「TERROR テロ」

面白かったです!!!これまた今年のベストに間違いなく食い込んできそうな作品。もともといわゆる「法廷もの」ジャンルが大好きで、L.A.ロー、ザ・プラクティスボストン・リーガルなどなどを好んで観ていたわたくし。証拠調べ、証人喚問、そして最終論告、評決。まさか劇場でその一端に加わることができようとは!

原作者であるフェルディナンド・フォン・シーラッハは「犯罪」での鮮烈作家デビューから好んで読み続けているのですが、こちらの原作本は未読です。もともと刑事弁護士というだけあって非常に硬質な文章を書く作家で、それがこの舞台でも色濃く出ていました。

観客は「参審員」としてこの裁判に立ち会い、最後に有罪か無罪か投票を行う。与えられた命題はこうです。「ミュンヘン発ベルリン行きのルフトハンザ旅客機がテロリストによってハイジャックされた。乗客は164名。コックピットを占拠したテロリストから、イングランド対ドイツのナショナルサッカーチームの試合を行っているスタジアムに飛行機ごと突っ込むと予告される。スタジアムの観客は7万人。ドイツ空軍パイロットであるコッホ少佐は、マニュアルに定められた警告と回避運動を尽くしたうえ、最終的に旅客機を撃墜する。164人を殺し、7万人を救った彼ははたして、有罪か?無罪か?あなたはどちらに票を投じますか?」

裁判官を今井朋彦さん、弁護側代理人橋爪功さん、検察側を神野三鈴さんと、名前を並べただけでも「こんだけうまい人そろえてどうするつもり!?」って顔ぶれですが、大仰なセットもなく、感情的な台詞のやりとりもなく、旅客機に搭乗していた客の遺族の証人喚問でさえ極力淡々と描こうとする中、なるほど確かにこれはうまいひとにやってもらわないと観客がしぬやつだわ…と舞台を見て納得。終始落ち着いた語り口の今井さん、深みのある声で淡々と証人を質す神野さん、のんしゃらんとしていながら最終弁論において圧倒的な畳みかけを見せる橋爪さん、いやはや、堪能しました。堀部圭亮さん、前田亜希さんもよかった。夫を喪った妻の、あの靴のエピソードを語る場面はまちがいなくこの舞台で観客の心を強く揺さぶる一瞬でした。

正直なところ、どちらにも理があるが、完全な理ではないので、振ろうと思えばどっちにも旗が振れるな〜と思いながら見ていました。もし無罪とするのであれば、弁護人の最終論告であったように、航空安全法は違憲であるとの判断はなされているが、それに反した場合(航空安全法に則って「小さな危険」を排除したとき)にだれが責任をとるかは明示されていないというところが焦点になりそうだなと思いましたし、有罪となるのであれば、軍の命令に反して人命を奪った事実、それが7万人の危機の前であっても、人命を数ではかることはできないという道義的な判断になるのかなと。舞台は最初に証拠調べと証人喚問(1時間20分ほど)15分の休憩をはさんで最終論告、評決の時間が10分とられて、最後の20分ほどで判決とその根拠が示されます。私の見た回は有罪311対無罪331。思わず、客席もこの結果にどよめきました。まさに観客を二分するといってよいこの結果に私も思わず興奮してしまいました。

先入観を持たず、ここで見聞きした情報だけで判断するようにという裁判官からの前置きがあって、この結果です。同じものを見、同じ情報を共有しても、これだけ判断が分かれる!これはとりもなおさず、命題を提示した作者の狙い通りともいえるのではないでしょうか。とはいえ、ヨーロッパ各地で上演されたこの戯曲、圧倒的に結果が無罪に傾いているんですよね。たとえばロンドンは33公演行って有罪はなんとゼロ!すべての回で無罪の評決になっているわけです。それは「テロ」が身近なものであるからということもひとつの理由かもしれませんが、「大きなことを成し遂げるときに犠牲はつきものである」という精神がどこかにある、大義というものを重んじる、そういう国のなりたちもあるのかなと思ったりしました。しかし日本では、結果はほぼ半々。おもしろいですよね。私たちの何が、コッホ少佐を「有罪」と思わせるのでしょうか。

法律論からいえば、おそらく無罪の適用だろうなと思いつつ、検察側の最終論告で検察官が語った、ひとの「倫理」などあてにならない、という言葉には深く頷かされるものがありました。法律はわたしたちより賢い。私もそう思います。ひとの「倫理」に重きと信頼を置きすぎることはとても危険だと思いますし、その最終手段が実質ゆるされるとあっては、それ以外の緊急避難措置が形骸化してしまう可能性も秘めているのではないかと思いました。今回のケースにおいてスタジアムからの避難が行われなかったように。そしてまた検察官が引用した、ドイツ連邦共和国基本法第1条が「人間の尊厳は不可侵である」と定めているという事実。ドイツという国が自らの法の基礎をそこに置いたという、その思いを考えると不覚にもここで涙がこぼれそうになりました。法律はとっつきにくい顔をしているかもしれませんが、その実、あれほどシンプルで、無駄のない言葉はないとときどき思うことがあるのですが、このシーンもまた法律の美に触れたような気持にさせてくれるシーンでした。

もうひとつ、今回、700人近い観客がいて、文字通り真っ二つに議論が分かれました。これはいわば「私と違う考えのひと」を目の当たりにする機会でもあったわけです。インターネットはすばらしいです。けれど、インターネットは「知らないことは探せない」。ネットの海では他者に出会えるようでいて、実のところ非常に近しい他者にしか出会えないものなのかもしれません。SNSはそれを加速させているといっていいでしょう。だからといって、ツイッターで自分と気の合わないひと、信条のちがうひとをわざわざフォローするなんてばからしいと私は思います(ネットの世界ぐらい、すきなものを見て過ごしたいと思うのは当然の心理ではないでしょうか?)。しかし、それでも、他者はいるのです。あなたと同じ芝居を見たこの客席の中にも、同じものを見て、ちがうことを考える他者が。

感謝をもって、証人の任を解きます。裁判長によって二人の証人にかけられた言葉が、最後はわたしたち観客にかけられます。感謝をもって、参審員の任を解きます。これにて閉廷。その瞬間の、ほっと肩の荷をおろしたような、おろしたようで、別の何かを受け取ったような、なんともいえない感覚。それをわすれないでいようと思える芝居でした。すばらしかったです。