「笑の大学」

三谷さんの代表作といって名前が挙がることの多い「笑の大学」。映画や落語に展開したり、各国語版が上演されたりしているので意外な気もしますが、実は舞台としての日本での上演は1998年以来25年ぶりなんですね。しかも今回は演出も三谷さん。4月から異動で勤務サイクルが変わり、いろんなチケットを手放しましたが、これだけはどうしても諦められんかった(そして取り直しもできんかった)。いやしかしそれだけ苦労して見に行った甲斐のある観劇でした。

初演時に読売演劇大賞を取り、円盤も発売され、テレビで初演版の放送もあり、ストーリーも何もかも頭に入っている状態で観ましたが、それでもなお傑作としての感動を与えてくれる物語の強さにまず感服。マジで面白い、マジでよくできてる、マジのマジで傑作ですね、これは。

本作が初演された1996年頃、というか、三谷さんが小劇場界にその名を轟かせ始めたころは、「ただ笑わせるためだけの芝居」がちょっと下に見られていた時代でもあったんですよね。三谷さんはその頃から、「そう言われることは僕にとって最高の賛辞」だと自認してらした。劇作家椿一のモデルは菊谷栄だと公言されていますが、おそらく、椿一ほど三谷さんがご自身を重ねている役柄は他にないと思う。ドラマであれ、映画であれ、舞台であれ、制約があればあるほど燃える、と仰る三谷さんと、検閲官に指摘されても指摘されても、それを受けてなお面白さを高めようとする椿の姿は、やっぱり重なるところが大きい。

椿と向坂が台本の直しを巡って丁々発止し、観客も思わず拍手しちゃうほど盛り上がる、あの一連の畳みかけは三谷さんの得意技でもあって、けれどその高揚感のあとに二人が軽演劇を上演しようとする劇作家と、軽演劇を不要不急のものと考えている検閲官という立場に戻る、という展開を用意しているのが、さすがの構成力だなと唸ります。この後椿に訪れる運命を描くのに、この展開があるかないかというのは全然見え方が違ってくるものなあ。

初演・再演でコンビを組んだ西村さんと近藤さんはお互いの年齢が近かったということもあり、今回の内野&瀬戸のコンビは特にラストシーンにおける印象が大きく異なりました。三谷さんが筆を入れたのも頷けます。やはり、あそこは瀬戸さんのあの若さがあるからこそ、無念さが際立つ印象があり、それを受けての向坂の動揺も、明らかに次の世代の若者を見る目線からの言葉だよなと思いました。

それにしても、内野聖陽さんのうまさよ。もう開始5分で舌を巻きました。マジですごいな。木で鼻を括ったような物言いなのに、カラスの話をはじめずっと漂う向坂というひとの可笑しさを消さない立ち居振る舞い、台詞回し、いや本当に、つくづく、唸るほどうまい。どんだけ球種を隠し持っているのか、と思うほどひとつとして同じ芝居の繰り返しがない。この職人技を見るだけでもチケット代の価値があると思わせる。

瀬戸くんはその演劇ウマイウマイお化けにしっかり食らいついていて、それだけでなくちゃんと自分がもたせる場では内野さんを引っ張る余裕を見せ、よくできた若者じゃよ…とおばあの目で見つめてしまう俺であった。ほんとに見るたびうまくなっていくもんな。

検閲室から舞台は一歩も動かず、役者も二人だけだけど、立ち位置の入れ替えや舞台の上下を大きく使うところとか、さりげない整理もうまくできているなあと感心しっぱなしの2時間弱でした。

「お国のため」と繰り返し叫ばせることはなくても、いつの時代、どんな表現にもありとあらゆる制約はつきもので、でもだからこそそれを超えて面白いものを書いていく、書いてきた三谷幸喜さん。その魂のかけらがはいったような作品だと改めて思いますし、素晴らしい役者を得て上演された舞台に足を運べたこと、本当に嬉しかったです。行った甲斐がありました。