「カレーと村民」ニットキャップシアター

ニットキャップシアターで一昨年上演された作品ですが、コロナ禍で中止やら配信への切り替えやらの憂き目にあい、今回改めて東京と、舞台の地元である吹田での公演の運びとなったそうです。1905年9月1日、日露戦争における講和条約の内容について新聞報道された日の、吹田村の庄屋であった浜家のお屋敷を舞台にしています。

1905年なので、先日見た「日本文学盛衰史」の時代ともリンクしており、劇中にも正岡子規の名と、夏目漱石のエピソードでが出てきます。というか、この作品に足を運ぼうと思ったきっかけは、「日本文学盛衰史」の感想読みあさってたら、この「カレーと村民」の名を挙げている方をお見かけして、興味を持ったのがきっかけ。この作品自体、吹田市大阪大学の共同事業がきっかけで執筆されたというのも面白いなと思ったんですよね。

ご当地演劇というジャンルがあるかどうかわかりませんが、物語の舞台となっている、まさにその場所で観るっていうのはけっこう観る側の心情に及ぼす作用が大きいですよね。なんというか、劇場全体が「同じ風景を観ている」と感じさせる。共感力が高いというか。あの頃からあのビール工場はあって、その周辺の産業があって、というのも興味深いところでした。

いわゆる名家の生まれで、才能も有り容姿にも恵まれ、海外留学をしてなおのんしゃらんと生きる浜家の次男がある意味この物語の特異点でもあって、あの時代に日露戦争で息子や孫を喪い、だからこそ講和条約に納得できないと噴き上がる人々を、観客は次郎と同じ目線で観ている。なぜなら「戦争が終わり、戦争が始まる」というこの舞台のチラシに書かれた惹句のとおり、このあとに起こることを我々は知っているからだ。

なので、観客の視点のよりどころはどうしても次郎になってしまうのだが、最終盤にその視点が切り替わってしまうところがちょっと惜しいなと思う点でもあった。なんか突き放された感じになっちゃうよね。中盤の台詞や最後の展開を見ると、アキを次郎と並ぶぐらいにフォーカスしてもよかったのではとは思ったなあ。

戦後を描くというと、どうしても1945年以降がフォーカスされることが多いが、その前の日露戦争後の日本を舞台に選んでいるのはすごくよかったと思う。戦争というものへの温度差を描くという意味でも、その中に他国の領土を無邪気に欲しがる描写があるのも、よかった。あれが戦争というものなんだなあと思うし、その無邪気な空気は誰によって作り上げられたのか、を考えさせられる。

次郎を演じた門脇俊輔さん、むちゃくちゃ美声でしたね!いやビビった。座組全体が仕上がっていて、何気ないシーンでも芝居のテンポが保たれており心地よい観劇でした。楽しかったです。