「ART」

小日向文世さんイッセー尾形さん大泉洋さんの顔合わせで、これもコロナ禍のときに企画された座組アゲインですね。あのときチケット取ってたけど行かなかったんだよなあ。今年は2020年に上演または上演予定だった作品のリベンジ、というものがけっこうある気がしていて、それはつまりハコとかキャストを押さえるのにだいたい2年半から3年ぐらい先の話になるからなんだろうな。

ヤスミナ・レザの「ART」は以前にも見たことあるよな確か、と自分の感想を検索してみたら、市村正親さん、平田満さん、益岡徹さんの顔合わせで拝見してました。で、今回の舞台を観ながら、内田善美さんの「星の時計のLiddel」の中で語られる、美しさを感じるのは相互依存システムによるって話を思い出してたんだけど、その時の感想にもソックリ同じこと書いてて笑いました。

つまるところ、あの白い絵を「受信」するためには、観るこちら側にもその受信装置がないとだめなんじゃないか、っていう。

しかし、今作はその「芸術の受け取り手」がどうかというよりも、何も描かれていない(ように見える)1枚の白い絵を友人が500万円出して購入する、その行為は「自分は芸術のわかる人間だ」というスノビズムの発露なのか、そうとしか受け取ることのできない男の露悪的な思考はどこからくるのか、コトが起こっていても基本的には日和見主義でやり過ごしたい男に救いはあるのか、という部分をぐるぐるさせる会話劇であり、最終的にはセルジュがマルクに対し「この絵よりもおまえのほうに価値がある」というポーズをとることで永遠に続くかに見えた男たちのぐるぐるが終わる、というのが最高だなと思っちゃいますね。

先に書いた「相互依存システム」の考え方によれば、セルジュには受信装置があって、マルクにはない、となるところだけど、今作のうまいところは、セルジュが単にマルクへの対抗意識からこの絵を過大評価しているっていう線も戯曲上ちゃんと残してあるところだなと思います。

小日向さんのセルジュ、どちらかというと切れ者な雰囲気、「12人の優しい日本人」の陪審員9号を彷彿とさせる佇まいでむちゃくちゃ好みだったな。こういう理詰めでくるコヒさんなんて大好物にきまっておるだろう!という感じ。大泉さんはあの待ち合わせに遅れてきた挙句の超超超長台詞がやっぱり圧巻ですよね。愛嬌もあり憎めないイヴァンそのものだったなー。そのものといえばイッセー尾形さん、完全に「ナチュラルボーンそういう人」にしか見えてこない役作り、さすがすぎた。あのデリカシーのなさ!でありながら観客がマルクの考え方に引っ張られそうになる説得力!3年越しでこの座組で拝見することが叶い嬉しかったです!