「最後の決闘裁判」

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リドリー・スコット監督。マット・デイモンベン・アフレックの幼なじみコンビが久々に共同脚本として名を連ね、ニコール・ホロフセナーも加えて3名が脚本を担当。予告編見て「苦手そう!スルーかな」と思い、上映時間の長さを聞いて「長い!スルーかな」と思っていたんですが、見た方の評判がいい、というか評が熱いというか、あと三者が三様の真実を語っていく藪の中スタイル(映画の羅生門見てないので…だってもとは藪の中じゃん!)っていうのが背中を押しました。押されました。

登場人物3名、カルージュ、ル・グリ、マルグリットの、それぞれの視点での出来事が描かれるということは、つまり3度同じ時系列を繰り返すことになるわけですが、この切り取り方と、何を見せて何を見せないかの選択がすさまじくうまくて、繰り返されることに一瞬たりとも倦んでる暇がないという構成のうまさに唸りました。そしていつ、どの瞬間を切り取ってもキマりにキマった画面であることが客の集中力を次につなげる。ハーア匠の仕事やねえ~~!!と感心してしまった。

ル・グリ視点での性暴力行為とマルグリット視点でのその埋め難い差、あの靴のところぞっとしたな。あんな風に見えるとしたらもうどうすりゃいいのよ。あと、あの部屋の中でテーブルを挟んで逃げるマルグリットを抱えて…のところ、第2幕の序盤にピエール伯との爛れた遊びの中でまったく同じことをやるじゃないですか。ル・グリにとってはあれと同じ、ということは、あの女の子ももしかしてマルグリットと同じなんじゃないかって思うわけです。あのシーン、彼女がこの遊びを受け入れているのか怯えているのか、絶妙に近接した表情を撮らずに見せててよけい怖かった。

カルージュの、自分という人間を大きく見せることしか考えていないふるまい、友人と口で言いながらその粗野なカルージュを蔑んでいるル・グリ、それを煽るピエール伯、粗野な男が手に入れた美しい「戦利品」を我が物にすること、がこの男たちの間に起こったことだけれど、その戦利品はものを見、考え、自分の足で歩くことを知っている人間で、その人間から見たこの空疎で振ればカラカラと乾いた音しかしない「男のメンツ」の行き着く先があの決闘だという、この皮肉。それはそれとして、決闘の描きっぷりの微に入り細にわたる感じもすごかったね。あのとどめの刺し方…すごかったね。

決闘シーンの群衆の描き方、あ~「研辰の討たれ」じゃん、と思ったな。仇討ちがなによりの娯楽だった時代の、人々のさあ討て、ヤレ討てのあの視線。ひとの命をかけたやりとりを見ることが間違いなく一種の娯楽だったのだろう。それらのすべてにただひたすらに冷めた視線を送るマルグリットの表情が強く心に残りました。