エンドゲーム、それぞれの決断について

f:id:peat:20190508213554j:plain
エンドゲームでMCUを去る(と言われている)面々をはじめ、今作で大きな決断を見せた4人について。メモ書きでおさめておけよと思いつつあふれ出る長文野郎の魂が、じゃなくてキーボードが止まらなかった。妄想とおセンチの成分おおめだよ!あと超マッハでネタバレしているのでまだ見てない人はこの先を見ちゃダメだ絶対。

★ナターシャ・ロマノフの決断について
ナターシャにとってクリントはやっぱり「どうしても死なせたくない人」なわけですよね。それは今までの彼女の描き方からも容易に見てとれる。私はAoUでいきなりクリントに家族がいて、いきなりナターシャとブルースの間にケミストリーが生まれちょるみたいな展開がどれだけ噛んで砕いてお粥にしても飲み込みにくいタイプなんですけど、でもこうなってみると、クリントに家族がいたというのはよかった気がしてくる。変な言い方だけど、その事実がこの場面のピュアネスをより高めているような気さえしてくるんです。家族がいるから、とかじゃなくて、もはやそこは大きな問題ではなくて、ナターシャはクリント・バートンを死なせたくないんですよ。自分をかつて赦し、生きる場所を与えた人と自分を天秤にかけたとき、どちらに傾くかというのは、この作品においては自明の理のように描かれてると思うんですよ。あの毛先だけ残ったプラチナ・ブロンドのように、あそこにいるのはブラック・ウィドウではもはやなく、彼女がそうありたかったナターシャ・ロマノフなんじゃないかなあと思うわけです。もちろん、クリントも同じようにナットを死なせたくないと思っているのは間違いない。でもあそこで運命を分けたのは、いつだって彼女がクリントの一歩先を歩こうとする女性だったからなんじゃないですかね。
生きろ、ということがなによりつらいこともあるけど、彼女はそのつらさも含めてクリントに引き受けてもらいたかったし、それができると思っていたんじゃないでしょうか。そして実際、ソウルストーンはクリントの手にやってくる。愛するものの魂と交換によってやってくる石、その愛に最後まで名前をつけずに走りきったことが、私には何よりもすごいことのように思えました。

★トニー・スタークの決断について
I LOVE 3000.
きっと何度同じことがあっても、同じ決断をするんだろうなと思うんですよ。ってのっけからなんなんだって話ですけど、トニーはずっとおそれていたわけでしょう。自分のせいで、自分以外の人を喪うことを、彼はずっとおそれていた。大いなる力に伴った大いなる責任を果たすことを、こんなにも見つめ続けた人はいないんじゃないかとすら思います。トニーのすごいところは、その「できること」が無限に広がっていくからで、だからこそ理解を得られなかったこともあったり、自分の手からこぼれていくものに苦しんだりしたんだろうと思うけど、でも最後には、まさにかれの知性がほかのすべてのものを救ったわけですよね。
5年の歳月というのは、トニーとモーガンの関係性を描こうと思ったときに必要な年数でもあったんだろうなと推測しますが、でも3000回愛してるって言ってくれたモーガンだから、きっとあのトニーのメッセージをこのあと何度見ても、愛してくれたパパを思い出して、こころを慰めてくれるといいなと思います。
あと、いちどは「ここでやり直してる」と復帰を拒んだトニーが、それでもずっと心に刺さった棘のようにピーターのことを考えていて、それがこの大逆転劇を生み出したのかと思うと、いやいったいいつからその構想を!?って私何度も同じセリフ繰り返し過ぎですか。ですね。でもそう思っちゃうんだもんよ!
ロバート・ダウニー・Jrは文字通り「いつ見ても波瀾万丈」みたいな人だったけど、かれをトニー・スタークに抜擢したことが文字通りすべての始まりで、この映画のラストがアイアンマンに帰結していくことも、エンドロールの最後にあの鉄を打つ音を響かせるのも、この偉大なパイオニアへの愛と敬意だなーと私は思いますし、いつかピリオドを打たなければならないのだとしたら、これは最高のピリオドだったんじゃないかと思っています。

★ソーの決断について
今までどの映画でもこれでもか!とその前向きなパワーと肉体美を見せていたソー兄ちゃんが、すべてを喪ったこと、そしてそれに対する復讐の空しさにガチの引きこもりになる…なんて誰が想像したでしょうか。メモ書きでも書いたけど、ラグナロクのときのソーとハルク、なんだか性格が入れ替わってしまったかのようですらありましたよね。
でも、ずっと前向きのパワーをうしなわずに猛進していたソーももちろん魅力的だったけど、どっちかというとこじらせタイプの私には眩しすぎる存在でもあったのだった。だから、エンドゲームで一敗地に塗れたあとのソーが、文字通り這い上がってあのサノスの前に立つ、思わず「ソー兄ちゃん」と呼びたくなるような、神々しさの代わりに有り余る人間味を見せてくれたソーが仲間と共にサノスに立ち向かう、そこに震えないでいられようかっていうね。あと、クリヘムさんの正真正銘のナイスガイぶりはぽっちゃり程度では減じないどころか倍増しなんだな…ってことも実感しました。かっこいい。我らの兄ちゃんかっこいい。
映画内でのパワーバランス的なことは私はあまり関係ないんじゃないかな?と思ってるんですけど、とはいえガチのお兄ファンの方がどう思ったのかはわからない。でもその心情を私が勝手に斟酌するのもちがうなって話ですもんね。
ソーが流浪の旅に出るのは、文字通り貴種流離譚としてのひとつの段階に過ぎなくて、私はあれほど玉座が相応しいひとはいないと思ってます。ヴァルキリーだってそう思ってるんじゃないのかな!彼がいつか帰ってきて、その後の物語が描かれるかどうかは別にしても。しかし、MCUファンとしてはソーがGotG組に同伴したのが意外過ぎて、えっ、気になる、vol.3で絡んできたりするんですか兄貴ー!と妄想に余念がありません。ある意味罪なエンディングだぜ!

★スティーヴ・ロジャースの決断について
あえてキャップではなくスティーヴの名前にしておりますが、あの終幕、びっくりしましたよね。私はしました(余談だけど血清打ってても老化はあまり変わらないのか…とも思った)。とはいえ、作中でキャップとペギーとの関係をことさらに目くばせしてくるなあとは思っていたので、予想をまったくしていなかったわけではないです。あのコンパス(×2回)、セラピーでのスティーヴの発言、ダメ押しの1970年のペギー(と、もやしの写真)。CAFAでのエピソードや、CAWSでのお見舞いや、CACWでの葬儀だけではじゅうぶんでないと考えたのか、十分ではあるけれどもあの結末にもっていくにはもう一押し、今作で要素をちりばめる必要がある、という判断があったのか。いままでペギーの夫の名前が言明されずにここまできている、ということを今作の展開は突いたのかなーと思いますし、だとするとこれも「一体どこから計算してたのか…!」と思っちゃいますよね。
ドラマのエージェント・カーターで描かれた時系列のことを考えると、石を返し終わって(義務を果たして)、彼はいったいいつの時代に行ったのかとか、それこそ世界の分岐みたいなことを考えると、いや?うん?わかんねえ!となってしまうダメな私(というかへたに分岐したらその分岐した方にサノスはいないの?ってなっちゃう。そういうことじゃないのか?)。でも、なんというか、どの時代に戻ったのか、そこでペギーと終生の愛を誓ったのか、それともダンスの約束を果たして別の人生を歩んだのか、その世界線はどういう世界線なのか…ってことは、かなりの解釈の余地を残してくれているともいえるわけですよね。だとすると私としては、もうここはシンプルに考えたい。なにより彼が、本当はそうなるはずだった、手元からぽっかりと消えた70年を自分の手に取り戻すことが出来たこと。兵士として…もっとキツい言い方をすれば、兵器として生まれ変わったひとりの男が、ひとりの「善良な人間」に戻ることができたんだとすれば、それはすごいことだなと思いますし、「キャプテン・アメリカ」としての終着点はそこになるべくしてなったんだろうなーとも思います。
善良な人間といえば、ポータルから消える前、サムが「一緒に行こうか」って声かけて、きみはいいやつだな、ってスティーヴが返す、あのときgood manって言ってる気がするんだけど、そこでそのあとサムに盾を渡す展開がくるのも胸アツだなと。スティーヴがアースキン博士に言われた言葉を思い出しちゃいますよね。あとバッキーはどう見ても彼がこのポータルに帰ってこないことを知ってるふうでしたよね。CAFAと同じ別れの挨拶…どう見てもロンググッドバイじゃないですか。でさ、私はここが本当にスティーヴらしいなって思うんだけど、彼がなんでここに帰ってきたかって、それは「またここで会おう、必ず」って約束をね、してるからなんじゃないかって思うんですよ。もちろん盾をサムに渡すためでもあるだろうけど、帰ってくると約束したら、必ず帰ってくる男ですよね、スティーヴ・ロジャースは。その取り戻した70年の自分の人生のなかで、彼が「いつかあの場所に帰る」ってことをずっと覚えているっていうのも、これはこれで相当にエモいなって気がしちゃいます。
しかし、こういう特別な宝具(この場合はインフィニティストーン)って、返却するときはなぜかむちゃ省略されるのが古今東西物語の常ですよね。取るのと同じくらい返すのも大変やと思うけどー!そこ見たいー!ってなるやつ!