「飛龍伝」

  • 厚生年金芸術ホール  B列37番
  • 作・演出  つかこうへい

なんかね、あの、書けないんですけど。感想が(笑)。
いつもは観ている間とか見終わったあと電車に乗ってるときとかに一つでも二つでも書きたいなと思うことやキーワードみたいなものが浮かんで、それをつかまえて一気に書くんだけど、それがないのね。でもダメな芝居だったからじゃないんですよ。ダメな時はダメであればあるほど書きたい事項は出てくるもんで、なんていうのかなあ。充足しきっちゃったって感じなのですね。舞台を見て、カーテンコールで役者さんに拍手を送って、その時点で、完結した気がする。満足しきった気がする。もうなんにも付け足さなくてもいいよって感じ。だから自分の中からなんにも出てこないのかも。受け取るのに必死だったから。そんな経験、考えてみれば久しぶりだなあ。
欠点のない完璧な舞台ではないと思う。だけどこの舞台に、私は最高に満足しました。

相変わらず「エキス」の詰まった濃い、濃すぎるつか舞台。9年ぶりの飛龍伝。幕末より、話への思い入れも勝ってるし、筧さんの役所も龍馬より山崎一平の方が好きなんだよね。安保闘争華やかなりし60年代後半のお話、全共闘40万を率いる女委員長と、機動隊隊長二人の愛と、そのオトシマエの行方。現代のロミオとジュリエットのお話。

幕末にもこれは言えることなんだけれど、実際にはどうだったとか、あんなの有り得ないとか、そういうのはつかさんの作品の前では関係ない気がするんですよね。ただあらん限りの力をこめて演じ、客席にボールを投げ続けるその姿に何を感じるか、ではないのかなと思う。そういう意味では、作品の力を生かすも殺すも役者次第なのかなと。つかさんは戯曲を見ろともセットを見ろとも演出を見ろとも言ってない、ただ役者を見ろと言ってる気がする。自分の全部を、役者に預けてる感じがする。劇的、という言葉があるけれども、象徴的に見せるシーンの数々、差し挟まれる歌やある種ベタな選曲などはまさに「劇的」で、芝居でしか体験できないものだと思う。だからこそ、つか芝居はハマると深い(笑)。

広末さんの神林について。神林って、「祭り上げられて」とは言うけれども圧倒的なカリスマ性、そして男が落ちずには居られない眼をした女、という印象があるんだけど、広末さんの神林には正直カリスマ性はなかったと思う。だけど「祭り上げられて」という言葉はある意味ぴったりだったかも。私は千秋楽を見たとき、この神林の姿と実際の広末涼子さんの姿が重なって見えて、「こんなことのために東京出てきたんだ」って台詞にちょっとドキッとさせられたり。勁さよりも必死さがより印象的だった今回の神林は、だからこそ「生きてればの話だけど、岩手に行ってもいいかな?」と、「一人が怖いから」と山崎に縋る姿に泣けました。

脇を固める層が若干幕末に較べて薄くなってしまったのが残念といえば残念なんですが、そんな中で印象的だったのは早大委員長・泊をやった小川さんと、横浜国大委員長の武田@伊豆沼さん。泊はなにしろ出の静かな迫力が凄いったら。たいして声を張らなくても、客が聞き入らずにはいられない雰囲気を持ってて良かった。もちろん、最後の闘いに出ていくときのハンカチのシーンもいい!!武田さんは、楽曲との相乗効果ってのもあるだろうけど、あの「もう一つの土曜日」が流れるシーンはマジ号泣。長い長い神林と山崎のシーンのあとですが、あの「まったくバカなやつです・・・」で完全に世界を戻すし、一気にクライマックスに持っていきますよねー。ある意味ベタベタなんだけど、でもあのシーンは泣かずにはいられない。春田さんの桂木も、やはりさすがといった印象。レット・ザ・リバー・ランに乗せて桂木がアミーゴへの友情を叫ぶシーンが私は大大大好き。あのずらりと揃った男達の姿、何度見ても泣けます。

音楽が印象的に使われるシーンが多くて、前述の二つの他にもローズ、カノン、エピローグに長淵のシェリー、そしてパラダイス。シェリーのシーンは何回見てもいい。なんてことない振付だしなんてことない構図の筈なのに、すごく美しさと切なさがあるよね。中盤のパラダイスの使われ方も印象的でした。

これがひょっとしたら、いや多分最後の筧山崎なのかなと思ってました。まったく・・・ああ、やっぱし言葉に出来ないなあ。だって好きだからさ。あの人の口からこぼれる台詞って、何でもない言葉でもものすごく胸打たれる。ひとつひとつがたまんないんだもん。終盤、延々と神林を責め続ける時の痛さも、離婚届に判を捺せとせまるその切なさも、「ただ作戦のために生まれた子供がどんな顔をしているのかね。そもそも顔なんかあるのかね」と桂木に詰め寄るシーンの狂気も、「いいか、もう一回言うぞ、お前はお父さんとお母さんが愛し合って産まれてきた子じゃなくてただ作戦のために生まれた子供なんだって、お前が言え、俺は言えんよ」というときの吐き出すような感情そのものに、やられまくっちゃってるんだもん。あの圧倒的な台詞量をものともしない役者としての体力、あれだけの苦しい思いを毎回客席に投げ続ける心の体力、ホントさすがの一語です。俺が舞台を保たせる、という情熱が何度も何度も迸っていて、私はもう息をするのも忘れるほどでした。

カーテンコールのタキシード、ダンスに歌はつか芝居のお約束ですが、今回ほどこのお約束を堪能したことはありません(笑)私が満足しきっていて腑抜けになっているのはこのカーテンコールの影響が大です。だって筧さんのダンスがさ!なんだあれ。なんだあのキレは。これがみれるとわかっていたら筧前最前をどんな手使ってでも落としたのに!と思わずハンカチ握りしめ。12日見たときは春田さん側最前だったんですが、強制的に視界の隅を横切る春田さんの腕や足はまるっきり無視し、筧さんだけを見つめてました、はい。っていうか斜めに見ているはずだから広末さんだって視界に入ってた筈なんですがもう、全然覚えてない!なんていうか、筧利夫ひとりブルースクリーン状態?人間の眼の能力は無限大かもしれんと思わされましたよ。

泣いたしゾクゾクしたしドキドキしたし、笑ったし。良い芝居だったなあ。久々のつか芝居、堪能いたしました。はい。