「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」


2017年にニューヨークタイムズ紙が報道したハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ・性暴行疑惑に関する報道記事を書いたふたりの記者、ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンターの書いた著作を原作とした映画。監督はマリア・シュラーダー。

大統領の陰謀」とか「スポットライト/世紀のスクープ」とか「ペンタゴン・ペーパーズ」とか、調査報道映画大好きマンにはむちゃくちゃ好みの映画でしたね。というか、この映画のキービジュアル、絶対「大統領の陰謀」意識してるよなあ。キャリー・マリガンがテーブルに腰かけてるやつ。

ワインスタインは何十年にもわたりハリウッドで権勢を誇り、その権勢の影で数多の女性が犠牲になっていたわけだけど、映画の中で印象的だったのが「被害のことを話しても、何も変わらなかった」と誰もが口にしていたこと。それが2017年のこのとき、今まで開かなかった扉が開いたのはなぜなんだろう。Me tooの先駆けとなったのはもちろんそうなんだけど、「先駆けになり得た」のには時代の空気とか、流れとか、意識の変革とか、そういうものが背景にあったからで、その潮目の変革っていうのはどこからきていたのかな、なんてことを考えました。

ワインスタインが何をしたか、という点について加害側からの煽情的なシーンがていねいに排除されて、「彼女らが語ること」を主に構成しているのがよかった。まさにシーセッド。しかし、あの録音のやりとりはぞっとしたな。1分だけ、なにもしない、私は慣れてる…同じ手口を何十人もの女性に向けてきて、そのあとのことは「どうにかなる」とタカを括っていた、あの醜悪そのものの声。

ミーガンとジョディとレベッカがバーに入って仕事の話をしているときにナンパしてくる男のシーンがあるけど、あの場面、ほんとこれなんだよ、わかるか、おい、これなんだよ私たちが直面してるものは、と思いましたね。ミーガンは2度「今こっちで話をしているから」と断っているのに(2度だよ!)それに耳を貸そうともせず強引に声をかけ続け、女性が声を荒げたら「なんだよ不感症女」。セクハラでもなんでもマジで女はここまでNOを言わないとNOと言ったことにならない。そしてそれに対する謝罪もない。謝れよ!

ニューヨークタイムズ側があまりに美化されているのでは感があったり、ジョディが取材で夫に被害のことを本人同意なく話してそれがなんとなく流されてるのとか気になる部分もありましたが、とにかく調べて、聞いて、聞いて、書くという調査報道記者とは何ぞやというものを見せてもらえたのはよかったです。ワインスタイン側に記事の内容を明かし、回答期限を切るあたりのやりとりとか面白かったなー。メインの記事が出る前にゴシップ紙に流れたりするのも、こういう回答期限があったりするからなんでしょうね。劇中でローナン・ファローがニューヨーカーで同じネタを追っているという話が出て、ニューヨーカーに先んじられるのではというせめぎ合いがあったのもよかったな。なおニューヨークタイムズの記事が出た5日後にニューヨーカーの記事が出ているっぽい。

被害の声は集まっても、名前を出せないというジレンマのなかで、アシュレイ・ジャッドが名前をだしてよいという電話をするところ、あそこは電話を受けたジョディと一緒に泣くしかないという感じだった。誰であれ、途轍もない戦いを前にその先頭に立つという勇気が示されたことに、やっぱり心打たれずにはいられなかったです。