に転化しつつあり、それはそれで劇的で毎回楽しませてもらっていますが、そろそろ原点の「どこへでもいける」という鮮やかな幕切れをまた見たいような気もしています。

勘九郎さんは団七初役のときは2011年3月で、そして満を持してのコクーン歌舞伎はコロナ禍で…と、なんというか浮世の荒波がどしゃめしゃに降りかかっていますが、贔屓として思う勘九郎さんのいちばん素晴らしいところは、それらがふりかかってなお輝く肉体の説得力なんじゃないかと思っています。10年前に拝見したときは、次に見るのが10年あとだなんてまったく想像していなかったなア。願わくば、次はもう少し近い未来でありますように。願わくば、そのときには満場の客席の興奮と拍手が劇場を包みますように。願わくばそれまで、わたしもあなたもこの世界を生き残っていけますように。