キック・アスだったり歌舞伎座だったり

新年早々すでに映画を2本見てみたり。「キック・アス」は空中キャンプさんはじめいろんな方がぜひにぜひにと背中を押すレビューを書かれていたので、遠征のスキマに見てきたのです。シネセゾン渋谷閉館するそうですが、私、これが生まれて初めてのシネセゾン渋谷、そして最後になるだろうと思われ。

混雑状況が前もってサイトに出るほどだったので、前日渋谷に出た時に指定券を買っていたおかげで見やすい席で見ることが出来ました。まーぱんっぱんの入りだったよ!あんなぱんっぱんの映画館、THIS IS IT以来だわ、ってそんなに昔でもなかったな。

映画の方はなんとなくイメージしていたものと違って驚いた部分もあったんですけど、個人的にはとにかくクライマックスのヒットガールのアクションシークエンス(とそこにかかる音楽)、コレに尽きる。このシーンのためだけにもう1回映画館に行ってもいいとおもうくらい。

でもって今日見てきたのは「我が心の歌舞伎座」。歌舞伎座閉場にあたってのドキュメンタリです。上映時間きっちり3時間、そしてなんと途中に幕間ありという(笑)

大幹部の方々のインタビューと、「さよなら歌舞伎座公演」で演じられた演目(一部そうでないものもありますが)の名場面で構成され、その合間に裏方さんたちのドラマが差し挟まれていくといった感じ。

非常にまっとうすぎるほどまっとうな作りで、もっとあざとく客を泣かせようと思ったらできないことないと思うんですけど、そういうベタさは一切ない、ある意味清々しいドキュメンタリでした。とはいえ、吉右衛門さんの熊谷陣屋、玉三郎さんの阿古屋、仁左衛門さんの菅丞相など、たった1シーンなのにこちらの胸を打つ名演中の名演がずらりと見られるのは贅沢の極みですし、仮名手本忠臣蔵での舞台裏の様子や、歌舞伎座を支えてきた多くの裏方さんたちのプロフェッショナルぶりには何度も涙がこぼれそうになりました。

コヤというのはあたりまえだけれど生き物で、それは失ってしまったらやはり二度とは還ってこない。あの歌舞伎座の空気はあの歌舞伎座だけのもので、それが今はもう永遠に失われてしまったことは、私のような新参者であっても、寂しさを感じないではいられません。

でも、実際に普段私たちが目にすることの出来ない歌舞伎座の様々な裏の顔をこうして見ると、それが本当に頬ずりするほど愛おしいものに見えると同時に、やはりいつかは、ここを刷新するということが必要だったんだろうなあとも思うのです。水回り、配線、収納にいたるまで、いつかは限界が訪れただろう。その刷新の仕方や、時期については、それぞれ人によって思うところは違うでしょうが、「建て替えなくてもいいのに」とは簡単に言えることじゃないなあと思うのです。

だからこそこの映画の中で仁左衛門さんが仰った、敷居のすり減った傷のひとつまで、素敵な先輩方がたどった道だと思うと本当に愛おしい、だから今度は、僕らがその新しい歌舞伎座で、僕らの後輩達に「あの先輩達が使った舞台なんだ」と思われるようにしていかなきゃいけない、その言葉に、ほんとうに胸打たれました。

こんなところで言うことじゃないかもしれないし、「○○なやつは大抵××だ」という論法は乱暴極まりないと承知の上で言うけど、海老蔵さんのことにしても、歌舞伎座の建て替えにしても、建て替えなくてもいいとか、海老蔵なんて廃業しちゃえばいいみたいなことを言う人って、ほとんどが普段歌舞伎なんて見もしない人たちばかりなんだよな。そういう人にこそ、この仁左衛門さんの言葉を聞かせたいよ。

映画の中ではロビーでの稽古の様子も何度か映し出されていましたが、富十郎さんがインタビューでそのロビーでの稽古のことをお話しされていました。いつも大谷竹次郎さんの「我が刻はすべて演劇」と銘の入った柱時計の近くで休んでいた、本当は寄りかかりたいぐらいだったけど、寄っかかるとおこられちゃうからね、と楽しそうに語っておられます。

映画の最後には富十郎さんの逝去を伝える字幕が出ましたが、映画の中ではほんとうにお元気そうで、なんだか信じられないような気持ちがしました。

新しい歌舞伎座の開場のときには、皆様がお元気な姿を見せてくださることを祈るばかりです。